『秘密』 清水玲子
最後に何か言わせろや。どうせ死刑なんやから
死んだ人の脳を見ることで、「念」が伝染(うつ)るんだよな。
清水玲子の『秘密』がTVアニメになったが、死んだ人の脳を読むという設定と、その脳から『秘密』が読めるという、カバーと帯を読んで作ったかのような浅薄さは、いかに大衆を相手にして、既成のある業界だからといって、酷いんじゃないかと思う。
三原ミツカズの『死化粧師』のドラマ化にもそんなことを感じた。
少し前なら、『夜想』で取上げるとしても、躊躇したり、発禁になったりすることを考慮しなければならなかったテーマや設定が、今では誰が見ても良い、TVで放映される。TVはぎりぎりの変わった設定を欲しがる。そのくせより普通で、安易なものにする。
最後に何か言わせろや。どうせ死刑なんやから。これは宅間守が言った言葉で、裁判官は発言を制した。報道や世間の常識は、最もやばいもの、最もネガティブなものに蓋をする。蓋をされた最悪なものは、さらに凶悪になって伝播する。
清水玲子の『秘密』の犯罪者の脳を見ることは、宅間の最後の発言を聞くことと同じことである。そこにはもしかして歪んだ愛もあるかもしれないし、その愛が、歪みに歪んで到達した、どうしようもない地点の夢魔のような地点に同気することなのだ。清水玲子が描いているのは、そうした人間の「念」が伝播していくことのどうしようもなさだ。
『秘密』や『師化粧師』の「念」の部分を描かないということと、宅間の発言を聞きたくないというのは、まさに同じことであり、それがどれだけ潜在している「念」を現実の行動に移す、ことに繋がっているのか、考えてみた方が良い。
分っちゃいないな…。それがゲートを越える一つの感覚であるような気がする。
PSで言えば、
『秘密』は、脳の話や、人のプライベートな秘密についての話ではなく
『秘密』にまつわる人の愛や想いを真っすぐに描いた、純愛の物語であることを
脚本化はもう少し分った方が良い。