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有元利夫

平野公崇が有元利夫の絵に
曲をつけた
「七つの絵  有元利夫に捧ぐ」
想い出を運ぶ人/東風/花降る日/春/飛ぶ人/7つの音/終曲

有元利夫の絵には美しい隙間がある
その隙間から音が聞える
99%の天使
夜想で有元利夫のことをそう書いた

update2004/09/15

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14歳ー楳図かずお

今日も雨が降っている。

少女というのは
何歳までをいうのだろう
人形の特集をしながら
ずっとそのことを考えている

楳図かずおの『14歳』
頭脳の眠っていた部分が覚醒する
夢の中で
深層のなかの水脈にあたるように

生きることは
感覚で良いのだ
そう思う。

update2004/09/10

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百物語——松岡正剛

百物語の百話目に何かが起きる。
それと同じで松岡正剛の千夜千冊
松岡正剛の千夜千冊その千一冊目に
何かが起きたというのは
因縁めいていて
21世紀になっても
こんなことが起きるのだと改めて驚く。

物語りは終わることを拒否するのだ。
だから終わらそうとするとき
何かの力が働く

松岡正剛は、千夜千一冊の途中で癌の手術で入院した
しかし9月3日、無事に手術を終えたようだ。
胃の3分の2を切除しましたが、術中の検査によって、がんの進行度は完全に早期段階であったこともわかり、リンパ節などへの転移もなく、最良の結果となりました。
と、hpに書かれている。

復帰して物語りを書き続けて欲しい。
千夜千冊は本の書評というより
松岡正剛の物語りである要素が大きい。
松岡流に言えば
本という
物—を—語っているのだ。

松岡正剛は雑誌『遊』の人だが
いま、ブログのような形式を得て
もっとも生き生きとしている。

松岡正剛は本のエンサイクロペディアを様々な方法や
メディアで実現してきたが
プログ的なネット上でクロスする感じが
ぴったりしている。

24字で流れている文体も
今までになく洒脱で軽快だ。
読んでいて生な松岡正剛の声がするし
文章としても美しい。

そして背後に松岡正剛は何万冊もの実際の本を
本棚に収めている。
ネット上のリアルと背後に所有している本のリアリティ……。
この階層が
どこか琴線に触れ、想像力を刺激する。

復帰してぜひ
ネット上のツリーの可能性をこれからも
粋にそしてパワフルに
進めていって欲しいと思う。
雑誌『遊』はここに最終形態を得て
最高の輝きをもっている

update2004/09/10

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東京芸術大学ーー芸祭

明後日出演する芸祭のメンバーに
データをとどけに夜、上野公園を横切ると
かすかに蚊遣りの匂いがした
路上生活者のテントから漏れているのだろうか

通路に向かって
テントの入口に箱の祭壇が置いてあって
その上に二頭のぬいぐるみが並んでいた。

妄想が走りそうだった。
対談に備えて
毎日
楳図かずおの漫画を読んでいるから。

update2004/09/09

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人形の夜に思うことは

机のわきには人形のデッサンがはってある。
人形に出会ったときのリアルな感覚をいつでも思いだせるようにしている。
夜想リターンズ展や人形の撮影を手伝ってくれた日大芸術学部の児玉君のデッサンだ。

写真では伝わらないなにかが
そこにはある。
デッサンを見るたびに人形を抱いたときの感覚が蘇る。

人形のデッサンはいつも
夜で
夢を見ている

update2004/09/07

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ウエブログ

miura.jpg三浦さんから譲ってもらったスタルクの魔法瓶
白か黒かかなり迷ったけれど

届けてもらったときに
三浦明彦さんといろいろ話をした。

マジックを放棄した時期が
ほぼ一緒だったのに驚いた。
あれだけのめり込んでいた三浦さんなのに
飽和になるのは同時なのか?
良く分からないことがたくさんある

あれからのめり込まないようにしていると
それも同じだ。
それからずっと空白の時代があった

三浦さんと話をしていて
突如、ウエブログをやりたくなった。
いつもはじまりは突然おとずれる
メディアをはじめるときはいつも本能だし
瞬間のことだ。
夜想の復刊も勘ではじめた。

ウエブログは三浦明彦さんに管理してもらっている。
何も分からないボクは夜中にメールをして
三浦さんを悩ませているけど
三浦さんは親切に丁寧に
いろいろ教えてくれている。

Macをはじめたころの感覚が蘇る。
ドラクエの初期の頃もそうだった。
どんな夜中に質問しても
誰も嫌がらない。
ほんとはいろいろあるんだろうけど
嫌な素振りを見せない

自分もそうだった。
真夜中に突然起こされて新しいゲームを見に行こうと
連れ出されたことは
一度や二度じゃない。
あの時の連帯は今も生きている。

アートもゲームもメディアも
創成期はそんなメンバーが生き生きと動いていた。

メディアは多様化していて
ボクはi-podにPADにデジカメにPowerBookをもちあるいている。
ここから何かを発してはじめてメディアなのだが
なかなか発信はむずかしい。

以前は
カセットブックだの
ビデオブックだの
DTPだの
メディアが新しくなるとは新しいコンテンツを作り出していた。

それは、そこに人がいたからなのだ。
ソフトにかかわることに労力をいとまない
人たちの熱があったからなのだ。
メディアと付きあっていくには動機がいる
どこかでディレクターや受け止める人の反応が必要なのだ。
情けないといえば情けないが
しかたがない。

しかしこのウエブログかなり
メディアとして可能性をもっているような気がする。
人が生き生きとかかわれる感じがする。

update2004/09/05

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月の表面

今日は、月のテクスチャーを作る。前回の、HIGUREの夜想リターンズ展の時もそうだけれど、日大芸術学学部の学生さん達が手伝いに来てくれている。前回よりもたくましくなっている。撮影用のテクスチャーを作ってくれている。大活躍!!
上の階では竹田君がインスタレーションの準備をしている。
G3のPowerBookからジャニス・ジョップリンが流れている。
うっ。ブルースに生きながら葬られてをかけられるとまずいなぁ。泣いちゃうから。I-tuneを覗いたらベスト盤なので入っていなかった。よしよし。
高校三年生の時、福田一郎のパックインミュージックが世界のロック界と僕たちの窓口だった。
図書館のタイムにジャニスが死んだという記事を見て、ホント!?とショックを受けて福田一郎に葉書を書いた。
タイムで死亡記事を読みました。信じられません。追悼に曲をかけてくださいと。
それが生まれてはじめた読まれたリクエストカードだった。
『パール』という遺作のレコードは、予約してあっても田舎にはなかなか入荷しなかった。
毎日、レコード屋さん確かめににかよった。
手にして聞いたとき、最後の曲はカラオケだった。ジャニスは録音する前に死んでしまったのだ。
生きながらブルースに葬られて……。
i-podに入れられたジャニスは、ちょっと哀しい。だからボクのi-podにジャニスは入っていない。
セッティングをしながらボクは、ちょっとうつむいてしまった。
授業をさぼって「ウッドストック」見に行って、ヘリコプターから降りるほんの一瞬のジャニスの姿に感動したことを秘かに思いだしていた。次の日からボクは、黒いスリムのジーンズと Tシャツを着て学校にかようようになった。
その時にはいていたロードナンナーは廃番になり、しばらく履き古しを廻していたがそれも限界になり、今年、リーバイスのレディスのスリムを買った。
ストレッチが入っていて少し楽なそのスリムは、何か今のボクのスタンスを表しているようで、ちょっと恥ずかしくもある。

update2004/09/01