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保坂和志×小沢さかえ×今野裕一トークショー【前編】

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トークショーは、2015年12月4日に、パラボリカ・ビスで行われました。
保坂和志+小沢さかえ「チャーちゃん」原画展



~生と死の境をふりはらう、猫を可愛く

保坂(以下H) 僕はこんな短い文章しか書いてないので、小沢さんが大変苦労して。最初に、どうしたの?

小沢(以下O) まず途方にくれて(笑)。もうこれで良いじゃないか、というくらい文章が完成されていて、絵を付けてもばらばらになっちゃいそうだなぁというか、絵が要らないものになりそうだな、というのがあったので。絵と文章が一緒に存在する意味を、最初はずっと考え続けていた気がします。

H そこから考えたんですか。
小沢さんには見せていないんだけど、キース・ヘリングのイラスト集があるんです、出版は2000年。絵本のモデルのチャーちゃんが死んだのは1996年の年末。僕は毎日泣いてるわけじゃないけど、たまにドドーッと思い出す瞬間があると、んー、とか思ってた。で、このイラスト集を見て、とくにこの辺(9見開き目)を見たときに、「あ、そうか!チャーちゃんは踊ってるんだ!」って思ったの。本当に、これを見てすごくビジョンを与えられて、こういう風なイメージを創り出せれば、チャーちゃんが死んだ今、自分がもっと楽になる、と言うと大雑把すぎるんですが、死ぬってことをもっと明るく捉えられるというか。死ぬことの問題というのは、死んだ瞬間とか、死に至るまでの治療の日々というのが、どうしても頭から離れなくて、ただそれは生きている時間のほんとに一部なんで、生きてたほうをしっかり自分の中で思い出さないと、死んだ子たちも不幸になるという感じがした。

 僕の友達の一人で、『季節の記憶』の蛯乃木くんのモデルの多田ってヤツは、このお終いのはじけてる絵を見て、これからはこれをお寺の襖絵にしてほしい、極楽浄土の絵のかわりにこれを貼ってほしい、と言った。それぐらい彼はこのお終いのほうの絵で感動したんですよ。
 僕はもともと、短く書けたのは、絵本にするからということがあった。誰が絵本にしてくれるとかは考えてなくて、とにかくこれは絵本の元になる言葉なんだ、と思ってるから、散文でもないし詩でもないし。僕の中ではまったく言葉で完成してるわけではないし、あらためて絵本になったのをページをめくっていくと、やっぱり脈絡はないんだよね。普通だったら「しかし」「だから」「それで」とかって繋がなきゃいけないようなものは何も無いから、それはページをめくることによって接続詞がわりになるっていうかな。
 もともと、なんで詩は改行するのかというと、接続詞を要らなくするためなんだよね。だから一行終わって次の行に行くときには、どういう気分になるかは分からない。そんなに丁寧に次の行の説明はしないから、その都度自分で考えて、って。だから詩は一回読んでも分かんなくて、何回も読んで、それぞれの人が詩の全体の流れとかを考える。
 だから、小沢さんはそう言ってくれたけど、元のテキストというのは『カフカ式練習帳』っていう色んなものを集めた本にポンと入っていて、あの本を読んであそこが良かったと言った人は一人もいないの。

O ふーん。

H 小沢さんにはそこだけが特別に渡されたから、きっとそう思ったので、そこからはやっぱり全部小沢さんの作業。僕のイメージとしては、本当に簡単なメロディーだけタタタタッって書きなぐった譜面が一枚だけあって、それを福音館の岡田君に渡して、岡田君がオーケストラの編成とかを考えて、それで全部オーケストレーションを組んで音を鳴らすのは小沢さんの作業だったという感じがする。

今野(以下K) でも僕も、あの文章は絵本のために完成された作品だと、今の今まで思ってました。『カフカ式練習帳』はこの間保坂さんにカフカのインタビューをするので読んだけど、カフカのところだけ読んでいたんだ、読者ってほんと自分勝手だね。僕は『未明の闘争』昨日から今日にかけて読み直して、自分が最近猫ちゃんを失ったこともあって、やっぱりそこを中心に読むというのも変だけど、そこが体の中に入ってきちゃう。以前と随分違う印象で小説を読みました。

H ネットで色々読者のレビューが載ってる「読書メーター」で一昨日くらいに見つけたのが、死んだ世界をこんなに明るく楽しく書いちゃったら、自殺願望もってる人とかに良くない、みたいなことを書いてる人がいた。前にも別の人が、これはよく考えてみると死後の世界だからチャーちゃんはお化けだ、って。そこを分けて考えることがもうすでにおかしいわけ。その考えを振り払うために、僕と小沢さんが考えたわけだから。
 芸術全般っていうのは、普段生きている社会の常識で「これとこれは別のものだ」って考えてたら駄目なんだよね。でもそういうことも、本になった時点ではすこし気持ちをよぎっていて、こういう風に死のことを無責任に明るく言ったらいけないんじゃないかって。そういう人も出てきたら逆に反論する機会もあって良いなぁと思ったんだけどね。

O わたしはもっともっと出てくると最初思いました。岡田さんとの話で、そういう反応も想定できるから、それが来ても反論出来るくらいの突き抜けたものにしないといけないということは言っていました。思った以上にこなかったなと(笑)。

H やっぱり仏教の極楽浄土のことを「そんなこと言ったらみんな死んじゃうよ」みたいに言う人いないからね。それがあるから生きていけるわけだから。

K 向こうで待ってるとか、向こうで呼ぶ、という感じは、実際に失うとよく分かりますものね。今ここに骨があるんだけど、この子の魂はどこに行っちゃってるんだろうか、とかね。ここにいる、あるんだけど、待ってるのかなぁとか、いやその向こうではもうのんきにしてるのかも知れない。でもこの本を見た瞬間に救われる気がした。

H お化けでも出て来てほしい、と思うもんね。

K 迷わず成仏してくれ、とは思わないですよね。いやもう、成仏しないでここにいろよ、彷徨って取り憑いても良いからとりあえずここにいろよ、って普通に思いますもんね。でも保坂さんはその気持ちからようやく解放されて、向こうで遊んでても良いかなっていう気持ちになられたのかなと思います。

H キース・ヘリングのこの絵と出会ったことは本当に大きくて。ただ、向こうで楽しくしてるっていうのは、逆に言うと、死ぬ前、病気になる前までの元気だったときに戻ることでもあるわけだから。だから前とか後とか考えることも、もうすでに間違っているのかも知れない。
 最初、僕は1回小沢さんの絵にダメ出ししたことだけは記憶にあるんだけど。どんな感じだった?

O 何を言われたんでしたっけ、「猫をもっと可愛く」というのは最初からずっと言われてましたけど(会場笑)。猫を可愛く描くっていうことの難しさがあって、リアルに描くと恐くなるし、あまり媚びた可愛さを出すとキャラクターになってしまうし、そこの加減が難しかった。本当にいそうなんだけど、でも実際の猫とは違う、というところが。

H でもさ、猫可愛いじゃん(笑)。

O そう、だからブサイクに描いたって、猫は可愛いもんは可愛いんだ、っていうのは思ったんですけど。保坂さんの「可愛く」っていうのはどういう意味で可愛くって言ってるのかなぁとか。

H この柄はどっから来たの。

O 柄は、緑とか自然の風景の中にいて溶け込みすぎないような柄。白っぽい感じにしたかったんですけど。真っ白にしちゃうと、存在がふわっとしちゃうし、茶色にすると画面が沈んじゃうかなと思って。最初に三毛を描いていたら、保坂さんが「オスに三毛はいない」って言って(笑)、一回白くして、乾くの待って、というのをやりました。柄入れるのは結構最後のほうにしたんですよね、最初は真っ白で描いていた。
 保坂さんからは、構成についてとかじゃなくて、本当に猫についてのことだけ言われた気がしますね。後はなんかもう良いじゃん!みたいな(笑)。


H あとね、アナーキーさが足りない、ってことは言ったんだよね。

O 最初「みんなのうた」みたいにして、っていう一言をポロッと言われましたね。

H それは覚えてないんだけど、言われると、そうだろうなぁと。

O それで「はい、分かりました」と言ったものの、そこもちょっと途方にくれました。

K 絵の中のチャーちゃんの感じと、自分が飼ってられた時の感じは、もちろん違うものだし、創作の中でも沢山描かれてますけど、小説に書いてあることと、自分の飼っていた感じとは、差がないものなんですか。保坂さんの小説にはチャーちゃんもいっぱい出てきますよね。

H あのね、それは違いはある。絵のチャーちゃんは、チャーちゃんとは別物だし、チャーちゃんだけは生きてる時間に小説に書いたことはないんですよ。『カンバセイション・ピース』という本の中で、3匹猫が出てきて、そのうち今生きてるのは1匹だけなんだけど。3匹がいる情景を、その本では3匹が生きてるときに書いていて。この間また河出文庫から出たから、チラッと読み直してたら、偶然開いたところが猫が生きているところで。僕は自分の書いた本ってほとんど読み直さないんだけどさ。で、偶然そこを見たら、やっぱり生きてるときに書いてると、本当に生きてるように書いてるんだよね、自分でびっくりしたんだけど。まったく死んだ回想の気配がなくて書いてるから、本当に生きてるようで、そこを読んでて泣いちゃった(笑)。そういう違いがある。

K 今の時点から、猫が亡くなられたときのこととか病気のこととかを書かれてますが、こっちから書いて、そこはそうだったかという過去の感じで書いているよりも、今も過去も両方に存在感があるみたいな書き方をされてますよね。

H 自分の中では、死んだものへ、今の時点から過去に向かって気持ちを持っていってる限りは、泣いちゃうみたいな混同は起きないんだよね。



~はじけてぶっとんでる絵、「みんなのうた」レベル

H 京大の先生で、精神科医の新宮一成って親しい先生がいて。この本が出たときに大絶賛の電話をくれたのが、横尾忠則と、その新宮一成。新宮さんはラカン派とフロイトの精神分析が中心なんだけど、新宮さんもやっぱりこの絵が、ヨーロッパ的なものを自分の中でうまく昇華させてるって言い方をしたかな。二人とも、絵があるから、言葉がちゃんと伝わる、って言った。
 お終いの4枚がはじけまくりなんだけど、小沢さんが「3枚は描けなかった」って言ったじゃん。

O そうです。左上のものは最初に決まってたんですけど、あとの3枚をもう永遠に描き直し続けていて。サイズが大きいのは、モチーフが沢山入っているから、大きめにしたほうがのびのび描きやすいっていう理由だけなんですけど。1枚につき一ヶ月くらい描いて、コツコツやってたんです。で、それがダメ、ダメ、ダメ、っていうのが繰り返されて、一年近くこの3枚にかかってた気がする。最後の最後でもう入稿しないと間に合いませんというのを、締切の一週間前くらいに言われて。で、まだその3枚が描き上がってなくって。でも、もう描けるなってところまできてたので、時間は関係なかったんですけど。だからそれぞれ2日ずつくらいで描き上げたんですよね。

H その、ダメです、ダメです、っていうのは、描いたものを岡田くんに見せて言われたの?

O そうです。こうじゃないでしょ、みたいな。

H そうか。でも一番意外なのは、締切があったんだ、ということだよね(会場笑)。

O あったんですよ。

H 2012年の2月か3月に、小沢さんと岡田くんと3人で会って、小沢さんが「描きます」って言って。一年後くらいに最初のが出てきて、「これは~」って言ってやり直しになってから、ずーっと何もないから、僕はもう諦めたのかなと思ってて。本当に諦める人っているんですよね。でも小沢さんにとっては、そんなこととんでもない、失礼なこと言うな、みたいなね(笑)。「それずっとやってたのかぁ!」 って、人の話聞くと驚くんだよね、自分もやるんだけど。やってる本人にとってはあんまり時間って関係無いじゃん。何ヶ月かかった、何年かかった、っていうのは。でも人の話聞くと、えーっそんなにかかったのかぁって思う。

O その空白の期間っていうのは、わりと意図的で、もうここにくるまでは、保坂さんに見せずに行きましょうっていうのがあったんですよ。見せると、みんなが混乱しちゃうから、描く側である程度というか、これを見せたら保坂さんはもう納得するしかないだろう、というところまで出し切ってから、保坂さんには最後に見せましょう、という感じにしてたのが、音のしなかった期間だと思います。そこにいくまでに、非常に時間がかかりました。

H 横尾さんも言ったんだけど、これ4枚全部が結構破壊的なんだよね。最初の1枚目が、これは僕は火山の噴火に見えるんだよね。誤解する人が出てくるからあんまり大きい声では言えないんだけど。あと、突風で吹き飛ばされるのと、津波に流されてるみたいな。
 岩手に住んでる親しい人で、津波の被害にはあってないけど深く関わってる人が言ったのは、「この絵本からは、津波に対する鎮魂も感じられた」って。関わってない人、当事者じゃない人が口を出すと、津波の被害者の神経を逆撫でする、みたいなことになるんだけど、当事者は逆のことを言うんだよね。だから何かその、破壊的なイメージと、はじけて幸せな、ぶっとんでる感じというのが、つまり同じであるということ、その違いも無いんだよね。生きると死ぬの違いも無いと同時に。
 だから、この絵本でチャーちゃんが海を見てるところで、「死ぬ と 生きる の、違い? よくわかんないな。」って言うんだけど、ここだけは一応書いた人間として解説しておくと、というか書いたときは思ってなくて絵本を見て思ったんだけど、「よくわかんないな」っていうのは、そういうことを訊く気持ちがよく分かんないな、ってチャーちゃんは言ってるんだよね。生きると死ぬがどう違うのかが分かんないんじゃなくて、「なんでそんなこと訊くの?」 っていう。それが全編に、なんでそんなこと言うのかなぁ、そんなこと関係無いじゃん、っていう。かろうじて形あるものとしているだけ、っていう。そういうのが、社会常識ゴリゴリの人から見ると、津波の被害者の気持ちが、とかってなるけど、それはやっぱり、その先にはきっともっと幸せがあんだよ。そういうものが無いかのように生きている我々がおかしいんだよね。
 僕は最初好きになったのは、この絵なんです(夜の鳥と遊ぶ絵)。最初っていうのは、絵本がまだ形になる前のゲラ、色校だったんですけど。そのうちに、この草原を走るところが好きになって、目玉の大きいところが好きになって。「どれが一番好き?」とか言われると困るんだよね。あとね、本当に単純に、チャーちゃんが踊ってる2枚は、嬉しいんだよね、ほっとするんだよね。「あー良かったぁ」みたいな感じがするんだよね、どうしても(笑)。これはビジュアルの力だよね、本当に。


 僕が小沢さんに「みんなのうた」って言ったことをみんなは知らないんですけど、ある友達がこの絵本を「みんなのうた」にしてほしい、って言った。

O 文章にメロディーをつけるっていうこと?

K 良いんじゃない。でもアニメーションにしないほうが良いかもね。

H 僕わりとね、「みんなのうた」というのは基準になってるの。相当高いレベルにいかないと「みんなのうた」というイメージは出てこないんだよね。「みんなのうた」の中でも、良いのは年に1曲か2曲。「みんなのうた」の真似したような「みんなのうた」とか、ほかのポップスでも通用するような「みんなのうた」とかは多いじゃん。

K 最近お気に入りのとかはありますか。

H 最近じゃなくてリバイバルで、何年か前にやってる「月のワルツ」(2004)とか。らららんらんらんらららん♪ってオルゴールみたいので始まって、作詞は湯川れい子です。あと、これももう3、4年前、相対性理論(やくしまるえつこ)って人がやってる「ヤミヤミ」(2012)とか。あと毎回泣いたのが、「クロ」(2005-2006)っていう歌。あれはあんまり良い歌とは思わないんだけど、いつも出会うクロっていうのがいて、それが死んじゃう話で、そんなに良い歌じゃないんだけど話として泣いちゃう、みたいな(笑)。

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協力/永松左知