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保坂和志×小沢さかえ×今野裕一トークショー【後編】

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トークショーは、2015年12月4日に、パラボリカ・ビスで行われました。
保坂和志+小沢さかえ「チャーちゃん」原画展

前編はこちら




~猫と気象、網膜剥離とエコー反射、自分がいるいないの感覚

保坂(以下H) 今日気がついたんだけど、最初にチャーちゃんが登場して座って遠くから家を見てて、次踊ってるでしょ、あそこで家の位置が右から左にずれてるから、チャーちゃんはすでにだいぶ移動してるんだよね。その動いてる感というのは、たぶん感じてるんだよね。島田虎之介という漫画家も言ってるし、横尾さんも言ってたんだけど、ページ全編、どのページにも風が吹いているって。

小沢(以下O) 風の強さを少しずつ変えてみました。

H 最後バーッて強風になるんだよね。

今野(以下K) 保坂さんの小説で、猫にとっての風の表現は重要ですよね。読むほうとしては結構びっくりして、風の要素と猫というのを、文学で見るのは初めてなので。


H みんな気象のことよく知らないんだよね。僕は、天気によって猫の体調が変わるんで、天気予報をずっと見てて全部録画で溜まってるから。

O 録画しておくんですか(会場笑)。

H 体調が特別おかしくなったときと、天気を、もう一度すり合わせるわけ。今は天気図も気象庁のネットとかで調べられるし、自分の書いた毎日の天気のメモとか。日記はつけてないけど天気だけはつけてるの。とにかくその辺はやたら詳しいんで。年々気象庁の天気予報は、すごい精度が上がったというか色んなことを表現するようになってる。20年くらい前は寒気のことくらいだったのが、この春から暖気までやるようになったんだよね。昔は低気圧と高気圧しか、それもNHKの教育ラジオで「ウラジオストクで何ミリバール」とかそんなことばっかりで、温度と風力と何ヘクトパスカルの気圧だけだったんで。
 昔ながらの気象だと寒気暖気はなかったんだけど、実際に経験する気象でいうとそっちのほうが大きいね。僕、気圧計も買ったのよ。猫の体調管理っていうか守るために。ところがね、気圧が下がるよりちょっと前から具合が悪くなるんだよね。猫のほうが気圧計より敏感なの。気圧って、温度みたいには調整できないんだよね。気圧計というのは温度計より古くて(この知識はちょっとあやしい)、よく「健康のバロメーター」って言うじゃない。みんな知らずに言ってるけど、バロメーターって気圧計のことなんだよね。19世紀のジョセフ・コンラッドって人の海洋小説を読んでると、気圧がぐんぐん下がる、みたいなことを言ってて、19世紀にも気圧計はあるし、それ以前から気圧って測定してるわけ。温度計は16世紀くらいにできて、温度というのは、湿度とか風力とか関係してくるから、体感温度では違う。同じ15度でも雨の日と晴れて風の日ではまったく違うんで、そんなものじゃまったく分からない。だから今みんな何度っていうことで騙されてるわけ。

K 30何度で暑い、とか。

H 30度って目安になるんだけど。熱中症になるのは32度なんですよね。30度は十進法の区切りだからね、32度が重要なの。そういうことをさ、人間が数字に騙されてることを、猫はみんな分かってる。

K 猫の体温って大体一緒?個別差って結構ある?

H 人間よりやや高めだけど、やっぱり個人差はありますよ。
 11月頭に発見したんだけど、うちの猫が、目が見えなくなっていて。ハナちゃんって、元々目が一個なんだけど。動きが変なんでおかしいと思って。でも目が見えなくなってから一週間くらい分からなかった。で、慌てて病院連れてったら網膜剥離って言われて。網膜剥離は高血圧でなるんだけど。猫の高血圧の原因は腎不全なんだって、でも腎臓の数値はあんまり悪くないんだけど。うちの奥さんはネットで猫ブログ見るのが得意で、腎不全の数値、クレアチニンが2.0だと少し悪くなり出してるみたい。人間だと2.0って大変らしいんだけど。2.0でも高血圧で網膜剥離になってる猫が確かにいるということが書いてあった。はっきり気がついたのは11月20日で、かれこれ一カ月になります。最初の頃は少しの高さの段ボールにのせても、こわくて降りれなかったんだけど、だんだん足を伸ばすことをおぼえて、足伸ばして着く限りは降りる。今はこれくらいの段差でも降りるし、慣れてると、今まで好きだった椅子があって、そこへは最近ぽんぽんって行くようになった。階段の上り下りも3週間目くらいからするようになったし。
 大体、高齢になって高血圧で網膜剥離になるっていうのは、獣医にしてみれば珍しくなくて一目見れば分かるんです、目をのぞきこんで、「あ、網膜剥離ですね」って。獣医さんは半年って言ったけど、ブログ見ると、3カ月で普通に動き回れるようになるって書いてる人もいるのね。

K 目が慣れるっていうこと?

H 獣医に言わせると、エコー反射なんだって。全盲のサッカー選手も、本当にゴールの隅に蹴っちゃうんだよね。元々目の見えない人たちも、全部エコー反射で、絶えず自分の口、舌を鳴らして、それの反射で、ここに木があるとか木の形とかまで分かる。

K 手術して直すとか、そういうことは無理なんですね?

H 網膜剥離になった瞬間に気付いて、そこで一気に血圧を下げると、剥がれた網膜が眼球の水の中でクシャクシャになってたそれが広がって張り付くという例はたまにはあるらしい。だけど見つけるのも遅かったし、それはまぁ無理。で、本人がそのことを気にしてない。しばらく消極的になったりしてたけど、なんで見えなくなったとか、見えなくなってる自分を嘆いたりしないじゃない。たぶん猫は、自分の死ぬことも嘆かないんだよね。でも、一緒に飼われてる猫は、その猫が死んだことをすごく寂しがるの。仲が良いと。〈いる・いない〉っていう認識は、人間だと当たり前だと思ってるじゃない。猫にとっては、〈いる・いない〉っていうのは、他者に対しては思うけど、自分には〈いる・いない〉とは思わないんだよ。人間は、自分がいるというところから考えを作り出してるけど、これは違うなっていう感じがするんだよね。「我思う、故に我あり」というのはやっぱり違うなと。
 ただね、僕がエサあげてた外の猫は、最大13匹いたファミリーが、『未明の闘争』でも終わりころに出てきますけど、この間2匹になっちゃった。それも姉妹。ところが、元々ソリの合わない姉妹だったの。そしたら、今年(2015年)の5月15日を最後に片方がぱったり来なくなっちゃって。僕は貼り紙までしたんだけど、もちろん区役所とか道路の管理してるところにも聞いたんだけど、どっちもうちの近所ではいなくなってからずっと動物の死体処理の記録はないんですよ(動物の死体処理は庭と道路では担当が違う)。だからきっと、いなくなった方はテリトリーを替えたんだと。残ったほうは寂しがるかと思ったら、1匹になってせいせいしててすっごい元気なの。あんまりソリの合わない場合には、一人になったほうがせいせいするみたい。

K 2匹いたとき、何かあったときのリアクションはちゃんと持ってるような気はしますよね。せいせいする、っていうことも含めて。複数飼いしてて、1匹がいなくなると、2匹の関係と、人間との関係って、またがらっと変わるじゃないですか。

H そう。その残った子は、ほかに仲の良い子がいたんだけど、その時はすごい元気だった。そういうのがいなくなって、なんか一番マズいのと二人になっちゃったー、みたいな。今はまったく一人で、ごはんのときだけ僕に甘えたり、まぁ近所で何カ所かごはんくれてるんだけど。それで平気な顔して、ここ4年で一番ふっくらして肉付きも良いの。それは、ある意味、勇気づけられる。死んだ子たちにも。チャーちゃんは、死んだときに、初七日まで置いておかずに、僕は焼かれたらその場で納骨堂に置いてきちゃったんですよ。何でかっていうと、ほかの猫に対してもフレンドリーだから、チャーちゃんならやってけると思ったの。うちにいたほかの猫だったら、これはうちに持ってこないとたまらないと思った。

K 喧嘩したりいじめられたりする?

H うん。でもチャーちゃんならやってけると思った。チャーちゃんがいるから、その後うちにいるペチャやジジが死んでも、納骨堂にすぐ持っていけて「チャーちゃん頼む」という感じで。そういう意味ではちょっと特殊でしたね。ただ毎月行ってたけどね、命日に。今向こうに3匹で、うちに1匹だから、向こうは賑やかだから、お寺はあんまり行かなくなった。今度12月19日がチャーちゃんの本当の命日なんで、その前後には行くと思うんですけど。

K 個別にまつってあるんですか。

H 納骨堂に三人、同じ棚。新しく死んだ子に前の子の骨を合わせて並べてくれるんですよ。東日本大震災の後もすぐに電話して「納骨堂は大丈夫ですか」って(笑)、棚から骨壺が落ちてないか確認した。

K 保坂さんって、文学で書かれているような回路で猫のことを思ったりするんですか。たとえば気圧のことだったら、ここに台風が来なかったらこの子の運命がちょっと違ったかも知れないけどそんなこと考えるのもおかしい、とかそういうくだりがあったとして、普通の時にもそういう風に思ったりするんですか。

H それは普通に思ってますね。あそこで来なければ、とか。ちょうど台風が来たときに留守してたんで、良いと思って家空けちゃった何時間かのうちに、すごく吐いてるのを…吐くのって、便秘もそうなんだけど、その場にいないとショックがいまいちこっちに来ないんだよね。そのままうずくまってても、どれだけ大変だったかは吐いてる場面を見ていないと、なんか真剣度が不足しちゃう。

K 歳とってきたときの病気とかの、油断とか恐いですよね。若い頃はこのくらいの風邪だったら大丈夫、みたいな。

H うん。それで、体質だと思っていたものが、歳とると病気になるんだよね。この子は便秘がちだとか、この子は吐きやすいとか。それが病気の形になってくるんだよね。

O おしっこが出過ぎるというのはどういう症状なんですか。うちの実家の子が、ものすごい水を飲んで、最後死ぬ前の半年くらい…。

H それは腎臓の機能が弱まったということなんでしょうね。病名でいうと慢性腎不全。腎臓が老廃物を濾過する機能があるので、普通だと少量の水で体内の老廃物を濾過して排出することが出来るんだけど、濾過する機能が弱まったんで、沢山の水を使って出すことになる。出てくる水も、薄くて匂いも弱くなってて。それが腎不全。そこまでいくと大分ひどいから、定期的に血液検査してるほうが良いですね。病気相談だ(笑)。



~猫との最初、チャーちゃんの最後、延命は人間の執着?
 死ぬときは分かって死にたい

K 保坂さんは最初に猫を飼ったときからそんな感じで、猫へ向かってたんですか。

H いや僕はね、まったく猫のこと関心無かったの。そしたら1987年の4月に、まだ結婚してないうちの奥さんがさ、子猫拾ってきたのが4月19日で。

K 日付覚えてる(笑)。

H いやだって、それは誕生日みたいなもので。もっとも僕は病的に日付覚えてる。それはちょうどサクラスターオーが皐月賞に勝った日曜日でね。「子猫拾ったって、そんなの知らねえよ」みたいなこと言ってたんだけど。自分が出会った日は覚えてないんだけど、5月の後半に彼女の部屋へ行って、この猫だよってポンと背中に乗せられたらもう可愛くってさ。それっきり。
 さっきの、芸術と社会生活の話なんだけど、僕が猫を可愛がるのを見てて、「あ、こんなに可愛がっても大丈夫なんだ」って言う友達がいるんだよ。やっぱり自分でそんなに可愛がってると、馬鹿なんじゃないかとかおかしいんじゃないかとか、自己規制がかかるわけ。それでやっぱり、芸術っていうのは社会の枠を外すことの実践だからさ。いくら文章とか声明で「我々に言論の自由を」とか言ったってさ、行動で踏み越えなきゃいけないのが芸術なんだから。横尾さんの言う、「社会を変えるより自分を変えろ」という(笑)。
 それまで実家で犬を飼ってて、犬も可愛がってたけど、まだそのとき自分も若いしさ、やっぱり犬の散歩を一日休んで酒を飲んじゃう、みたいなことはわりと普通で、自分のほうが大事ってところがあった。そういう、自分が何々したいっていうのが少し薄れた頃に出会ったから、なおさら良かったんだと思うんですよね。

K 小説でも猫への気持ちが段階的に深くなってることが思い出されたりしてますよね。昔は犬を散歩に行くのもちゃんとやらなかったけど、高校生になった頃には、とか。その頃猫ちゃんもいたけどこんなにはしなかったけど、というようなことが書かれていて。創作とは言いながら何かが正直だなぁみたいな。

H そう、真心さってあるよ(笑)。10年以上前に、僕の昔からの友達が、女性なんですけど、犬飼い出して。結婚して子供いないから、犬めちゃめちゃ可愛がってて。そしたら「あんたそんなに連れて歩いてると、死んだらペットロスになるわよ」って言われたんだって。良いじゃん、なったってね。言ったその人ってなんなんだろうなぁと思って。

K うん。死んでからもいたことのあとの人生だもんね。大切な子がいなくなった後の人生だもんね。


H そうしたらね、鎌倉の友達なんだけど、2年くらい前の秋にその犬が死んだんですよ。ちょうど、共通の友達を介して、あの人が犬の四十九日をこの間やったという話を聞いてて、お正月に彼女の夫婦とちょうどすれ違ったときに「死んじゃったんだってね」って言って。「親が死ぬより全然悲しいもんね」って言ったら、「そう言ってくれて助かる」って。やっぱり親が死んだときより悲しいって言うと、人非人のように言う友達がいるらしい。なんか良い友達もってないよね。親死んだときより悲しいに決まってんだよね。

K 涙は…親死んだときの量よりも、猫ちゃん死んだときのほうが、100倍くらい出ちゃいますね。なんででしょうね。やっぱり人間の場合は全力でやっておけばとりあえず今やれることはやったかも、みたいな、向こうとも意思も交わせるときに喋っておけばとりあえずそこで了解があるけど、猫ちゃんの場合は、了解自体無くていつも置き去りにされるっていうか、あそこでああしとけば良かった、とか必ず思うし。知識も後からじゃないですか。僕も『未明の闘争』読んでたはずなのに、抗がん剤がどれくらい効くかみたいな話って具体名を挙げて書いてあるじゃないですか。でも今回ちょっとミスをして、父親のがんの時にきいたので、猫ちゃんにもきくだろうと…。抗がん剤を使った後で、元気になりかかったので安心したのがちょっといけなかった、調べるのを怠った。保坂さんの本を読んでるのにどうして頭に入ってこないんだろうと。

H 絶対入んないよ。うちだって高血圧の網膜剥離って、奥さんは一番親しい人の猫ブログでちゃんとそこを読んでたんだよね。でもやっぱり全然入ってなかった。そのブログの人っていうのは、猫が25歳まで生きたの。

K おぉ!

H 後半の3年とかは、全部薬の管理をしてる。そこで問題なのはさ、また猫の飼い方の話になっちゃうんだけど、あんまり生かすほうにこだわっちゃうと、それがなんか、何て言うのかなぁ、猫本人はそんなに生きることに執着してないのに、自分の執着を投影することになっちゃうから…。俺は、ある程度のところで、猫を執着から放してあげるほうが良い気がするんだけど、そういうことが夫婦で考えが分かれるんだよ。

K 保坂さんはどっち派なの。

H 僕はわりと…一番分かりやすく言うと、延命はしたくない。とにかく、過度に頑張らない。本人が生きてる間は、別れることを、あんまり「行かないで」ってことは言わないようにする。っていうか、そうしたい。でもそのときになってみないと、わからない。考えのとおりにはいかないから。

K まぁそれはそうだよね。猫の延命って具体的には?人間の癌なんかだと、モルヒネ打ったり酸素吸入したりとかだろうけど。

H 外のファミリー(猫)のおばあちゃんを僕の部屋に入れて最後10カ月くらい飼ってたんですけど、それを看取るときもそうだったし、ペチャの最後もそうなんだけど、突如引きつけがくるんですよ。で、そのまま逝っちゃうんだけど、呼び戻すと戻るの。それが何度かくるの。そのときに、最初は当然びっくりだから呼び戻すわけだし、まだまだそこから一週間か二週間くらいは生きるんだけど、一発目のときからすでに「呼び戻すべきだったのかなぁ」と。人間もそうで、重体の救急患者で搬送された人に医者は「寝るな!寝るな!」って呼びかけ続けるんだよね。眠っちゃ駄目、意識不明の重体は駄目なんだよ。とにかく意識を持ってないといけない。で呼びかけると戻るの。だから猫も戻る。でも放っておけばそれっきりになっちゃうんで。そこから後は、それが第二波、第三波ってきて、で3回目か4回目に死んじゃうんだけど。最初に呼び戻すべきだったのかって、その辺は分からないですね。

K 僕は今回看取った猫は、最後はホメオパシーにかかってました。そろそろショックがくるよ、というのは分かってて。で、きたときに、最初のトリガーでくっと上がったときに座薬を入れるんですよ。で、少し緩和して、こう。でも、どっかでは、後にもっと大きいショックがきて逝くので、それはもうしょうがない、なるべく痛くないように、つらくないように、すっと逝けるようにするけど、でも最後はきついのがきますから、やっぱりちょっとそこは。でもそれに応対していく、それも自分のほうのことなのかもな、って思ったりもしますよね。1回で向こうへ逝ったほうが良いのかも。

H 僕自身はね、死ぬときは、すっげぇ痛い思いでもつらい思いでも、して死にたい。

K ああそう(笑)。

H 楽に、とかあまり考えない。分かりやすいじゃん。死ぬんだ!っていう。

K 眠るように、じゃなくて。分からないのは嫌なの?

H そう。友達の山下澄人っていう小説家の劇団の、井上唯我ってヤツが30代後半で死んじゃったんだけど、ずっと腎臓の癌で治療してて。最後に「俺死ぬのかなぁ、このまま今死ぬのかなぁ」って言ったのね。友達のおじいさんも、死んだときに「俺死ぬのかなぁ」って言ったらしい。だからわりとぴんとこなかった死に方をする人もいるんだよね。
 親父なんかは、交通事故だったんで、あれよく分かってない気がするんだよね。僕は友達の映画の現場で交通事故に遭ったんだけど、そのときは対向車のライトがうわーっときて「これやばい!」っと思った次は、道路に投げ出されてて、ちょうど満月だったんだけど、真上を見てて。怪我人がいっぱいいて、僕は軽いほうだったからか、死んだと思って後回しにされた可能性もあるんだけど、自分で頭に手を当ててみたらすごい血が出てて、「やばいこれ何か考えないと、このまま馬鹿になるかも知れない」って思った。空にちょうど満月があったから、「名月や…」後が出てこない(会場笑)。それで何となく気絶しちゃったんだよ。

K それ…すごいなぁ。やっぱり文字の、言葉の人なんじゃない?

H まぁ何か考えてなきゃいけないと思って。

K だけどさ(笑)。「痛い!」とか「やばい!」とか「死ぬのか~!」とか漫画の吹き出しじゃなくて、文学になってるじゃない。すごいなぁそれって。

H 親父の場合にはそこで終わってる、バンッって当たって投げ出されて死んでる。自転車で脇道飛び出して、脇見運転したおばあさんの車にはねられてポンッと逝ったんだけど。その瞬間に「あっ!」というのはあったと思う。その後はずっと意識不明。しばらく僕が行くまで延命はしてたんだけど、「あっ!」までで終わってると思う。
 そういうの、猫の場合は、病気で末期の場合には自然に閉じてるのかなぁって。でも、チャーちゃんはね、まだ若かったから、4歳ちょっとなんで、すごい痩せたけど同時になんか余力もあって、20歳過ぎで死ぬ猫とは大分死に方が違ってた。白血病だから、毎日何時間かお医者さんに預けてて、最後の日は夕方にとりにいったら、診察台に横たわってて、僕と家内を見て「ニャーニャーニャー!」ってすごい怒ってさ、「何いつまでもほっとくのよ!」みたいな感じ。最後は籠にいれたら駄目で、タオルにくるんで抱いて帰ってたの。で、これは大分やばいな、と思って。そのときは雨上がりでよく晴れてた、12月19日の夜なんですけど。早くしないと間に合わない、早く家帰らないと、って徒歩5、6分のところ。抱いてたら、真上見て、やっぱりそのときも月が綺麗だったんだけど、「あーんあーんあーん」って3回くらい鳴いて、それで死んじゃった。だからどうのってことじゃなくて、情景としてはそうだった。

K でも聞いてると、猫ちゃんも、飼ってた人の生きたように死んでいくのかもね。だって死にかけたときも月を見て、そのときもしかしたら死んでたかも知れないわけじゃない。だから月見て「あぁー」って言ってる人と、チャーちゃんの最後に見た風景は、ほぼ一緒。

~誰かを失くしたときの揺れて柔らかい状態、
 いろいろな考え方を許してくれるのが芸術

H 実はこれの出版直後に、小沢さんの猫も死んじゃったの。

O 1カ月経たなかったですよ、たぶん。出て結構すぐぐらい。これ描いてたから乗り切れたような…まだ乗り切れてないですけど。

K そうなんだ…乗り切れないよね。僕11月5日ですよ。1カ月ちょっとしか経ってない。
 下に、ヒッピーココさんっていう、ぬいぐるみ作家の作品を展示しているんです。彼女も愛猫を癌で亡くしたばっかりで、テーマが全部猫。〈ネコダマ〉っていって、猫が魂になってる。僕が亡くした猫が黒なんで、「黒いネコダマ作って」って言ったら、「何言ってるのよ、猫は皆死んだら白い色になっていくのよ」って言って、僕は「あぁそうかぁ」と。だから小沢さんも、白でも全然良かったんじゃないの、真っ白でも良かったのかも知れない。でもこれはちょっと違うよね、魂じゃなくて実体だからね。ここに描かれてるのはね。

O まぁでも最後一緒に描いてたから、うちの猫は見ながら「ここに行くのか」って思ってたのかも知れない。これは勝手なわたしの思い入れですけど。というのがちょっと救いになってるというか。

H 元々絵本が出来る前から、自分の原作描く前から、誰の猫が死んだって聞いても、「あぁ大丈夫だよ、チャーちゃんがいるから。向こうでチャーちゃんが相手してくれるから」って思ってた。それほど性格が良い、フレンドリーな子だったんです。

O だからそれ言ってもらって、良かった。「チャーちゃんがいるから大丈夫だよ」って。

H 本当に、猫が死んだ瞬間、人が死んだときもそうなんですけど、残されたほうの気持ちとして、死んでまだ余韻があるときというのは、そういう社会的な区別とか常識とは違う、変成意識状態に入ってるじゃない。だから、「四十九日までには何をしてないと成仏しないぞ」とか言われると、簡単に騙されてそっちいっちゃうように、すごく揺れて柔らかい気持ちの状態になってるでしょ。それがやっぱり芸術だと思うんだよね。そういう揺れて、柔らかい状態。それが本当に形になって。チャーちゃんのフレンドリーさも、誰の猫が死んでもチャーちゃんが待ってるとか、チャーちゃんがいるからそっちは大丈夫だって言われるだけで、そんな他愛もないことでほっとしたり安心できたりするわけじゃない。何かそういうものが必要なんだよね。


K いろいろ考えても良いっていうのを許してくれる、きっかけをくれるのも芸術ですよね。どういう風に、いなくなった子がいるか、ということを考えても良い、みたいなね。

H 僕が中学くらいのとき、70年代前半に、山梨のおふくろの実家のいとこが飼ってる猫が死んでさ。田舎の家ってのは犬も猫も絶えずいるわけよ。次に行ったときには別の犬か猫がいるみたいな、簡単に代替わりしていくような気楽な飼い方をしてるんだけど。その中で僕のいとこ、12、3歳年上のお姉ちゃんが、猫が死んだときに着物着せてあげて箱に入れて庭に埋めたんだって。それを、おばちゃんたちとかはみんな、甲州弁で言うと「あんなおきちげえさんのようなことをして」って、気違いのようなことをして、っていう風に言われちゃうようなところで、あのお姉ちゃんはよく頑張ったなと思う。自分ひとりで、その悲しみを誰も共有してくれなかったわけだから、あれは偉かったなと思うね。

K 保坂さんはいまどれくらいの猫とかかわってるんですか。

H 外も1匹、中も1匹。それ以外は、僕も来年60になるから、もう子猫は飼えないわけですよ。猫も15歳過ぎると手間かかるようになるから、自分も75で老老介護だからさ(会場笑)。今もうちのハナちゃんに結構薬飲ませてるんだけど、朝と夜の分量とかがうっかりすると分からなくなってるんだよね。だから、これは頭きちんとしないと無理だなと思って。
 それとか、面倒くさいからこっちでいいや、これやったからこれは要らない、みたいな誘惑がおきるんだよね。

K 人間の理屈で相手したら可愛そうだもんね。ありがとうございました。

協力/永松左知





★書籍情報『チャーちゃん』

保坂和志作・小沢さかえ画
定価:1,400円+税
発行:福音館書店