2004/10/23
空の身体
クローン化した身体
それは存在する前に
イメージとして
我々の肉体を席巻する
身体は空である
そうなると
その空の身体に存在する
私は
何なのか?
という疑問が発生する
微かに残る
幽霊のようなゴーストが
魂であると
そしてそれも確かなものではないような気がすると
空の身体論が流布するなかで
生まれたきた身体の一つが
限りない個性のアウラを持つ可能性を
今、一度、追及したいと
H.R.カオスの「白夜」は
身体は空ではない
私はここにいる
どれほど魂が幽玄な存在になろうとも
私はここにいる
という考えのもとに作られている。
2004/09/24
イノセンス2
DVDのイノセンスには
長い前置きがあって
押井はそこでイノセンスの
見方を指示している
ユリイカでも公開と同時に
押井は自作を解説しまくっている
戦略本を同時に出しているのと同じだ
ねたばれということもあるが
作品よりも語りたい
押井がそこにはいる
イノセンスは
それ自体が「ユリイカ」のような
批評誌なのだ
押井はユリイカの編集長なのだ
イノセンスから考えることは
いろいろあるが
作品のスタンスは
楽しめない
2004/09/22
イノセンス1
球体関節人形は
頭蓋の内側と足の裏側を
くにゃりと曲がる力の
テンションで繋いでいる
土方巽は
舞踏は命がけで突っ立った
屍体だと言う
まさに立つという身体の基本が
動きの美しさを保証している
立つことと
球体関節人形の力学は相反する
球体関節人形のバトルシーンがあるが
当然のこと
描かれた人形の
動きも肉体の表情も
美しくない
人形のボディの魅力を引きだせていない
押井守が30年来のベルメール
という気持ちも分かるが
人形を持ち込む必要があったのだろうか?
人形は四谷シモンや吉田良やベルメールを
引用している
それぞれの人形がもっている背景とは関係なしに
ただ姿がそこにある
2004/09/17
イノセンス3
アレキサンダーシステムでは
身体をどれだけ意識化するかという
訓練をする
目を瞑って
どこまで身体を確実に意識できるか
私はせいぜい膝ぐらいまでだ
ダンサーたちは
指の先まで意識できると笑う
ボディコンシャスが
弱くなってきているのだろう
生物的に
その中で押井が
意識できなくなった
ばらばらの身体をかろうじて保持しながら
ゴーストで存在する生命体を
描いたことを
私は美しいと思う
そのことでは押井守に共感する