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平成中村座

染五郎が…。

猿之助さんは、自分で歩くと言いながら、仲見世の入り口までもたどり着けなかった。かつて自分の動きが鈍くなったらもう舞台に出ずに演出に廻る、それをちゃんと言ってくれる人を側に置きたいと宣言していたが、そうはならないのが歌舞伎で、あんな歳にまでなって女形をやるなんて、私は絶対に自分にそれを許さないと公言しながら、やはり歳をとっても舞台にあがるものだ。老いに至ったときの過ごし方は、それはそれで興味があって、妄執というのも良いし、あっさりと後進に譲るのも良い。猿之助さんは、襲名披露で舞台で演じたいという思いを強くしている。

澤瀉屋がお練りをしているその頃、浅草寺の脇を抜け、浅草神社を通って江戸通り、浅草六丁目、聖天様、山谷掘り…と歩けば、平成中村座に着く。ちょうど、出し物は、勘九郎と染五郎の「三社祭七百年記念・四変化・弥生の花浅草祭」。若手のスピードを十分に活かした振付は、さすが、藤間勘十郎。当代、すべてのジャンルの振付師の中でも僕の大好きな人。踊り手の身体の特質に合わせて振付けるのが好き。


染五郎の踊りをそんなに気にしていなかったけれど、ある時、ちょっとした踊りでふっといいなぁと心を惹かれる時があって、見るようになったが、それはいつも勘十郎の振付けだった。それから勘十郎振付けかどうか見るようになったが、染五郎との組み合わせは相性抜群のような気がする。勘九郎、染五郎、勘十郎振付けで、それを目的に昼の部に駆けつけた。期待通り。二人の息があったデュエットは、素晴らしかった。このスピードは今でしか実現できないだろうし、勘九郎の良さも十分に引き出していた。


平成中村座、今回は7ヶ月間、浅草で興業をした。病明けの中村勘三郎、終始真面目に舞台をつとめていて、それゆえにどこか本調子でないように思えた。しかし勘三郎ただでは起きない。座頭としての力量をいかんなく発揮して、自分の出番を控えめに、若手の育成や実験を繰り返していた。菊之助を立役として起用し、声を嗄らして熱演する真面目さに、カーテンコールで、良くやったと舞台上で褒める粋さはたまらない。いよぉ座長と声をかけたくなる。

菊五郎は劇団のヘッドとして素晴らしいが、勘三郎は、かつて浅草にあった江戸三座・中村座の座主、中村勘三郎の名を継ぐ役者だけあって、劇場主としての力量ももっている。菊五郎や猿之助が劇団制を活用しているのに比べ、勘三郎は劇団よりむしろ座の元に集まる個性の組み合わせに興味をもっているように思われる。菊五郎さんはむしろさっぱりとしている人で老醜とは縁ない。(今のところ…)先代松緑が、二月堂のお水取りに取材して舞台化した、『韃靼』も菊五郎さんの隠れ十八番だったのに、あっさりと松緑さんに譲ってしまって自分は出演もしない。千代の富士にすべてを譲った北の富士のようだ。共通は、粋な遊び人ということか…。

勘三郎さんが『め組の喧嘩』初役とは知らなかった。それにご祝儀を出したのか、團十郎さんの体調を気づかってのことなのか、今月は、関西で團菊祭が催されているのに、劇団の立廻りメンバーが「め組」に総出演してる。しかも菊十郎、橘太郎という劇団の看板立師二人が、腕をふるっている。「め組」をやるならうちのわけぇもんがいるだろう、もってきな……ということなんだろうか。真相は分からない。立廻りは勘三郎さんのところの立師に気を使ってか、今一つだったが、久しぶりに菊十郎さんの鰹売りを見れたし、橘太郎の絶品、白須賀六郎が見れたし、さすがに勘三郎さんの役者配置は素敵なものがある。

菊五郎さんは菊之助さんにおそらく立役を教えていないだろうから、それを経験させようとした勘三郎さんということもあるし、同じように勘三郎さんは新勘九郎に、自分を追ってこいとは言っていないような気がする。むしろ新しい勘九郎を作れと命じているようにも思う。この7ヶ月の勘九郎は、予想以上にしっかりと床を踏んで演技をしている。古風な歌舞伎の時代の錦絵に出てくるような、荒事が似合うような、そんな風をしている。菊五郎劇団で武者修行する勘九郎というのを見たい気もする。実現したらいいなぁと思いながら、僕の平成座は幕を閉じた。

update2012/06/04