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『サマー・スプリング』 吉田アミ

DSC09397.JPG

アップリンクのサイト『DICE』でhttp://www.webdice.jp/dice/detail/1770/
ペヨトル工房のことを書いている吉田アミ

いったい何者なんだろうと
『サマースプリング』
を読んでみた。

思いだしたのは10年以上前
父親を鬱で失ってその現場に立ち会わされて衝撃を受け
そのまま罪悪感のようなもの(自分がその朝、死ぬと言った父親に死ねばいいじゃんと返したこと)
を持ちつづけ抜け出せず
その時のことを10年以上何度も何度も書き続け
それをギャラリーで発表して
少し抜け出せた
という人のことだ。

なぜかその作品にあった一週間の間に
3人の年下の友人に
父親の鬱死を告白され
それが残された家族に傷と影を落とすことを聞かされた。

子どもの頃に体験したことを
書き続けて客体化して
少しどうにかする
ということにこの作品は何か繋がっている様な気がする。

しかし
ここで描かれているのは
世界が終わった後に生まれた子たちの
世界観とそれゆえに浴びてしまう
様々な傷害だ。
傷害についてではなく傷害そのものを書いている。

吉田アミは対象に対してダイレクトにあたる。

廃墟とか
デッドテックとか
滅びるとか
世界の終わりの果てにとか
80年代はずっと終末を言い募ってきた。
それが文化のイメージだった。
その世界の果てと言われる時代に産まれた子たち
生まれた時から世界は果てになっている。
もちろん、重要なことはそれがイメージ優先であり
それは呑気なクリエーターたちが作り出した
幻影であったということだ。

しかしこの時代幻影は現実を引っ張る。

そこに生まれた子たちが
迷惑にも
そしてしょうがなくも浴びてしまうもの。

それを受けたものと浴びさせてしまった世代ととのギャップは限りなく大きい。
今、そうしたものが自分の前に
ふっと現れる。これももう一つの必然、もう一つの運命のような気がする。


update2009/12/02