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クラッシュされたロマンティーク
朝の光は黄昏のように少し暗く
本を読むのを諦めて
天使の刳り貫きから外の光を見る
『アンジェラス』
外に置いた自転車は次々に部品が飛んでいく
昨日、チェーンを新調したら
ギアのスプリンが脱落してハイギアに入らなくなった。
クラッシュされたロマンティークがカッコよいのは見ている限りにおいて
update2008/04/15
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『尾張屋』
浅草の『尾張屋』は永井荷風が食べていた
天麩羅蕎麦で有名だけれど
僕は食べない。
春になると変わり蕎麦がはじまる。
まず桜エビを練り込んだ変わり蕎麦。少し通うことになる。
春だ。
update2008/04/14
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独りで
久しぶりに。
本を読む時間を作って耽る。
アリスは不在。兎も不在。
キャロルが机の上にいる。
ここは、カップルと独りで文字を書いている人しかいない。
文字を書いている人は
誰も、小さな、小さな文字で書いている。
唐十郎のような小さな文字を
反故紙に書いている。
update2008/04/14
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手の跡
手づくりは気持ち悪い?
手づくりの封筒が相手にとって気持ち悪いということもあるのだと知った。
蝋燭を作っていてディテールにクラッシュのざらざらを入れたりしていると
ちょっとなぁーという感覚のものができあがる。気持ちの良いのをねらって真逆にできあがるという感じだ。失敗した(自分ではそう思っていない)手づくりのヴァレンタインチョコ?
だいぶ前なら手づくりというだけで愛情のやり取りがなされた。ディテールの結果はどうでもよかった。今は……かなりの人が気持ち悪いという感覚を受けるかもしれない。そもそも手づくりのプレゼントなんて気持ち悪いと思っている人がいる。手づくりを好きとか恋愛とかにかけても同じことかもしれない。
個人のよけいなものまでが出ているからだろうか。でも作品でも、個人の、かつてなら余計と言われるものが出ているものもある。
素材と、素材の使い方の組み合わせで、気持ち悪いという感覚が想起されるのかもしれない。それは個々別になってきている。あるいはそういうマイノリティーの集団にはそう思われる。
ただしことは簡単ではない。同じ、テクスチャーを大きくすると別の物になってくる。蝋燭で気持ち悪さがあるものも、棺桶の大きさにするとそうでもない。快感が出てくる。大きさに吸収されるからだろうか。手の範囲と、手のちょっと越える範囲ということもあるのかもしれない。
update2008/04/11
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水浴
オフェーリアを救出した。
まだ髪も整えていないままに……そこにいる。写真は、明日の午後までの公開。
この姿は明後日までに変わる。
エンバーミング。
永遠は一瞬。
update2008/04/10
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更科 浅草橋店
影のように写っていて、顔のはっきりしない人が
いつも蕎麦を作っている。
僕の大好きな足踏みの人だ。イノダコーヒーの伊藤専務、歌舞伎蕎麦のおじさん。
気合いがはいると作る時に細かく足踏みをする。
浅草橋ガードの下の『更科』も若い蕎麦打ちさんが足踏みをして蕎麦を作ってくれる。
更科蕎麦が売りなのだが、僕は手打ちを頼む。
壁に写真が飾ってあって、真ん中に師匠のような年配の人が写っている。師の影を踏まないようにか、二三歩下がって、数人の人が写っていて、その一人が『更科』の店主だ。師匠なのかなと勝手に思っていたら、ある日、突然、写真の人が蕎麦を出していた。
手打ちそばがごつい。切れが均等に揃っていなくて、不器用な形をしている。さらにごつい感じ。うーん。悪くない。
味わうために二三日かよった。昨日また元の人に戻っていた。
気持ち蕎麦がしゃきっとしているような気分がした。刺激があったのだろうか。
タラの芽と大葉の天麩羅をオプションで頼んだ。ここは天麩羅も美味しい。
update2008/04/09
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十字架道行の留
十字架を背負ったキリストが休んだ場所。STATIO。
安心することはないかもしれないが、憩う場所があれば、一瞬、心が留まるところがあれば。
血を吸われた、吸血鬼キャリアの子たちは、柩のなかで不安と期待に苛まれる夜を送っている。
留があるとしたらそれは蓋をされた柩の中かもしれない。
柩の蓋を作った。技術は僕のものではないが、テクスチャーには感覚が反映されている。
思っても見なかった、ディテールの嗜好が顕になっているので、少し驚いた。手の癖も、欠陥も浮き出ている。鑞は、不思議な素材だ。
マスキングテープを忍ばせたが、巧くよじれて表面に浮き出ている。
update2008/04/08