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『人形記』 佐々木幹郎

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太田省吾の家で佐々木幹郎さんと

議論していたのは、荒木陽子さんの死に対する荒木経惟さんの創作姿勢についてだったと思う。
けっこう激しかったように思うけれど
会って、あん時はすみませんでした…と言うと
覚えてないなぁ、酔ってたしと優しく佐々木幹郎さんは言うのでした。

陽子さんの亡くなったのは、1990年だから
もう20年前のことになるのか…。
太田省吾が湘南台文化センターの芸術監督についたのも1990年で
そして僕は太田省吾の元でディレクターをしていた。
その関係で佐々木幹郎さんとも会ったような気がする。

佐々木幹郎さんは演劇もよく見られていて
状況劇場の四谷シモンやアートシアターの土方巽の踊りを観ている。
僕はそのあたりは鎌倉の高校生で
知識すらなかったと思う。
僕は東京に出てすぐ寺山修司だから
状況劇場や黒色テントを見るのは少し後のことになる。

控室でのお話はとても楽しかった。
文化圏の擦れのすり合わせという感じかな…。
人形に関しても、今の僕と佐々木幹郎さんとで少し見るものがずれている。
そこを話すのがとても嬉しい。

さて『人形記』
ここ何年か人形とかなり濃密につきあってきたけれど
一番、切実に思っていたのは、人形を語る言葉が、狭くなって
限られてきてしまっていること。
作家のいう言葉は時に、こう見られたいという願望であったりする。
役者の芸談と一緒で、聞いた膨らみからちょっとスラッシュをかけた方がよい時もある。言葉はますます削がれていく。

佐々木幹郎さんは、『人形記』で少し貧しくなっている人形に関する言葉を拡げている。詩人の言葉で、ドキュメンタリストの言葉で、そして驚きを素直に表現する、子供のような感覚で。

正直なドキュメントだ。
まず自分の近くにあった宇野千代の文学、そこに書かれた天狗屋久吉から入って行く。そして18回にわたる人形に関する取材を続けながら、人形の現場に近づいていく。この正直さがたまらない。
作る人の言葉を丁寧紡ぎながら、それを紙面に展開していく。そしてラストの三行に佐々木幹郎の言葉が出てくる。とても含みのある三行。

三行の向こうにある佐々木幹郎の思い、視線を想像しながら読む。
背後にある言葉は、別に隠そうしているわけではないので、じっとしていると聞えてくる。

対談ではその三行の向こうにある佐々木さんの言葉を
聞いた。
ストレートに話していただいたので
話はほんとうに面白く
興味深かった。
この言葉を
僕は現場で、また織りなおしていく。
自分たちの言葉として。
佐々木さんの人形に愛ある態度
(だって美術より上だと明言している。
人形や人形作家について記述された言葉。詩の言葉。
大切にしたい。大切にしてまた織物として使わせていただきたい。

まだまた話したいことはあったけれど
今夜はここまでという感じだった。