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2年たつと
PEACH-PITのお二人が
ビスに来てくれた。手書きのカード付きのお花もいただいた。
二人は人形をじっと見つめている。身体に視線が沁みていく。
昼に『更級』で手打ちそば、桜エビ、そして蕎麦ぜんざい。
はぁ、はぁと声を立てて練り込んだ蕎麦掻きは美味しい。口直しの飲み物が蕎麦湯に柚子皮を浮かべたもの。お洒落。
池之端薮も昔は、お茶下さいなどという人がいると、蕎麦屋にお茶はでないんです。お水か蕎麦湯でとたしなめられたものだ。蕎麦は仄かな味が勝負。お茶は舌の味覚を一瞬麻痺させる。番茶系なら大丈夫だけど…。今は池之端薮もお茶を出す。
自転車で銀座へ向う。借りたお茶を買うために。途中、日本橋『ミカド』でモカソフト。久しぶりだ。甘味を抑えたか?気のせいか?
紅茶を買って、ギャラリーを二つ見て、日本橋で休憩。今度は、イリー。
ビスに戻って作業をする。一日はまだまだ終わらない。2年たつといろいろなものが変わる。心も一クールを終える。
ほらね。やっぱり人は去っていく。2年なんて切れ目は関係ないよと言った人も、そんなことは知らないよと言った人も。
脳がそんなふうにできていると、脳学者はのたまう。
update2008/05/08
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ビスに兎さんが
ビスに兎さんが登場
そしてもう一匹、兎さんが
二人は黒色スミレの夜会に仕合わせを運んできてくれた。
アリスたち。
次々にアリスたちがここに遊びに来るのだろうか。
くるよ。
きっと。
update2008/05/06
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ディプティク 野波浩
野波浩さんが来訪して、トークショウとサイン会。トークショウはとても面白かった。
野波さんはストリート・フォトの感覚を基にして写真を撮っている。そんな意外な話が聞けた。
モデルも選ばない。それもとても分る気がする。向こうが選んだものには時代が入っている。
野波さんの初期写真集に『ディプティック』という二冊組みのものがある。ディプティクとは、二連祭壇画のことを言う。
双生の絵画。双生の人形。ここには双がたくさんあり、双がたくさん生まれる。二連ではないが、ファン・アイクの描いたゲントの祭壇画を思い出した。夜想の初期の頃、明けても暮れても混合技法のことを考えていた時期があって、ファン・アイクが大好きで、後に、ベルギーのゲントに見に行った。
黄金は色ではない。そんなことを一緒にセミナーをした川口起美雄に教わった。
野波浩はレイヤーを重ねて写真を作る。今でこそ、レイヤーだが、その原理は、ファン・アイクのころに作られた混合技法の透過層のシステムだ。いろいろなことが繋がって脳はナハトの闇で発光した。
見れば、恋月姫の『ミゼリコルディア』は、祭壇画そのものではないか。
update2008/05/05
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さらにエルメ
またエルメのマカロンをいただいてWGPを見ながら口にほうばる。
いただいたのは僕がエルメにはまっていることを知らない人で
美味しいものが広まるのはあっという間だ。もちろんブランドが付いてのことで、ふわふわのリンゴのドライフルーツがすぐに爆発的人気になるとは思えない。
でも美味しい。むしゃむしゃ。
リプトンの紅茶についていた、エルメとのコラボ、携帯ストラップ。
8種類…。どうにか手許に揃った。
欲望が踊らされる。もう少し自分が他の人たちのクリエイティブな欲望を喚起できると良いのだが…。
update2008/05/05
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8 1/2 エイトアンドハーフ
エイトアンドハーフの前には兎がいる。
エイトアンドハーフの周辺もどんどん開発されて、30年くらい前に髪をエメラルドに染めてくれた連獅子がすぐ側に店を出した。
このエイトアンドハーフにはもう10年くらいかよっているんだろうか…。
武南(たけなみ)さんにずっとカットしてもらっている。ずぼらなので6ヶ月に一回。ということは1年に2回か…。
6ヶ月たってもカットが乱れない。凄い。ブリーチもマニキュアもとても上手。それでモッズ・ヘアから移った。
以前はこんなことを書いていた。
☞
本質的には余り変わらない。スタッフが生き生きとしているのが楽しみ。
今日も上手なスタッフに髪をブリーチしてもらったり、洗ってもらったり…。
でも全然、時間が足りず、半分でサロンを跳び出した。
打ち合わせ。
今は途中の状態。今度は6ヶ月でなくてすぐにいかなくちゃ。
update2008/05/03
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集団作業
集団作業が苦手なのかなぁ…と呟くと、長いこといるスタッフが
人によるんじゃないですか?
と、応じた。
確かに現代美術系の大学でアーティストになることを頭のどこかに置いている人は、集団ということを前向きに捕らえていない。口では大切だとか、仲間だとか言っているが。
苛められないためのカウンターでそういう態度をしている傾向がある。
集団で作業をするときにどうしても人を見がちだ。ディレクターだったり、ヘッドだったり。
そして自分はディレクターになりたいと思っている。ヘッドのすぐ下の。
でも例えばディレクターが、一番細部の作業やそこに係わっている人とどうやっていくのか、という大変な作業が含まれているということを余りに知らなさすぎる。
世間が注意をしないで、親がちやほやして、育てたからなんだろう。
注意できないというのは、前世代の責任だから、自分も言い続けると、天に唾することになる。
少なくとも集団がやろうとしている[もの]をもう少し見つめてくれると良いのだがなぁと思う。集団を成立させているには、動機だったり、例えば出版だったりする[もの]が介在している。それを成立させるために集団があるのだということをもう少し見えると面白いんだけどなぁ…。
update2008/05/03
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同じものを
いつきても同じ味のものを出す、それが割烹料理です。
だから20年たってきても鱧の落としは同じ味がしている。たん義の花板さん、三津川さんはそう言った。
家の料理は毎日、気分や体調で味が変わる。それが良いんです。飽きないし。愛情も反映している。
今日は不思議なバイブレーションの日だ。
いつも同じ味をしているお店に珍しく擦れが生じた。
池之端の薮は、晒し葱が苦かった。そして蕎麦湯がいつもと違ってどろっとしていた。
セガフレードに行ったらカプチーノがぺったりしていた。
パリスタが若い人になっていた。
最後はルール違反だけれど
美味しいタルトタタンを作るお店が、火を入れすぎたから届けられないと連絡してきた。
強引にもらってしまった。
不思議なことが起きるものだ。
タルトタタンは美味しかった。これもアリの味だった。
ずれるのは作るほうとしては本意でないかもしれないけれど、人間的で時に面白い。
ふーん。という感じで楽しめる。
今日は、ずれている日。
僕はその擦れの中に身を入れて抜けようとしている。
update2008/05/03