pickup

rss

    news

  • editor's talk

column

ネットでコピー

どうやってコピーするか。そこに節操があるか、ないか。
でも罪悪感もないから軽くコピーするんだろうな…。

ネットに書かれていることが、そのまま引用されて、拡散していく。文章がまったくそのままだから、不思議な感じ。でもそれを元に意見を書いているので、思うということが如何に、他の文章を信じきることで成立しているかということだ。

問題なのは、もともと引用している先が、全体ではなく、一部の文章だったりすることだ。カットされた、あるいは要約されたものを丸ごとコピーするのが、劣化コピーの輪の元凶だ。

オリジナルを文脈に沿って読むと、ああ、こんなに違うんだと驚くことがある。


update2008/06/16

column

クール。

DSC06743.jpg
アイス・マンと呼ばれるライコネン。

カナダGPで赤信号停止中にハミルトンから追突されて、ちらっと注意をしただけ。
ん~ん。クール。セナでも、シューマッハでもこのシチュエーションならなぐりかかっていたな…。
人種が違う。

F-1の本にしては綺麗なレイアウト。
中に車と一体化することが…という質問に対し
車と一体化することなんてないでしょう。その質問、何?って感じで受けている。
ライコネンは、こういうところもクール。
というか、ロマンや文学的語りをしないのだ。そういう感覚もないかもしれない。
コーナーに神を見るドライバーの時代から、二世代たつと、だいぶ異る。

でもこの感覚は悪くない。比喩をゆっくりとはずしていくことは、文学のためにも必要だ。

クールすぎて執着が減ることだけが心配だが、まぁそんなことはないだろう。
昨年、あそこまでのポイント差を逆転したのだから。

update2008/06/15

column

バラの貴公子・大野耕生

DSC06741.jpg
ぼろぼろになっていたオリーブがだいぶ回復している。

植物は子供の頃からあまり得意ではなかった。

母親はけっこう上手だった。月下美人の咲かなくなった苗を引き取っては、咲かせていた。良く新聞の地方欄やローカルテレビで、凄い!という感じで報道されていたが、母親は毎年、何鉢も咲かせていた。
見ていると、放置の具合がポイントのようだ。余り丁寧に面倒見ると駄目なようだ。放置していて、ぱっと手を出す感じ。
だったら子どもの教育もそうしてくれれば成功したのにね。育てるというのは、難しいものだ。僕は短気ななので駄目なんだろう。

テレビでバラの貴公子・大野耕生が薔薇の解説をしていたが、名前のこととか周辺のことばかりを話していた。話芸の貴公子だ。それにしても薔薇の名前って直接すぎて文学以前という感じだ。薔薇の品種改良や薔薇の研究の先駆者で一人者だった、鈴木省三さんの薔薇のネーミングのそんな感じ。薔薇というのはある種、綺麗というのに直接的な存在だから良いのかもしれないが…。


update2008/06/14

column

思うようにならない

DSC06718.JPG
カメラのピントが日に日に甘くなっていくようだ。


7000枚までいってから代えようと思ったけれど
6718、6719という2枚。
DSC06717.jpg

雑誌がすきっとまとまらない。
そんなにうまくいくこと自体へんなんだけど
どうもまだしっくりこない。

思うようにならないことがたくさんある。
思うこと自体が、フィットしないんだから仕方がないかも。

考え続けよう。

update2008/06/13

column

『むつみ』

DSC06687.jpg
執着しているから面白い

そんなこともある。怒るから生きている。そんなこともある。

執着を回避すると怒らなくなる。
つまらない。

何かの方向に発露したいと思う。終着点が執着じゃないところへ。

とりあえず美味しいご飯だ。
釜飯の具合が、いつになく良い。
ふうん。ご機嫌。

ここから?

update2008/06/12

column

報道とCC とめて欲しかった

DSC06691.jpg
とめて欲しかった、だから掲示板に書いた

やっぱりそういう発言をするだろうな…。
そして、それは甘えとか責任転嫁とか、報道されるだろう。

社会から、報道からみたらそれはそういうことだろう。
でも掲示板の流れをみていると
何かでとまんないかなと、思っているふしもある。

とめてくれないかという発言と、責任転嫁という発言との
ギャップが
この事件の心的最大の問題だろう。

書いている僕に解決策はなにもない。
次の事件の防止策もない。

ただ携帯のCCや掲示板がもっている作用をもう少し分析しないといけないと思う。
妄想は頭の中でネガティブになる大きさの限界がある。
携帯のCCや掲示板はそれを無限大に拡げる作用がある。

心の闇が、今までにない形態をしているのだろう。


update2008/06/12

column

報道とCC

DSC06677.jpg
引用した1行目から6行目を意図的に隠している。

午前5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな

午前6時00分 俺(おれ)が騙(だま)されてるんじゃない 俺が騙してるのか

午前6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される

普通に公開された携帯サイトの実況中継の気になるのは、下の引用部分。テレビの報道ではカットされている。
僕の引用したのは、ネットの毎日新聞だから普通に公開されている情報。


午前6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には
午前6時03分 友達は、できないよね
午前6時04分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴(やつ)らがいる
午前6時05分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉(うれ)しかった
午前6時10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全(すべ)てが俺の邪魔をする
午前6時31分 時間だ出かけよう

全員一斉送信、つまりCCに入っているかどうかというのが、大切なことなんだと思う。
それは、本音で言えば、たいして信じていないけど、友だち未満として、でも必要だったのだ。

CCは魔物だ。
信頼できる友人とはCCで何でも情報を交換しあえるという言い方を、この1年、僕はだいぶ聴かされた。
そこで交換されるのは、社会に対してのネガティブな感覚や感情。そのネガティブな感情を共有した閉じたサークルは、それ以外を排除する。「はぶる」感覚と非常に近い何かを孕んでいる。

CCっ子たちは、大人に絶対素顔を見せない。顔色を変えるようなことは、2ChやミクシィやCCに吐き出す。呪詛のようにして。それは伝播しcarbon copyされ共有化する。他人のものも自分のものとして。大人はこう転がしたら機嫌が良いというのを良く知っている。説教される前にそれを繰り出す。それを多用していると仲間にはぶられる。
子どもは大人と仲良くしたり、評判が良い子や、可愛がられている子が嫌いなのだ。もちろん自分が圧倒的に抜け出せるなら、それはそれにこしたことはない。最大の望みだ。でも抜けれないなら、大人を無視しながら(気づかれないように)仲間を大切にしていきる。はぶられないようにして。

なんだか分らないけど不幸な感じ、未来のない感じを抱いている。だから社会なんて言われるもの、会社、組織の論理なんか理解して、合わせても無駄だと思っている。視点はその自分のなんとなく不幸な感じから見ている。自分はこれだけ能力があって、これだけ働くんだからこれだけお金が欲しい、そう思う。自分が属している社会がそれをどう思うかのルートは余り持ち合わせない。

なぜこんなことになってきたのだろうか。
教育とかいろいろあるだろう。しかし最も重要な問題点があるところを避けて、分かりやすいパターン認識に持ち込もうとTVはしている。優秀な子なのに…分らないという形で理解を進めさせようとしている。学校で300番代が優秀な生徒?男子なのに短大なんでしょ。成績が優秀という認識はどこから来ているんだろう。成績がなんていうことをそもそも報道すること自体がおかしい。だって成績なんて相対的なものだから、彼が犯罪を犯したことと何も関係がない。家族は?プライバシーがあって報道しないんだろうけど…ある方向からしか彼をイメージ化していない。その理解できる範囲にされた彼のイメージを世間が受け入れる。分らないことを受け止めるのは大変だから…。

CCがあって、いやあるからこそ、そこからも漏れ落ちた孤独は大きいのだろう。利用しない僕には想像もつかないが、それはある種の嗜好性とも関係があるのだろう。孤独も僕だったら黒いイメージがあるが、もしかしたら白い孤独というような、今までに存在していない孤独感なのかもしれない。

殺人は犯さないが、CCをある種の価値観、生きるツールとしている人たちは多い。何でネガティブを媒介にして群れるのか? それがここ1年くらいの僕の疑問だった。理由は分らない、解決法も分らない。でもCCが介在しているということは間違いない。

彼が孤独だったのは、他人が応答しない掲示板に書きづけて、時間だでかけよう、という言葉にたどりついたことだ。もっと雨が強烈に降って、あるいは決めている時間までにたどりつかなかったら彼は、決行しなかったような気もする。誰かが掲示板で止めたら、それでも行くよと言いながら、けちがついたな、今日は止めようということになったかもしれない。
時間だでかけよう。誰も見ていない、誰も止めない、しかたがない世間に知らしめてやろう。それで終わるのが俺の運命だ。運命が止めてくれなかったのだ。そう思っていたのではないだろうか。

ほんとうのところ、彼の心の闇や、実況中継しながらの心理や、なぜここに至ったのかは、まったく分らないし、理解もできない。想像がまったくあっていない気もする。
しかしCCという感覚に関しては、良く聞く話だなと思うのだ。TVが無視した6行に関しては違和感のない文章だ。

実際のところ孤独な感じというのは、情報化の中で荒んだ感じになっていて、それは自分自身のことを充分に含んでいる。何事か起きないようにその孤独から一生懸命、気をそらせているだけのことで、状況の変化は絶えがたいほどに悪くなっている。

update2008/06/10