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た・ぶ・ん バニシングポイント

アメヤノリミズの展示
突如、復活したP_house

動機があって
何かが始るのは
見ていて潔くてカッコよい。
願わくば自分もそのように……
さすが秋田さん。

飴屋は自らをホワイトボックスに封じて
その暗闇の中に身を投じ
消失の感覚を消失によって描いている

かつての飴屋の作品は
エッジがこの上なく立っていて
触れると切れるようだった
攻めのコンセプト

今は
何か消失して
その状態を許容しながら世界を見ている

自分にも経験があるが
タの行の言葉が突然、記憶から遠のいて
出てこなくなる

飛ぶという漢字が書けなくなる
書いても
飛ぶというリアリティがない

明らかに脳から何かが消失しているのだ
そんなことを意識したことはなかった
たし算だけで生きていた
時代もあった

しかし世界はたし算だけで出来ているわけではない

飴屋の考えている消失とは
また別のものであると思う

しかし
展示を見ていて
私の消失感がリアルに甦った

update2005/08/22

peyotl.jp

今さらながら

今さらながら思うのは、
写真とは
映ったものである
ということだ

ファインダーを覗いて
何が映るかと
一生懸命、見えるものをカットしようとしていたけれど
少しそれは違う気がする

ドキュメントの写真にしても
何が映っているかで、
何を写したか
ではないような気がする

それはそこにカメラと恣意が動いているから

update2005/08/21

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天使の羽根2

人形を見る目
人形屋さのオーナーにインタビューをした
やはり人形を売ることを仕事にしている人は
その見方で人形を見ている
興味深かった

人がどうみるか
人が何故、人形に囚われるのか
どこの部分に囚われるのか
そんなことをじっと見続けてきた人なのだ

だから人形店主の人形に対する
見方は
多くの観客の総体として存在する
お客は、究極、自分の意見を聞くことになる
だから有効なのだろう。

いや他人のことは言えない
それぞれは、自分の見方でものを見て
感じて
売ったり、買ったり
語ったりする
自分の見方は自分で作り上げたものではない
大きな外の何かによって作られてしまったものなのだ。

飴屋法水の展覧会にしても
消失している
いくつかの言た葉があるだけで
観客の見方は千差万別になる

オールビスクの価値観も
誰が作り出したのか……。
面白いことはたくさんある。

update2005/08/20

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携帯を代えたら

携帯を代えたら
写真のエッジが立つようになってしまった
前の携帯のゆるゆるの
感じが良かったのにな……。

飯沢耕太郎さんと写真のことで対談している時に
ふと思ったのだけど
スリーピングビューティというのは
長い時間露光する
カメラがあって成立したのではないだろうか。

パシャ!
という感じで
子どもの死に姿は撮りたくない
ような気がする
カメラが表現を決める
そういう側面も
少しならずあるのだろう

update2005/08/19

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睡蓮

『睡蓮2005
花開く水辺にて』 内藤礼

大山崎山荘の内藤礼の展示は
睡蓮の花咲く池と
モネの睡蓮の連作に捧げられた作品

見えないくらいの
仄かな糸に
かろうじてつながれた
花の一連は

ということでもあろうが
それは儚いものでもあるという
ことなのだろう

たまたま
昨夜であった
紅茶との不思議な縁もあって
緩やかな
時を
享受する

update2005/08/16

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les contes de the

馥郁たる香りと儚げな
舌ざわり
余りの美味に
ブランドを聞いたらレ・コント・ド・テ
睡蓮の紅茶

ジルベニーにある"モネの家"の為に
レ・コント・ド・テのオーナー、クリスティーナが作ったお茶。
モネの生涯のモチーフ"睡蓮"
からインスパイアーされたもの

update2005/08/15

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魔都

魔都復活。
それは私の頭の中のことだけど

深夜・京都御所の脇の
深い闇の道を歩きながら
深夜の浅草を想像する。

誰もいない仲見世を
学天則が疾駆する
そして仁天門を抜け
日光の方へ消えていく。
まざまざとその軌跡が見える。

地霊が動きだしている。
帝都は魔都として復活するだろう

update2005/08/14