2005/08/07
森の中の人
小説から小説が書ける
時代になっている
逆に言えば
現実が言葉を深く曳かなくなった
のかもしれない
森の中に老人が居て
チェロを弾いている
そのことを思うだけで
自分が存在できる
それは現実のイメージではなく
たとえば
舟越桂の木彫だったりする
2005/08/06
兎
最近
身の回りに
兎がついてくるような気がする
イメージの兎
月の兎
そう見えると思うと
どんどん目に入ってくる
2005/08/05
カヤバコーヒー
熱波が帝都を覆い
この夏はいったいどうなるのだろうという
身体の絶望とは別に
頭蓋の熱は
いまひとつ冴を見せない
涼を求めて
カヤバコーヒーの
カヤバばあちゃんに
プラムソーダを注文する
泳ぎは得意ではないが
プラムの中で泳いでしまいたいほど
熱波は部屋の中まで侵入してくる
夏
2005年
2005/08/04
蓮見茶屋
不忍の池のほとりには
蓮見茶屋ができ
観蓮をする人で賑わっている
弁天堂の脇にある
ひなびた茶屋の
大きな硝子窓には
うっそうと
池の蓮が拡がっている
こちらのほうがずっとずっと
蓮見茶屋なのに……
ここは誰もいない
盛夏に静寂がある
2005/08/02
ヴァニラ画廊で展覧会がはじまった
展覧会二つ分の密度あるよと
見た人から言われて
ちょっと嬉しい。
ゆっくりとした時間のなかで
展覧会はスタートした。
自分自身、この展覧会の写真から
そして訪れる人から
何かをインスパイヤーされたいと思っている
そして
展覧会を作り上げたスタッフからも
インスパイーアーを受けた
クオリティはなにより大切だ
画廊のコンピータでブログを確認
よしよし順調に動いているぞ!!
コメント(2)
ヴァニラ画廊です。
とても面白い空間にしていただきました。
ぜひ観にいらしてください。
yaso baby 「危ない写真集246」も販売しております。
12日18時からは飯沢耕太郎さんと、今野さんによるトークショーを予定しております!
vanilla gallery : 2005年08月02日 16:48
ヴァニラ画廊です。
飯沢耕太郎「危ない写真展」を開催しております。
今野さんによる演出で、画廊にすばらしい空間が出現いたしました。
秘密の図書室には246冊の危ない写真集が収納され、ご自由に見ていただくことが出来ます。
「夜想 Baby 危ない写真集246」も販売しております。
12日18時からは飯沢耕太郎さんと今野さんによるトークショーも開催されます。ぜひご来廊くださいませ!!!
vanilla gallery : 2005年08月02日 16:52
2005/08/01
スタイル
嗜好や思想は
本質などと呼ばれている核の
部分に宿らず
表層の
あるいは
スタイルの形を
とって存在する
のかもしれない
見かけやスタイルは
重要だ
というのはそういうことだろう
2005/07/31
危ない写真集
危ない写真集の展覧会
秘密の図書館の製作が佳境に入った。
ヒグレの小沢さんが陣頭指揮で真っ赤な壁を設営している。
プロの仕事は
出来上がりも綺麗だが
なによりスピードが
美しい
2005/07/30
うねりが
自分が興味をもっていることと
夜想の読者が興味をもっていることを
合わせようとは思っていない
しかし結果として
シンクロすれば
面白いと思っている
自分にシンクロしてもらうのではなく
結果として
読者に自分がシンクロしていれば面白いと思うのだ
一方
メディアが何かを切り開いていく
という可能性も
再び感じ始めた
90年代それは無理!
と感じていたことだ。
しかし可能性を感じる。
理由はないのだが……。
うねりは
経済とバイブレーションが動かしている?
じゃあ自分の存在って?
そんなこともふと思ってしまう。
2005/07/29
冥王星の外に
太陽系の「第10惑星」
冥王星の外に
もう一つ「地球型惑星」が発見される
火星のクレーターに
巨大な氷の湖が……
固定されていた概念が……
(星は概念??)
簡単に変更されていく
DNAも書き換え可能だとすると
私という観念もまた
書き換え可能だということになる
2005/07/27
台風一過
戦後最大の颱風が
直撃すると言われていたが
進路は少しずれ
何事もなく終わった
先日の地震の方が
影響が大きかったかもしれない
夏の空が拡がり
製氷機会社が氷を作るテストをして
道にほうり投げた氷が
湯気を上げていた。
2005/07/26
颱風
颱風の最中に
浅草を歩いていると
じ、じ、じーと
ネオン管が不整脈な
放電をしている
24時間営業していて
つけ麺が美味しい
大勝館は
潰れたボーリング場の
跡で
旅回り芝居の小屋を運営している
オーナーは
ポンとタケシに座頭市の映画の資金を提供した人
横殴りの雨の中
ロックに人影はない。
2005/07/23
波のゆくえ
今日は4つの問題が
一気に解決した
特に何かをしたわけではない。
じっと待っていただけなのに
何故、今日、揃って解決するのだろう。
ヴァイブレーションの影響が
このように大きな時代になると
無理をして時代を切り開くというよりは
身をまかせて
乗っていくという感覚が強くなるが
果たしてそれでよいのだろうか
という疑問も同時に存在する。
2005/07/22
満月に
電柱の上空に満月が
輝いている。
現場で仕事をしていると
ヴァイブレーションの影響を
受けやすい。悪い波も、良い波も……。
悪いことが始ると、その日のうちに次々と悪いことが起きる
まったく関係ないジャンルのことでも
連鎖して悪い方に一気に進む
回復もヴァイブレーションに関係している
一つ問題解決が始ると
他のすべても回復の方向に向かう
月の満ち欠けに影響があるのだろうか
今日の満月は
+なのか−なのか
女の人は満月を見るなという言い伝えがあると
言われたけど……。
どうしてだろう。
満月は、意外と
−かもしれない。
2005/07/21
澁澤龍彦邸
澁澤龍彦邸の壁には
エロティックな写真が一枚飾ってあった。
邸の中ではもっとも澁澤さんらしく思えた。
この写真を含んだ
危ない写真集の展覧会が
8月2日からヴァニラ画廊で開催される
飯沢耕太郎著
夜想・ベイビイ『危ない写真集246』の出版記念として
詳しくは
http://www.2minus.com/index.html
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» 悪魔?それとも殉教者? サドという作家 from サブカル雑食手帳
サディズムという語の語源でもあり、最近では映画「クイル ズ」で晩年の精神病院での奇行ぶりをジェフリー・ラッシュが 見事に演じ切ったことで再び注目を浴びた18世... [続きを読む]
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2005/07/16
擦過傷
昨年の10月から怒濤のような
イベントの連続波が
ようやく一段落を告げ
これからのことをなにやら考えていると
擦過傷のように傷ついた
この十年来の皮膚感覚を思い出し
瘡蓋をかりかりと触りながら
終いには剥がしてしまうように
細かな傷を掻いてみたりする
ふと仕事の最中に
もの言いのきつさを指摘され
そのまままた沈んでいくような
擦過傷の裡の
漆黒の深海魚になった気分が
甦る
完全に復帰したわけではないのだと
少々、恐ろしい気分にもなる
でも
明日は、晴れだろう。
2005/07/15
戸田ツトム
去年の夜想リターンズに
ゲスト出演してくれた戸田さんと
最近話をすることがあって
心を開いて見るということが
デザインでしょう
あるいはエディトリアルでしょう
と、(ちょっとニュアンスは異るかもしれないけれど……私はそうとらえた)
言われた時に
かなり感覚にショックがあった
ボクは見るより前に現場に
行っているから……と答えながら
エディトリアルをしていない自分が見えてしまった
見る、編集するという
机の上の作業を私はしていない
ものが発生するときの
振動をできるだけリアルに受け止めたいと
発信物の側へ側へ
よっていったのだ
そして私は机に帰ってこない
じゃぁ誰が夜想を編集していたの?
飽きれて戸田さんは聞き返すが
ボクは
とぼけてボク以外の誰か
と答えた
でも
30年ぐらい
間違った方法で失敗を続けていたことは
そんな冗談では消えやしない
2005/07/14
不忍の池の
午前6時
蓮の華が咲き始めた
路上生活者たちは
一瞥することもなく
たんたんと
朝の身繕いをしている
鎌倉源平池の
蓮も咲き始めたのだろうか
ザワザワとする季節が
また帰ってくる予感がする
2005/07/11
澁澤龍彦邸
夜想は澁澤龍彦さんとは縁がなかった
個人的には自分の幻想体質に大きな影響を与えた人なのに
人形を撮影しに
はじめて澁澤龍彦邸を訪れて
私はぼーっと椅子に座ったままで仕事に手がつかなかった
澁澤邸は鎌倉市山ノ内
私も鎌倉市山ノ内に実家をもって育っている
遥かな歳月がたって
私は澁澤邸に居る
澁澤さんが飼っていた兎が亡くなり
その後にプレゼントされた兎グッズがたくさん書斎に並んでいた。
金魚鉢を支える
枠を兎が持っている
可愛いものだった。
コメント(1)
偶然!私コレ持ってます。某骨董品屋で今年はじめに購入したばっかり!花を入れたボウルとか乗っけて楽しんでます。
セシル : 2005年07月11日 20:10
2005/07/08
鬼灯
橙色の丸いものをみると
鬼灯を思い出す
子供の頃
鬼灯の笛を作るために
ゆっくりと鬼灯を揉んでいると
ふとした弾みで
鬼灯が割れてしまうことがあり
その余りに動物的な
果肉の匂いに
気持ちが悪くなり
以来
鬼灯はちょっと苦手になった
蜜柑色の球を見ると
その
匂いを思い出す
2005/07/05
質 クオリア
質が問われなくなっているのだろうか
質を上げると
ぐっとインタラクティビティが落ちるのがわかる
文化としての、感覚としての。
質を受け入れるには力がいる。
それは分かるのだがあまりにも
力が低下している
もちろん自分のことを含めて言っている。