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倉敷意匠2

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パンチの穴を

補強する可愛いグッズ。
スタッフが手に入れてきた。
まっすぐに反応してしまう。
倉敷意匠→ロバロバという流れ。
これが関西なら
倉敷意匠→一乗寺恵文社という感じだろうか。
+
マスキングテープとポストカードで枝折を作って使っている。
最近はパンチで穴をあけて
紐も通していたりする。
早速、パンチ穴を補強した。
ううん。可愛い。
++
マスキングテープもあっという間に進化した。
+++
枝折は豊崎社長の影響が少しある。豊崎社長の最新刊は凄い。買っちゃいけない本を鉄の斧として酷評。褒めるのはやさしい(そうでもないけど…)けなすのはもっと芸がいる。
豊崎社長のけなし芸は素敵だ。




二人の対談が金曜日、bisである。
来てね。

update2008/11/05

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酉の市の夜

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風邪で火照った身体を

抱えて仲見世を走っていると
酉の市の熊手。
今日の深夜からはじまる。心なしか人が少ないような気もする。

+
師走の足音がすぐ側まで来ている。
未曾有の不況がくるのかもしれない。
乱世は歓迎。
『夜想』はあくまでもインディーズだから。

update2008/11/04

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摂取する

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ふと思ってしまったことなのだけれど

他の人が作ったものを身体に入れるのは
けっこう大変なことなのではないだろうかと。
+
こんな時代だから出された食べ物に何が混入しているか分からない。それをぱっと口にできるというのは、信頼関係と、そこから発生する身体の交流がないとできないことだ。
++
まして食べて嬉しいという感情が出てくるのは大変なことだ。
身体に入るとものは何かの波動を起す。おそらくその波動を形成するのが、食べ合わせだったり、相性だったりするのだと思う。
+++
『夜想』も流通の中で売れる/売れないということを気にする雑誌であるよりも、摂取される食物のような存在でありたいと思う。理想的には…。
++++
もちろん拒否反応があっても良いと思う。でもそうした反応を起す存在でありたいし、できたら快楽や快感の方にゲージが振れていたら嬉しいなと思う。


update2008/11/04

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ヴィクトリア展オープン

壮観な風景だった。
丸尾末広さん、山本タカトさん、七戸優さん、トレヴァー・ブラウンさん、パトリックさん、高木由利子さん…たくさんの作家さんたちが、bisで歓談する様は。
+
それぞれにまた『夜想』に参加してくれそうで嬉しい。新たに何かが動いていくというのはとても充実感のあることだ。
++
時代が変化していくときにそこに居ると、変化が激しくてもなかなか認知できないものだ。しかし変化は大きく時代を変えている。その時代に創作に関連して夜想やbisを運営できているのはとても幸運なことだ。そう思う。
+++
心を開かず、コミュニケーションをとっているふりをする…ダークなものをもっていても面に少しも見せず、ある一定量が増えてゲージを越えるとブスリと行く…そんな悪意と不信が蔓延しているなかで、何かを作るという行為は、それを通じてコミュニケーションを可能にする大事なメディアになっている。巧くできているとはまだまだ言えないが、それでも交流するきっかけにはなっていく。そこに何があろうとも畏れず行ってみようとする可能性を喚起する大事な道具になっている。表現は、表現そのものも大事だけれど、それを行っていく様々な関係性もさらに大事なものである。
オープニングで話をしながらそんなことを実感した。

update2008/11/02

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ヴィクトリアン展

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マスキング・テープで

位置を決めながら
額を壁に設置していく。


+
今日、利下げがあったが
もし利下げがなかったらまた世界中で暴落だった。
今、一瞬の安心感は、
日経新聞の利下げ観測記事だ。それを見てアメリカがアップして、世界に拡がった。
利下げを確実にするためにプレッシャーをかけたのは
どんな勢力だったのだろう。
なんか麻生さんじゃない気がするけど。
アメリカの意志かもしれない。
でも珍しく日本の記事で株価が動いた。
円の独歩高が影響しているのだろう。
しかし日本が消去法で良いと言うのも陰謀なような気がする。
++
途方もなく暗い時代が訪れるのか
そこそこで止まるのか。
分らない。きっと誰にも分らない。
たとえばSONYや三菱銀行が立ち行かなくなるような
ほんの少し前ならまったく想像もつかなかったことが
起きるかもしれない。
その時は、果てしなくヴィクトリアンな雰囲気になるだろう。
+++
しかし経済が破綻していても
ヴィクトリアン期は、文化や科学の輝かしい創成期であった。
そんな時代に思いを駆せながら…次の1000年の原点になる創作が今生まれてくるのだ
という現在の期待もある。
昏さを糧に
面白がれるか
そんなところがポイントかもしれない。
++++
それにしてもティファニーは銀座店をリニューアルして
きんきらきんにした。
ゴールドマン・サックスにビルを高く売って今は店子になっている
本社ビルさえ売ることを辞さないティファニーの財務戦略が
日本での攻めを決めたのだから
意外にも復活はあるかもしれない。日本。
でもこのきんきらきんは。
不況でもヴィクトリアンのほうがずっとずっと素敵だ。


update2008/11/01

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カフェ・ポッド

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飲み比べている。


ムセッティは試した中では一番美味しい。残念ながらセガのポッドよりも美味しかった。もちろんマシンとの相性もあるだろうけど。Amazonが最安値。ちょっとなのもまいってしまう。ムセッティは、2種類試したけれど、エボリューションの装幀のカッコ良さに惹かれたのだけれど、クレミッシモのクレマに入る感じがお気に入り。エボリューションの苦味は家庭用のマシンではすっと回らない感じ。


使っているマシンは、フランシスフランシス



このマシンの一つ世代の前のもの。
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メーターに顔がついていて可愛い。


update2008/10/31

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アネット・メサジェ

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最も印象に残った

アネット・メサジェ作品との出会いは、
『LA BEAUTE』(アヴィニヨン/2000年5月27日~10月1日)での展示だった。
最近、国際展に行っていないので、ずいぶん前の記憶になる。

あの頃、女性作家がかなり国際展の全面に出てきていたような印象がある。『LA BEAUTE』では、ナン・ゴールディンが映像投射のカッコ良い作品を出していた。

肌が脳を持つ。腸が考える。
そんなことをずっと考えている。脳科学が流行っているけれど、どうも肌合いとか、皮膚とかが思考して、ふっと情動のように決めていることがたくさんあるような気がする。

男の肌はでこぼこやごつごつという硬いものに反応するのに長けていて、女性の肌はふかふか、もこもこ、ふわふわに良く反応する…らしい。

ロジックがあって、しっかりとした構造があって、コンセプトを使って…という男性的な現代美術ではない、肌合いを共感する、ディテールから全体が組み上げられる作品が、アネット・メサジェだ。

始めのうちは美術じゃないって言われて苦労したのよとインタビューで言っていた。

理解するのではなく、共感や共振から作品に入っていくんだろうな…と森美術館の作品を見ながら改めて思った。


update2008/10/30