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林美登利 個展「幼き魔女たちの宴」
いくら傷つけても…大丈夫
いくら傷ついても
いくら傷つけても
生きているものだという気持が少しあったけれど
そうではないんだということを実感した
それでも私は怪物だから
どこかで傷はつける
傷はつく
廟の中で
それでもベイビイたちは生きている
生きている
そのことを再確認してでも私は綺麗な頬に
手をかける
母親が子を
疎まないということは
ない
かもしれない
そのときどうするのか
私たちはそんなことの集積で歳を重ねていくのかもしれない。
update2011/06/14
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夜想・ベルメール展3 吉田良
ベルメールでありながら吉田良
吉田良の新作に出会えるというのは、そして吉田良が新作を作るということは、自分にとってまさに事件というのに等しい。何十年か仕事をして一時代を築いてきた人が、テーマごと新作を出すということは容易なことではない。吉田良と同じ年代、あるいは上の年代の作家を見ればそれが良く分る。
新作のパーツの写真は見せてもらっていたが、顔の一部だったりしたので、搬入の時まで気づいていなかった。新作はベルメールにインスパイアーされたもの、ベルメールに捧げたもの、そしてベルメールを見つめた作品になっている。ベルメールでありながら吉田良。吉田良でありながらベルメールという作品になっていて、吉田良の意気込みと創造力と批評性が伝わってくる。
ここで言う批評性とは、作品を批判するというような意味ではなく、分析してそこから創造の次のステップを切り出す視点のことだ。人形はそれに加えて制作を続けてきた吉田良の個性、創造性が発揮されている。2011年の段階でベルメール頌としては、ベルメールを最高に解釈した作品である。
夜想・ベルメール展 2月14日~3月14日 パラボリカ・ビス
update2011/02/14
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ホフマンの目玉
田村さんをもうボクはマンタムさんとしか呼ばないだろう。
夜想の展覧会が終わったら、田村さんは消滅してマンタムさんになる。
田村さんは仮の姿。
錬金術師マンタムさんは、チェコのゲットー生まれ。生まれてすぐに、堀井(ホリー)さんと国籍を交換した。
堀井さんはシュヴァンクマイエルの分身。
夜想骨董市に新作のためのオブジェを仕入れに来る。
さあて骨董市には目玉がたくさんある。
コッペリウスが30年にもわたって集めた目玉。
威嚇のための目玉。魂を瞬間退避させる目玉。
くるくる回れ、燃え尽きろ。燃えた人形からとろりと墜ちた目玉もある。
そして仏壇を義眼の映るまで磨いた寺山修司の
その義眼
父親の屍体から掠め取ってきたのを一つ忍ばせた。
値段は対価ではではない。
秘術が自動的に伝授される運命を牽く仮の値にしかすぎない。
誰の手に渡るのか。
ホフマンの時代から伝えられたチェコ・ゲットーの目玉は。
幾多の魔と殺戮を見た目玉を。
update2010/09/26
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田村秋彦個展 & 綺朔ちいこ個展
狼がショウウィンドウに鎮座した。
鎮座じゃないかも。
吠えてるぞ。抱いてみたら、暖かみがある。
update2010/09/07
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i-pod 〈4〉 猿田博士
猿田博士の実験室
iPadをメディアシミュレーションとして使っている。
欲望のままにi-podを使ったらどうなるのか、というシミュレーション。
その時の欲望というのは、時代のとか、今のとか
いう感じ。
欲望自体もシミュレーションする。
iPadを買った。iPadの魅力のままに使うとどんなになるのか。たとえばコンテンツをたくさん入れて、外で読みたくなるとか…。そのときのコンテンツは小説なのかアニメなのか映画なのか、漫画なのか。マンガなのか。
iPadをもっていることで、今までもっていなかった欲動が起きるとしたら…
映画を見たり、本を読んだり、本屋に行ったりという欲動は、今や、別のトリガーによって起きることが多い。本が読みたいから本を読むのでもなく、ちょっと脇にある何かが行動を引っ張るのだ。そういう風になってしまっている。
もちろんボクも。
付録が欲しいから雑誌を買う。そんな欲動ではない気がする。昔は…。ダイレクトだった。『少年』や『冒険王』の付録はホントに欲しいものだった。100万人がもつ付録って、それをもって歩くって…。
付録が目的なんでしょ? って聞くと、必ず雑誌も可愛い特集しているからって答える。少しくらい高くても安全で美味しいものが欲しいって答えるのと同じ。アンケートは、欲動を真っすぐに反映していない。もちろん付録ダイレクトに向っている訳でもない。
何でヒットするのか、ヒットしているのか。という現象の分析。
ユニクロが何故売れるのか? みんなおんなじものが好きなんだ。日本は世界最大の共産国だから?…。で、突然、今年、売れ行きが止まったのは?
iPadはメディアだからユニクロや雑誌の付録以上に気にかかる。
どういうふうに変化が起きるのか。
10年ほど前、畠山直哉がフィルムがなくなる日というワークショップを行ったときにたちあったことがある。その時、思った。写真家が困るほどには、フィルムはなくならないだろうと。
でもなくなった。
ペヨトル工房を解散する2年前、津野海太郎と「本が無くなる日」という対談をした。心の奥底ではまさかねと思いながら。自分は残れると思っていた。
生意気だけれど。
i-podがでて、今、出版関係者はどう受け止めているだろうか。
はっきりは見えてこない。
でも何かをしないと、まずいという予感はする。
何かアクションをして方向性が止められるかどうかは分らないが、
話しは飛ぶが…昔、野田秀樹が、批評家はいらない、一人のミーハーがいれば良いということを朝日ジャーナルで書いた。
朝日新聞のジャーナリストはそれに従った。ずっと野田秀樹のきちっとした批評は書かれていない。新聞は野田を時代の旗手として褒め続けた。
野田秀樹は今、きちっとした批評のなくなった現状に少し苦しんでいる。ネットで書かれる風評が評価を決める、こんな馬鹿なことはないと、芸術監督就任にあたって声を大にして訴えた。
野田さん、それはあなたが始めたことです。
でも、それに対してアンチを言わなかった、周辺がもっと悪いんですけどね…。
野田秀樹の演劇の内容が問題ではなく、野田秀樹の演劇的戦略が問題だった。
何かを言うことで、変えられることもあるかもしれない。
そう思う。
さて、予測と欲望。
iPadは、2バイト文化圏でない日本では、小説を読むリーダーとしてでなくマンガを一気読みするリーダーとして機能するかもしれない。それが最初の印象だ。
iPadで何を読みたいか、マンガだとしても。
ノイズの情報も入ってきて、それに影響をされながら、読んでいく。
たとえば、蜷川幸雄演出の『ガラスの仮面』を見たら、ちょっと読みたくなってネットで買って一気にダウンロードする。で、読む。そんなこと…。
先ず、最初が『二十世紀少年』そして引きついで『PLUTO』。そこから『鉄腕アトム』へと読んでいって…とやっていたら、
8月20日からパラボリカ・bisで展覧会をする[未来のイヴ - 機械仕掛けの幸運 - Sabotage展]のテーマが猿田博士だと…。
手塚治虫『火の鳥』をダウンロード。
人形ができる前、ロボットができる前、人は人間を作ることを妄想した。産業革命で機械が一気に発達した機運も合わさって、機械で人間が、機械と人が一緒になった生物が、…創造できると、思ったのだ。
そこに今、興味が帰りつつある。
予感。
だけど。
update2010/08/16
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蝶はあなたの
紋白蝶がふらふらと
地下鉄の中を舞っている。
乗客はみななんとなく心配げに見ている。
誰か、乱暴者が来て殺したりしないだろうかと。
うまく外に出れば良いのに
みんな目がそう思っている。
蝶は僕の靴の上に止まって動かなくなった。
昔、百軒店の
江戸時代に墓地のあった
その上に建てたマンションで
仕事をしていたことがあった
真夏の暑い日に揚羽蝶がブラインドに引っかかって
それから魔に取り憑かれる日が続いたことがあった。
もちろん魔に取り憑かれたのは僕ではなくて同僚だったが。
同僚は仕事を休んで関ヶ原の寺院に籠もってしまった。
蝶には死者の匂いがする。誰だか確かめないと…と言っていた。
僕の靴の上の蝶は
それっきり羽ばたくことを止めてしまった。
今日は、最初の真夏日。
猛暑が東京を襲っていた。
亡くなったのは
誰?
update2010/07/19
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鬼っ子が新宿の虚空に舞う
林美登利+清水真理
マルイワンの一階にある『カイジューブルー』というお店のショーウィンドウに企画を頼まれて、一も二もなく人形を展示することにした。清水真理さんと林美登利さんの人形。林さんは少し前にパラボリカ・bisで展示をしている。
可愛い鬼っ子が宙に舞った。これから一ヶ月、新宿の魔を一身に集めて『カイジューブルー』は、パワースポットになるだろう。
update2010/07/16