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『屋根裏の散歩者』江戸川乱歩 1925

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奥山茶屋側の十二階があったあたり

30年ほど前に、カメラをもって彷徨い歩いていた頃はひょっこり侏儒のカップルが目の前を通っていったりした。
だけどそれは違和感のない風景で、とりたてて何かをする気にもならなかった。改めて探して見ればネガの中にそんなカップルが写っているかもしれないが…。

十二階にインスパイアーされて書いたという『屋根裏の散歩者』は、塔から覗くのではなく、下宿館の屋根裏から殺人を犯そうとする三郎の話だ。読みながら思い出したのだが、自分の家も北鎌倉の古い家で、趣味で押し入れに寝起きしていたことがある。そして同じように押し入れの一番端の天井板は簡単に動かせて、そこから天井裏へ入ることができた。電気工事や屋根の補修のための入り口というのもまったく同じであった。

天井板は薄く乗ったらばりばりと壊れてしまう。梁を歩く他はない。ネズミの足跡がたくさんついていた。

『屋根裏の散歩者』の面白さは、三郎の心理を一人称で書いているところであり、事件を解決する明智小五郎は、犯罪者が犯罪がばれてしまったときに陥る、茫然とした感じを描きたいがための設定である。妄想の変態から、ふとしたことで実行にうつし、それがばれてしまう心理を描いている。かなり面白い作品だと思う。

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変態度をアピールするために、明智小五郎と郷田三郎が犯罪話をするシーンがあるが、そこに出てくる子どもを殺して養父のハンセン氏病を直そうとした、その実、養父を殺した野口男三郎や、小酒井不木が書いたウエブスター博士のこととかが、当時の猟奇流行を反映していて興味深い。

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妲妃のお百とか蠎蛇お由だとかいう毒婦の様な気分で…と郷田三郎がひとりごちする。妲妃のお百と蠎蛇お由は、三代目田之助が得意にした出し物で、現代では澤村宗十郎さんが国立劇場で、復活上演された。さらっとこのあたりを書く乱歩である。

毒婦は、悪婆ものと言われていて、悪婆とは役柄の名称で別に歳をとっている設定になっている訳ではない。美しい女形が汚れるというのが良いところで、当代で言えば玉三郎さんだろう。玉三郎さん実際にそうした自虐的な役で妖艶に煌めいて見せる。
宗十郎さんは、シェークスピアで言う阿呆の役ができる方で、大らかなユーモアの演技力は比類ないものだった。宗十郎さんの悪婆もまた素敵な演技で、悪さを感じない、それでいてどんどん逸脱していく破天荒さを出されていて、これまた澤村宗十郎ならではの芸だった。

update2008/05/29