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筑紫哲也 井上陽水 川島裕二

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筑紫哲也の追悼番組思わず、じっと見てしまった。
最後は井上陽水の『最後のニュース』、君にグッドナイト。君にグッドバイ。
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最近のスタイルの弾き語り。キーボードは最近のキーボーダー小島良喜じゃなくて川島裕二だったような…はっきりとは分らないけど。
関係していたEP-4の、そして安全地帯の隠れキーボード、そして井上陽水のアルバムのアレンジャー+プレイヤー。数多才能をもちながら何度か収監されでる度に陽水がアルバムに参加させてきた。banana(川島裕二)のために出したようなアルバムもある。筑紫哲也とのお別れに川島を連れてきたことに深い感慨を覚えた。
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朝日ジャーナルでバイトしていたときのエース・ライター。そしてその時、僕は田中角栄裁判の傍聴券とりの並びをした。券を渡したのは立花隆。2次試験まで通り切り札の推薦状2枚を持ちながら朝日新聞社の試験に落ちた僕は、そののち何年かして夜想を作った。その頃、筑紫哲也は朝日ジャーナルの編集長として、新人類、若者の神々というシリーズで時代をリードした。80年代僕は、その取上げられたようなクリエイターと仕事にしていた。EP-4というバンドのカセットブックやレコードを出版した。ツアーにも参加していた。川島裕二は。EP-4で信じられないほどの才能を煌めかせていた。
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80年代以前の朝日ジャーナルは独特のカリスマ性をもっていた。試験を受けた僕にはそれが左に片寄っているとは思えず、むしろ朝日新聞を含めた新聞の右傾化を心配していた。ジャーナリストを目指していた僕は、朝日ジャーナルしかないなと子供心に思っていた。その朝日ジャーナルの姿勢を受け継いでいるのが筑紫哲也だと思う。もちろん当時のジャーナルにとって筑紫哲也はむしろ軟弱な部類に属していたのだが、今や硬派になってしまったところに日本の地盤液状化の現象が見て取れる。最後のメッセージも癌に侵された日本への警告を投げていた。敗戦をベースにしたジャーナリストというのは、時代的にももう出てこない。戦争を体験的なことを含めて、アプリオリに悪いという感覚で語れる最後の世代になってしまった。戦争が悪いかどうかということを論じなくてはならなくなっているのだ。それは人を殺して悪いかどうかを論じなければならなくなったということと似ている。論じなければならないように時代が変わっているのに、一向に論じようとはしない。たぶん日本の液状化はもっとすすんでいくのだろうと思う。どうするのか。
筑紫哲也も言っていた、状況が分っても治療は難しい。それでも状況はきちんと把握すべきだと。

update2008/11/12