column
追悼 若桑みどり
夜想を創生したころに
心底、力になっていただいた方の一人が
また
身罷ってしまった。
昨夜、ふと文章を書いていただこうと
思いたち
どうされているのかと
ネットで検索して
若桑みどりさんの死を知った。
10月に心不全で亡くなられていた。
アカデミックな研究をされている方たちが
敬遠していた夜想に
しかも『屍体』特集号に
原稿を書いていただいた。
思いではいくつもいくつも
あり
そして自分の美術の意識の形成に大きな影響をいただいた。
インタビュ−中に
若桑さんの猫が膝に飛び乗って来た。
話しをふと止めて
どうしてかね…誰の膝にも乗らないのにと
首をかしげられた
以来
若桑さんの家に行く度に
猫を呼びだしてくれるようになった。
僕は、
自分が若桑さんの猫と遊ぶのを見ている
若桑さんが好きだった。
なんであんたみたいな
アングラが私の原稿を必要とするの?
僕らにない歴史的な、大局的な見方は
極地的な視点で
動いている
僕たちにはとても必要なのです。
若桑さんは『夜想』のト−ンに合わせないで論文を書いてくれた。
ちょうど現代美術が日本に紹介されていた80年代初頭
ボイスやビュレンの公開討論会に
果敢に質問を投げ掛けていた若桑の姿は今でも鮮明に覚えている。
あくまでも美術史家の姿勢、イコノロジストらしい
質問をしていた。
トレンドに乗っている僕たちにはとてもできない質問だった。
そうそう
パオリ−ニの作品を読み解いたと
嬉しそうに笑っていたこともあった。
夜想があくまでも現場で
感覚的に紙面を作っていることを
猫が遊んでいるのを見るように
見てくれていたような気がする。
あの頃、
僕は、イタリアも、イタリア絵画も体感的に分らなかった。
イタリアに行って
絵を見るようになって
ようやく
馬鹿な質問の一つもして
何言ってんのよと一蹴されるくらいになったかなと
復刊夜想にまた甘えたお願いをしようと
思っていたばかりのことだった。
時が
自分を越えていくようになった。
できないことは
何もないと思っていたが
こうやって
時に負けていくのは
とても哀しい。
あと少し。
update2007/12/19
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ミロク
踊りの抽象度は難しい
モダン・ダンスのようにいったん
身体に入れて個的に
発露するというやりかたもある
抽象度をコンテンポラリーとして
表現するというのは
ちょっと見たことがない
勅使川原三郎がたどりついた一つの境地だろう
update2007/12/18
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ディ−ヴォ
ちいさな箱のなかに
自分がすっぽり入れるようになってしまった。
箱に穴をあけて
地面の湿り気に触れてみる。
二度と開かなくても
よいのかなと思う。
この箱の蓋が。
update2007/09/11
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棺の中に寝ている
昼間になると
ようやく少しだけ眠たくなって
棺に入って寝ている。
そんな生活が
もう三ヶ月ちかくたった。
update2007/09/02
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一夜の夢に 人形の館
ナハトの黄昏た空気の中に
静寂を装った
騒めきがあった
それは
新たに組まれた十数体の恋月姫人形と
恋月姫さん
宝野アリカさんが
人形とロマンチシズムの話しをしていたから
隣には
ヴァンパイアを思わせる
男の子の人形があって
その子がいる
ということが
私を元気づけた
人形は元々
人を裏切って存在する
だから
それ以上のない憂い
update2007/06/26
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コアを
ようやく
コアなものを考えたり
触れたりできるようになってきた
ような気がする。
これからだ。
update2007/01/21
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畠山直哉展
久しぶりの鎌倉
畠山直哉展
今から50年前に
ムンクを見た美術館
その時は父親に手を引かれていた
30年前に
何度も通っていた
ミルクホ−ル。
同じ席に通された。
ふっと時間が飛んだ。
30年も一昔。
気がついたら
うたた寝をしていた
ふっと目が醒めたら
あと10年
あり得ないことじゃない。
でも変わらないままの
未来は保障されていない。
駅ビルで
ご飯を食べていたら
となりに
70歳を越えた
同級生達がお葬式の帰り
わいわいと子供のように話している。
店をでたとたん
杖をついて
急に老人になった
百年経ったらまたおいで
その時
その意味分るだろう。
update2007/01/18