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松丸本舗主義 松岡正剛
三年で終了になった松丸本舗の背後には、語られないいろいろがあるだろう。松岡正剛は、丸善の経営母体が何度も変わったことを書いている。松岡正剛は、ずっとメジャー企業と組んで仕事をしてきた。後から内部暴露をしたりするような人ではない。それにしても本そのものの機能が低下、変化という本来的な問題に挑戦していたにも係わらず、現実には、企業経済の再編成の迷走に翻弄された三年になってしまったのは残念でならない。
松丸本舗での松岡正剛の挑戦は、ある意味、森村泰昌の21世紀に入ってからの活動にも似ていて、モダンという価値観で、本の魅力と機能の再確認をさせる仕事だった。そのコンセプトと軌跡が、『松丸本舗主義』にドキュメントされている。
本の業界の再編成は、2004年の青山ブックセンターの一度目の倒産から顕著になってきた。賀川洋という講談社フェイマススクールで事業をしていた男が、タトル商会を手に入れ、そのタトル商会が業界第一位の日本洋書販売を飲み込み、さらに倒産した青山ブックセンターを手に入れるという動きがあった。最終的な野望は、本の出版、流通、書店という流れを一社で行うということだろう。
日本洋書販売は、あっという間に倒産し、青山ブックセンターは、今は、ブックオフが運営している。再編成は加速する。そのブックオフは、大日本印刷、丸善、TSUTAYA、そして集英社、小学館、講談社、図書館流通センターの資本で運営されている。丸善、図書館流通センターは、大日本印刷の支配下だから、事実上、大日本印刷の経営と考えて良い。
賀川洋の野望は、大日本印刷に引き継がれ、印刷、出版、流通という流れを大規模に支配しようとする動きは現実のものになった。流通も新刊と古本両方を扱えることになると、再販制度の維持と言うような長年問題になっていた出版界の旧習を一気に吹き飛ばす根底からの変化が訪れる。
ただし再編成は、理念と経済感覚をもってなされるべきで、今、外から見ていると、混迷がさらに深く、そして出版不況を助長しているようにしか思えない。松丸本舗の実験の成果が、松岡正剛のコンセプトが、その再編成のトップに置かれるべきだったと改めて思うのだ。大日本印刷にその思惑はなかったのだろうか。
松岡正剛の編集工学研究所と組んだ丸善は、大日本印刷の支配下にあった。大日本印刷は、さらにジュンク堂を丸善傘下に置き、トップを入れ換える荒技に出た。丸善もジュンク堂も書店としての売上げは芳しくない。二社に共通するのは、本の並び方だ。丸善は図書館法による並べを基本にしているし、ジュンク堂はあらゆる本を集めて並べるという物流的網羅型の棚づくりだ。この古い書店感覚にまっこうから立ち向かったのが、松丸本舗だったと言える。
松岡正剛は、『遊』の時代からの一貫した哲学、相似律的な思考と、手法を松丸本舗でもいかんなく発揮した。近いもの、遠いものを合わせたり、当てながら、くっきりと個性を浮かび上がらせるという方法だ。三冊の本を駆使した読み方というのもそれに当たるだろう。松丸本舗が終了したのが、この松岡正剛独特の本の手法が問われ、評価されてのことではなく、まさに企業理念の無いままの再編成、そして当たり前だが、その実績が上がらないことによる結果だということが残念でならない。
知のダンディズムを貫く松岡正剛はその無念さを『松丸本舗主義』に滲ませたりはしない。秘かに行間奥深く、着物の裏地にあぶな絵を描く江戸の粋人のように、仄めかせているだけである。 業界人はそこを読むべきである。
update2012/10/29