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夜想・ヴィクトリアン特集

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10月1日にようやく『夜想』ヴィクトリアン特集がでる。

切り裂きジャックや都市伝説的なスィーニー・トッドのヴィクトリアン。
クリノリンのヴィクトリアン。
メイド服のヴィクトリアンというのもある。

19世紀の初頭に世界を席巻したかと思ったら、30年代にはもう経済不況になっている。飢餓の40年代などと言われている。子供がなかなか大人になれなかった。そんな最中、ヴィクトリアが即位する。37年のことだ。旦那のアルバート公も他所から来た人なのでちょっと人気がなかった。

1851年万国博・水晶宮の開催に関して、アルバート公が身体をはった。反対を押し切ってしかも寄付を募るような形でお金を集め、職人達に腕をふるわせた。もちろん自分もお金を融資した。万博は、700万人を集め大成功だった。アルバート公は1861年40代の若さで死去し、ヴィクトリア女王は自らが死ぬまで喪服で過ごしたという。

ヴィクトリア治世の時代は60年を越える。昭和が一言で言えないのと同じに、ヴィクトリアがこうだとはなかなか規定しにくいが、とても面白い時代である。新聞が発達して、新聞小説が生まれた。貸本屋にメイドさんたちが通っていた。汽車の地下鉄もあれば、水晶宮のようなガラス張りの巨大建築も在る。写真が流行って、自分の写真をカルトという手札に焼いて、交換っこしたりもしていた。格差社会でもあり、今の日本と重ね合わせられる部分もかなり多い。

で、いつものようにたくさんの撮り起し、描きおろしがあります。見てください。


update2008/09/10

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高原英理

『月光果樹園』の発売を記念してのトークショウ。
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最近、司会をしながら話を聞いていることがある。ビスでの高原さんの話をずっと聞いていた。

落語で自分の声を聞くなという教えがある。芝居でも袖で台詞を復習すると咬んで巧くいかないという教えがある。客観と主観のやり取りの壷なんだろうけど。自分を聞かず脳から絞り出すようにして語る落語家もいる。無意識の意識、無意識のなかの言葉の塊。
そんなものが作家の手からも生まれているのかもしれない。推敲は必要だが、落語家は棋士といっしょで人前でそれを推敲する。凄いな。

そんな技は気の遠くなるような話で、人の前にいるだけでやっとの僕は、きっと司会しながら相手の話を聞くとまずいだろうな…とうすうす思いながらそれでも聞いている。ふっと別の所へ行くことがあってもっとヤバイ。高原英理さんは『夜想』ヴィクトリアンに素晴らしい原稿を寄せてくれた。ゴスのことと差別のことに関してだ。そんなことを予告的に話している時に、

ゴスとロリ。
そうした相反するものを混ぜる今の流行は凄いなとふと思った。ヴィクトリアンの階層の一番上位で着ていたクリノリンのような服。下層で働いていたメイドさんたちが着ていた制服。
同じ、ヴィクトリアンという括りで取り入れてゴスロリにする。階層というものがない国だからこその混淆なんだろうが…。
というようなことが頭に浮かんできた。

歴史をズラし変えるような力をもっている流行は、意外にも面白い展開をするのかもしれない。もちろん商売が劣化コピーを重ねて、それを受容したらあっという間につまらないものになってしまうのだけれど…。

update2008/09/04

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ヤバイ経済学

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『ヤバイ経済学』がヤバイのは応用が利きすぎることかもしれない。

この見方自体は、いわゆるという、ことに対して
数値分析でよりリアルに近い見方を提示する。
思い込み認識が多い今のネット社会では、必要な思考法かもしれない。

たとえばこんな風に使う。
『カリスマ教師の心つくり塾』原田隆史
荒れた中学を建て直した熱血先生。陸上部を全国一にすると宣言して、それを使って駄目中学を建て直す。
何か変だな…。読みながら思う。
女性の教師が使える方法ではない。熱血でないと使えない。
陸上部で全国優勝できるのは一校。
同じような成果を無理やり上げないと学校は正常化しないのか?

中に『割れ窓理論』。割れガラスを放置しておくと荒廃が進む。環境整備をしていくと全体が健全になるという理論。ニューヨークが健全化したのは、ジュリアーニがこの理論を使ったからと岡田は強調する。中学でもそうしていくと…。
あとは永田勝太郎の『脳の革命』を使っている。(この本もちょっとな…。)

さて
『ヤバイ経済学』は、ニューヨークの犯罪が減ったのは、『割れ窓理論』を実践したからじゃなくて、堕胎禁止をやめたからだと言っている。これはアメリカでも相当物議をかましたが、かなり信憑性がある。

著者は、スティーヴン・D・レヴィットとスティーヴン・J・ダブナーは、二人組で、前者は経済学者、後者は、ニューヨークタイムズのコラムニストである。

東大に入学するには学力よりも学力を確保する親の財力が問題であるという理論に近いものだ。しかしそれはそうなので、ネットでウィキペディアなどが隆盛になると、一つの信じやすい説が、あっというまに定着してしまうということがあり、その裏を確かめるには、情報だけでは駄目で、数量的なデータを分析、判断することが必要となる。



update2008/09/04

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『透明人間』 H.G. ウェルズ

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原材料の値上げがかなり目に見えるところまで浸透してきた。

ポテトチップスの袋が小さくなったり、デニーズの飲み放題のハーブティーのハーブの量が減ったり。今夜は赤いハーブティを飲みながら。『透明人間』H.G. ウェルズを読む。相変わらずH.G. ウェルズは面白い。

+
透明人間になれたら…という質問はよく出されるが、そういう感覚とまったくかけ離れているのが、H.G. ウェルズの『透明人間』だ。怪物化した科学者の苦悩と野望が描かれている。H・G・ウエルズは、科学知識の豊富さでSF作家と言われるが、物語の展開力は、小説家としても手腕がある。どういう科学的根拠で、透明人間になったかという種明かしを、最後の最後まで引っ張って明らかにしないが、それでいて前半部分を読ませる小説としてのプロットの良さがある。
最近、ヴィクトリア時代の小説を読むと、必ず古い映画を見るのを習慣にしている。
ストーカーの『ドラキュラ』でもそうなのだが、怪物もののユニバーサル・ピクチャーズでの映画化は、それ以降の、原作のイメージに大きな影響を与える。それは原作と少しかけ離れたところで存在している。

++
映画の『透明人間』(1933)は、『フランケンシュタイン』(1931)を監督したジェームズ・ホエールが監督である。透明人間に婚約者は出てくるわ、透明人間になったのだから、強姦もできるぞ、なんてえ言っている。原作にはそんな下品なところはまったくない。透明になった状態がどうのこうの、という小説ではない。原作と異ることにいちいち目くじら立てるつもりはないけど、原作の方が圧倒的に良いし、わくわくしながら楽しむことができる。アメリカ映画ってやつは、と言いたいところだけれども、監督はきっすいの英国人。そして最後まで米国人にならなかった人である。

+++
『暁の総攻撃』の舞台演出で有名になったのを気にハリウッドに進出してきたホーエルは、イギリス労働者階級の出であるのを隠して、言葉つきから着るものまで、イギリス上流階級の出の振りをしていた。葉巻をさし出して、ちょっと切ってくれないか? などと言って、葉巻の切り方を知らない階級の人をからかったらしい。ちなみにヴィクトリア大好きの三島由紀夫も食後に葉巻をだして…というエピソードが残っている。ホエールは、『フランケンシュタインの花嫁』も撮っていて、ユニバーサル映画のホラー監督のエースなんだけど、数奇な晩年を送る。それはゴッドandモンスターに詳しい。



update2008/06/19

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『月世界最初の人間』『タイム・マシン』 H・G・ウエルズ

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ミシュラン☆

お蕎麦のコースを食べながら次の夜想のミーティングをする。六本木は突然の夏日。パリは突然、夏日が来るけどそれまでは寒いよね…。ロンドンもおんなじかな。。

ロンドンもヴィクトリアンな感じが減ってしまって。
何でロンドンに移住したの?
ケンラッセルとかグリナウェイが好きだったしね。
あー、ずいぶん見たな。音楽も舞台にずいぶん使ったし。
デレク・ジャーマンも。80年代はイギリス映画ずいぶん日本に入っていたんだね。

僕は、最近、読んでいる『月世界最初の人間』や『タイム・マシン』の話をする。ウエルズは、面白い。ダーウィンのスポークスマンをしていたハクスリーという学者の弟子なので、科学も本格。。
ダウィーンの進化論…未来、人類は進化の果てに退化するという世界を描いている。それはどの作品にも共通している。

ウエルズの作品はたくさん映画化されているけど、『タイムマシン』と『宇宙戦争』を監督したジョージ・パルが良いかな…。

でも恋愛映画度合いが強いのがちょっと。2本とも恋愛映画に変えている。一度、もとの世界に戻ったタイムトラベラーが、80万年後の小人の少女のために再び戻る、というのが映画のラスト。小説はそうなっていない。

原作にない、第二次世界大戦の場面を登場させているのもパルの創作。アメリカは第二次世界大戦の高揚がまだ必要だったのだろうか。

そして原爆のシーンも。被爆しているのに平気でいるところが、この時代のアメリカの認識がいかに原爆を投下した側の論理で生きているかということだ。ウエルズは、原爆を否定的に予想して描いている他の作品があるのにね。

映画は原作に忠実に描いている部分が面白い。原作ものの映画が常に、原作どうりなら面白いかといったら、そうではないが、改編したところが、ことごとくちょっとな…となっているのが残念。パル自体は、パペット・アニメーションでも有名な監督で、『タイム・マシン』のアニメ的、特殊効果はなかな見ごたえがある。

update2008/06/15

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『超常現象をなぜ信じるのか』 菊地 聡

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コナン・ドイルは心霊現象を信じていた。

相当、真剣に。
そのドイルが書いた、小説には、心霊が存在するのだろうか。

信じ込みには、思い込みがまず作用する。
これは意識化を越えて作動するから
なかなかやっかいだ。
集団で作動することもある。

表層の意識化している部分が薄くなってきている。
動物化している。
その時にこの超常現象を信じる作用が大きく浮上する。
 ような気がする。

update2008/06/14

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『パノラマ島綺譚』 丸尾末広

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猟奇に過ぎる、B級に過ぎる…のが江戸川乱歩の映像化だ。

昔のポルノはわざと汚らしい感じ、極彩色、下品というような、劣情を煽る傾向があった。江戸川乱歩の映像はどこかにそうした敢えて、B級、ちょっとチープという感覚で、猟奇を煽るところがあったのだと思う。

+
丸尾末広は、煽る猟奇の感覚も掠めながら、少年的な美や残酷や能天気さに耽って『パノラマ島奇譚』を映像化した。丸尾は江戸川乱歩の文学としての『パノラマ島奇譚』をまっこうからコミック化している。猟奇を煽る部分はほとんどなくむしろ精緻な静けさすらある。ポーあたりを源泉にするパノラマ小説の流れを踏まえた拡がりと、それらに対する解釈も含まれている。これでは、丸尾末広に江戸川乱歩全集を作ってもらわないといけなくなる。

++
丸尾末広の『パノラマ島綺譚』は、乱歩を原作としながら昭和耽美としての丸尾末広を付加している。ポーの『アルンハイムの地所』から人見広介が『RAの話』を書いたことになっていて、『パノラマ島奇譚』が、ポーを下敷きにしていることを取り込んでいる。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』は、ポーの『アルンハイムの地所』や谷崎潤一郎の『金色の死』を下敷きにしている。翻案というかそれ以上の抜き取り方だ。パノラマの描き方が、作家それぞれの好みで変わっているという感じで物語の構造はポーのままだ。

+++
丸尾末広は、フィレンツェのフェデリコⅠ世のデミドフ庭園やボマルツォの怪物公園、ルートウィヒ2世の城、ベックリンの絵を持ち込んだりする。渋沢龍彦が昭和に紹介した幻想、耽美を取り入れている。丸尾末広の元々の資質としてもっている江戸川乱歩の世界が、融合してまさに夢見るパノラマが展開している。その風景をみるだけで『パノラマ島奇譚』を手に入れる価値がある。

++++
『パノラマ島奇譚』は江戸川乱歩が雑誌に連載していたときのタイトルで、単行本になるときに『パノラマ島奇談』になっていて、今は、その名前で流通している。


update2008/06/01