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夜想#バンパイア

トークショウ 丸尾末広+石田一

トークショウは面白かった。僕自身にも。
いろいろ考えが進んでいく、話している間に。映画は時代を写す鏡でもある。


石田さんは筋金入りの映画好き、ハマー好き、吸血鬼好き。好きだからこそいろいろ集める。好きなものだけ集める。bisに展示して在るライフマスクも、例えば、この映画を撮った時のメイクのためのマスク…そこからのライフマスク。単に顔を集めている訳ではない。うーん、いいなぁ。


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トークショウに間に合って、丸尾末広「ヴァンパイア・パノラマ」ができ上がった。大判吸血鬼カード6点と70センチを超える吸血鬼パノラマのセット。絵はがきと、吸血鬼の絵はがき立てのセットになっている。会場のみの販売。


update2008/01/14

夜想#バンパイア

『ドラキュラ血の味』(1970ハマー) 

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ドラキュラの物語が、顴骨堕胎されている代わりに、ハマー・フィルムのドラキュラシリーズには、ヴィクトリアン朝の風俗がかなり描き込まれている。



メイド姿やクリノリンスタイルの衣裳、そしてロンドンの町並み、貧乏な子供たち、そしてヴィクトリアン朝の男の建前の厳格さと裏で娼婦の館にかよってしまうような猥褻さが描かれている。デートをして家に帰ると、不気味な男の影。ドラキュラ登場かと思うと、父親だった。父親は、娘を襲うようにして説教をする。そこには妖しいセクシャルなドグマが漂っている。アリス(娘)私の鞭を受けろ、といって迫る父親には、サディスティックなハラスメントがある。これは、まさにヴィクトリアン感覚で、原作の『ドラキュラ』からは遠くなっている物語が、意外なところにリアリティがある。この映画が描かれた1970年のちょうど100年前がヴィクトリアン朝になる。ちょっとした時代劇の要素もあるのかもしれない。

update2008/01/13

夜想#バンパイア

『モンスター・ムービー』 石田一


メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』 フランケンシュタインと怪物の話
何故、男の怪物ではなく女の怪物を作らなかったのか…とは石田一らしい設問。答えは本の中にあるが、僕は別の答えを考えている。
メアリー・シェリーを座右の一冊にしている女性作家は多い。

理由にはいろいだろうが、いろいろすぎて深い闇すら感じる。
ヴィクトリアン朝の時代を生きた女性の姿が映されている。
『ドラキュラ』には男性から見たヴィクトリアン朝の男と女の姿がある。

バイロンは奔放な作家としてヨーロッパ中に知れわたっていた。
ポリドリの『ルスヴァン卿』のモデルとして。
そのグループにいてメアリーの思っていたことは…。
ケン・ラッセルの『ゴシック』にその風景が少し出てくる。
『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』も創生にして今も現役だ。というか越えることができないなにかがある。それだけの作品は、逆の使われ方をする。怪物は本の紙を出て独り歩きをするのだ。だから派生していくモンスターたちは必然元の闇が隠されていてコピーされていく。映画も小説もその視点から見ると、また別の楽しみがある。それを教えてくれたのは本としての丹治愛だ。

一方、石田一さんはハマー、モンスター、ホラー、SFの映画通にしてコレクターで、菊地秀行さんとともにコレクター、筋金入りのオタクだ。何より凄いのは、映画の怪物たちを怖れ、おののき、そして愛してきたことだ。石田一さんのポスターのコレクションは未曾有のもので、本はポスタを見るだけでも意味がある。ほんの一部を借りてきてbisにも展示しています。
『モンスター・ムービー』にはポスターやスチールが満載で、ポスターを見ていると製作の裏や係わった人たちの情熱が感じられる。スチールは、映画のシーンにはないポーズだったりもするが、それがまたこたえられない面白さだ。


update2008/01/08

夜想#バンパイア

『ベルセルク』14 三浦健太郎 yasoヴァンパイア+

吸血鬼はスラブの民間俗説があり
バイロンの名を騙った『吸血鬼』があって舞台へ展開し
ストーカー『ドラキュラ』がある。

yaso本紙にも繰り返し書かれているように
ストーカーの『ドラキュラ』は15世紀ルーマニア地方、ワラキア国のヴラド3世をモデルにしている。
ドラクルという別称をもっていた。ドラキュラはそこから来ている。

ヴラドには吸血鬼の噂も事実もない。ただ幽閉された時代のトルコ軍の風習を逆手にとって敵兵を串刺しにして晒したということはある。
少ない軍勢でトルコ軍を西欧世界に入れないように戦っていた、ある種の英雄である。
非常に興味深い武将であるので、もっとたくさんの映画や小説があっても良いと思う。できればストーカーの『ドラキュラ』と切り離して単独で描いてもらいたい。

『ベルセルク』を読んでいてヴラドに似ているなと思っていたが、14巻の巻末に原型となる三浦健太郎19歳のときの作品が収録されていて、ここにブラド大公が登場する。ベルセルクはそのブラド大公に敵対するのだが、ヴラドの影はベルセルクに少なからず影響を及ぼしている。
『ベルセルク』には妖怪がたくさん出てくるが、当時のワラキア地方にも妖怪が跋扈していたかもしれない。少なくてもヨーロッパの人たちは、辺境の地方にそんなイメージを持っていたに違いない。その妄想がストーカーの『ドラキュラ』を世界標準の原型にしたてあげたのだろう。

update2007/12/29

夜想#バンパイア

『blood the last vampire』(2000)   yasoヴァンパイア+

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blood the last vampire(2000)
☆☆☆☆

1966年 ベトナム戦争中の日本。
銀座線の浅草駅がリアルに描かれる。地上から電源をとっていた旧銀座線の車両はカーブで社内の電灯が一瞬消える。
車両に乗っていた小夜が日本刀でヴァンパイアらしき男を殺戮する。

ヴァンパイアのモチーフをこなしていない日本の映画にあって


ヴァンパイア譚としてオリジナル度が高い。

小夜の都合をもう少し分らせても良いかと思うが
刀でヴァンパイアを刈るところ
鬼…という言葉がでてくるところ
小夜が左利きというところ
オリジナルのセッティングで
ここから何かが生まれるほどのポテンシャルをもっている。

横田基地の娼婦たちのありようが
切り裂きジャックのモチーフを日本に写してきた感じで
導入としてドラキュラ成立のヴィクトリアンの闇を感じさせる。

タランティーノの『キルビル』に影響を与えた。
2008年、実写版が制作されている。

ここがターニング・ポイントなのか
ちょっと考えてみたいが
おとこ性がセーラー服少女の裏に見えているのと
何故、吸血鬼か、何故、殺すのかという
吸血鬼が表現される源泉を飛ばしているのが
気にかかる。



update2007/12/28

夜想#バンパイア

森村泰昌 荒ぶる神々の黄昏


シュウゴルームの入口には
独裁者たちの肖像
ヒットラーが演説をし懺悔をしている。

この作品はニューヨークにも行ったそうだが
勇気がある。

アメリカは
今、
逆、ユダヤ人問題となっている。

ユダヤ資本の代弁として
アメリカはイラクに報復のホロコーストを行った。
その中で
ヒットラーを表現することは
ある種
アメリカ、ブッシュへの大きな批判になる。
そして
それはアメリカの現代美術ができないことだ。

いま
モダンの源泉にある
ヤバイ部分に触ることは
重要だと思う。

森村泰昌の仕事は
本当の意味での
意図ある美術のアイデンティティを顕にしている。

update2007/12/27

夜想#バンパイア

ホラー小説でめぐる「現代文学論」

ヴァンパイアは
メディアとして非常に興味深い
まだまだやりたいことがある

現代のヴァンパイアものにも
いろいろなものが写しだされている

編集をしていて
どうしても見たいと思ったのは
テラーからホラーへの
変化だ。

変化は、何か大きなものを示してくれそうだ。
今の、アメリカ映画のあり方
そしてそれに何故、心を奪われるのかとか。

イベントでは
石田さんや菊池さんが
そのあたりを
語ってくれるだろうからとても楽しみにしている。

ホラー小説でめぐる「現代文学論」 は、そこに切り込みをいれようとしている本だ。
「壊れ」ている現代の人間とホラーの関係に
言及しているが

僕にとっては
納得させてくれたというより
たくさんの疑問を
セットしてくれた。

いろいろ考えていきたい。

妄想や幻影は
現実を生む
僕はそう思っているので
作品が時代を写すのではなく
作品が時代を生むのだと思っている。

もちろん時代の後から書く
エンターテイメントのジャンルは別だ。

そうではなく
時代がまだそうなっていないのに描かれる
幻想や妄想の作品について
考えたりしていきたい。

update2007/12/26