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2017/01/18

木下歌舞伎 アゴラ劇場

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「娘道成寺」

木下歌舞伎「娘道成寺」
歌舞伎は国の芸と言われながら松竹が管理をしている。その大歌舞伎は、それ以外に「歌舞伎」と使わせることはない。歌舞伎座の定式幕の色並びを勝手に使うことは「違反」である。極端に言えば認可の必要な劇なのである。
少し前で言えば、「花組芝居」(大好きな篠井英介や深沢敦のいたろころ)とか、歌舞伎をうたう劇団は多い。ちなみに郡司正勝は、当時の歌舞伎の踏襲化、世襲化を嘆いていて、むしろ「花組芝居」のほうがかぶいていると大評価をしていた。それらの劇団は、どこか歌舞伎の型を「もどき」として使うところがあって、歌舞伎あっての歌舞伎もどきである。(もどきという言葉しかないので使っているが、本来もっている否定的な意味を引き算して読んで欲しい)
そうした劇団と木下歌舞伎は一線を画しているように見える。簡単に言うと、型を突き抜けて向こう側に行き、そこでじっと生成を見て、戻ってきて、現代に違うものを立てるという感じだ。
きたまりはコンテンポラリーダンスとして「娘道成寺」を踊っているが、どこか芦川羊子の匂いがしたりする。正確に言うと、芦川羊子の踊りから土方巽の演出と薫陶を引いた、女子のもっている独特の踊り感覚というものの匂いのことだが……。曲は歌舞伎で使っている「娘道成寺」の長唄全曲を使っている。だから歌舞伎での場面が全部存在する。だからどうしたって比較しながら見ることになる。それがもの凄く楽しい。そこで気がついたりする。あ、梅幸さんの鞠つきと歌右衛門さんの鞠つきは、……違うんだ。と、記憶の中で反芻しながら思ったりする。そしてきたまりの鞠つきを見る。その時にふと芦川羊子でてきたりするのだ。
踊りの批評性とはこういうことか……。後から踊るものはこれをしないといけないのだな。何かを批判するのではなく、元に分け入って、作って戻る、そんな感じが大切なんだなと思う。
きたまりは、ダンサーとして振付師として優れた資質をもっている。振りが自在に繰り出されていて、道成寺の曲に合わせてあるので、おそらくきっちり決まっているだろうに、即興のようにも見える。場面場面の内容を、振りが解釈して、その上にダンサーの感覚がのってこちらに向かってくる/時に引き技も見せる。引き技もっているのが、なかなかこしゃくな感じだ。(こしゃく=肯定用語ね)最も驚いたのは、ラストで、「娘道成寺」だからどうしても踊り手のテンションは上がっていくし、上がらないと良いダンサーじゃないし(歌舞伎の踊り手もそうだと思う)なのに、最後にふっとそのテンションの頂上に静寂をもってくる。そして気と体を「脱力」する。で、内的「微笑み」を浮かべるのだ。
あ、今、書いていて思ったけれど、そこもラストの芦川羊子的だ。自分に観客の視線が痛いほどに集ったときに引き込んで微笑むところ。でも違うのはきたまりには静寂があるということだ。芦川には桜の喧騒がある。いずれにしても、きたまりのラスト、ぞくぞくする。良いなぁ。
#木下歌舞伎 #きたまり #木下裕一 #夜想 #アゴラ劇場 #娘道成寺

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2016/11/07

奇ッ怪其ノ参[遠野物語]前川知大・作・演出

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奇ッ怪其ノ参[遠野物語]前川知大・作・演出
蜷川幸雄追悼の「ビニールの城」の暗澹たる出来の悪さに、所謂商業演劇の未来の暗さを予感してしまう、その嫌な感じを、払拭してくれたのが、前川知大・作・演出の「遠野物語」だった。

社会の合理化を目指す「標準化政策」に違反した疑いで、ヤナギダ(仲村トオル)が逮捕され、イノウエ(山内圭哉)が審査のために呼ばれるという設定だ。前川知大は、設定が巧い。設定をした後で、世界観を引っぱり込んで舞台を作っていく。そこが意識的に設計されているように思う。いいな。

イノウエは井上円了、ヤナギダは柳田国男だ。前川の戯曲では、合理と科学で怪しいものを説明しようとするイノウエと怪しいものこそ伝えるべきもので、存在すべきものだとするヤナギダとの対立になっている。これは「真景累ヶ淵」の真景が神経から来ている、怪しいものを人間の頭が生みだした妄想とする動きがあったことに重ねられる。

近代文学は発生の時から怪奇と幻想を孕んでいたように思う。幸田露伴の「対髑髏」などを読むとこれが過渡期と創成なんだとわくわくする。その系譜に泉鏡花も柳田国男もいる。鏡花は流行っているがそのトリビュートを見ると、そうか?と思うようなものが多くパターン的認識が多すぎる。

話は飛んでいくが、先日武蔵美で山本直彰に呼ばれて講義をしたが、反応で驚いたのは、類型化、分類化、典型化して俯瞰する切り口を望まれていたことだ。典型なんてこれから新しい芸術を作る美大生にもっとも不必要なものなんじゃないか。僕はむっとして普遍的なことを教えているんですかと教授に聞いてみたりした。外れて外れて、それでも出てくるものが芸術に必要な普遍ではないのか。まぁいいや。

だから前川の「標準化政策」にはぎくりとして腑に落ちるというか共感を覚えた。作・演出の前川知大は、架空の日本に「標準化政策」が施行されているという設定で奇ッ怪其ノ参「遠野物語」を構成している。「標準化政策」とは、全てに「標準」が設定され、物事は真と偽、事実と迷信に明確に分けられ、その間の曖昧な領域を排除するというものだ。この[設定]が、前川知大の演劇の根幹だ。

おそらく前川は遠野に取材してその余りの何もなさに、[標準]が幻想を壊した(これは僕の言い方だけど)と思ったのだろう。幻想文学が衰退して「夜想」が困っていることと、標準だの典型だのに押し切られている今の表現教育とが実は密接しているんだと、奇ッ怪其ノ参「遠野物語」を観て衝撃を受けた。で、なんかかなりめげてしまった。ずっと考えたりやってきてどうにもならないのが教育の部分だから。武蔵美の講義の後、学生と教授との会話に耐えきれず尻尾を巻いて逃げ帰った僕に、未来は昏い。

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2016/06/22

勅使川原三郎アップデートダンス「春と修羅」


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勅使川原三郎のアップデートダンスNo34。今回は宮澤賢治の「春と修羅」、アップデートダンスは、日々刻々変わっていく。本当に変わっていく。それは作品を作り上げるためのもの、であり、そこに一回きり存在するためのものである。正面から正統的に作り上げることは、芸術にとって必須の行為であるが、実験と今と未来を含んで作る時、それは意外と出来上がらないことが多い。その過程の中でどうしようもなく逸れたり、ユーモアがでたりする、派生のところに究極の表現がひょっと顕れたりする。そんなことを勅使川原三郎は無意識に本能的に狙っているのかもしれない。
今夜のダンスは、これ一回きりのもの、明日にはまた変わっていく。このシリーズも勅使川原三郎のソロで始り、今は佐東利穂子とのデュオになっている。
勅使川原三郎は、今ここで佐東利穂子とダンスで対話をしながら踊っている。相手の動きに応じて踊っているパートは、果たし合いのような緊張感がある。それでいて感覚は限りなく自由な時空にいる場合もある。二人は本番の中で、作るリハーサルをしているような不思議な境地に達している。
アップデートダンスは、見せるダンスというよりは、ダンサーがどう踊るかに主眼が置かれている。
それでも、もともと見せること、空間の演出に長けている勅使川原なので、どこかに何パーセントか見せるという要素がある。観客の前にたちその呼吸の反応は明らかに反映しているのだから。
見る人たちをぐいぐいと惹きつけていく。優れた絵描きのデッサンが出来上がった絵画より見るものに別の魅力をもっているように。それをグリザイユと絵画では言うが僕は個人的にずっとずっとグリザイユを求め愛してきた。
宮澤賢治の「春と修羅」は詩的な言葉で綴られているが、勅使川原はそこから醸し出される詩的なイメージを使うのではなく、その詩の言葉自体に向かっている。しかも限りなく具体的に対峙している。勅使川原のダンスが、詩の言葉になり、詩を生み出す装置にもなっている。宮澤賢治と勅使川原三郎がともに「春と修羅」を詠んでいるかのような印象だ。
勅使川原三郎は、だいぶ前に、宮澤賢治の詩『原体剣舞連』を元にダンスを創作した。一緒に種山高原に行き不思議な体験をした。その一部が写真に残っている。
その時、宮沢賢治に向かっている時と大きく異なっているのは、死という要素を身近に置いていることだ。「春と修羅」から死の具体を糸として抽出して織りなしている。勅使川原の踊る「春と修羅」は、死と生のダンス、その交錯を描いている。ラスト近く、勅使川原三郎自身が朗読する声で踊るシーンは、死を迎える心の柔らかさと、それを受けとめる身体の痙攣が重なり合っている。

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2016/04/09

森村泰昌Ⅰ

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森村泰昌

横浜トリエンナーレの最後のパフォーマンスで、あ、カフカを忘れたなどと呟いていたように記憶しているが、そのカフカの作品の元になるエスキースがパラボリカにある。森村泰昌アナザーミュージアム@ナムラには撮影に使った羊がもう船の入らないドッグを見ていた。

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2016/02/29

演劇実験室・奴婢訓。

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演劇実験室・万有引力[奴婢訓](公明新聞)

寺山修司は、演劇実験室・天井棧敷を率いて前衛的な演劇を行なった。特に、演出、役者、劇場を絡めた上演性に特色があった。だから寺山修司の「奴婢訓」の戯曲を上演することはできても、天井棧敷の「奴婢訓」を再現をするということは、なかなか難しい。当時、寺山と共同演出をしていたJ・A・シーザーの「万有引力」が、上演性を含めて天井棧敷の「奴婢訓」を上演できる唯一の劇団である。

天井棧敷の「奴婢訓」をそのままに伝えているが、1978年、晴海の初演から比べて変化はある。その一つが、J・A・シーザーの音楽である。曲自体は当時から大きく変化していないが、ロック色の強かった演奏から、現代音楽を感じさせる構成になっている。役者のパフォーマンスを促進するような音楽ではなく、舞台を根底から支える形になっている。

前半部分は、ストレートプレイ的な演出で、役者が身体を使ってはっきりと演技をしているのが明るい照明の中で見て取れる。天井棧敷時代の耽美的な雰囲気たっぷりの演出は影をひそめている。その結果、寺山修司の戯曲の構造がはっきりと見えてきていて、寺山修司や天井棧敷を知らなくても、「奴婢訓」の魅力を体験できる。演劇としてフラットな、言えば世界共通の表現で、訴える力が非常に強い。

小竹信節の美術は、天井棧敷の初演の頃からまったく変わっていないように見える。それだけ先鋭性が高かったということだ。小竹信節は「奴婢訓」で不思議な機械を生み出したが、それは人間を圧倒する機械ではなく、身体と絡んで微妙な奇妙な動きをする生き物のような機械である。この美術もまた類を見ない。

シーザーと小竹信節のアンサンブルは、今も、密かにヴァージョンアップしながら、寺山修司亡き後の寺山演劇のあり方を見事に提示している。

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2016/01/24

押絵と旅する男

押絵を旅する男/江戸川乱歩
朗読 井上弘久 美術 日野まき
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乱歩と潤一郎の版権が今年切れる。青空文庫では一斉に解禁になるだろうし、一方、詳細な研究の進んだ谷崎潤一郎の全集の刊行も進行している。

そんなこともあってか、ないのか、茶会記で乱歩の朗読会を企画することになった。茶会記は四谷にある喫茶バーでイベントもする。
茶会記は羨ましいほどに言い名前だ。
作を選ばせてもらうなら、「押絵と旅する男」。自分としてはこれ。人形繋がりということもある。夜想の「カフカのよみ方」で体得した本のよみ方その一。自分の得意ジャンルからの視点で入る。
僕で言えば、踊りとか人形とか。他の人のカットインに乗るという方法もある。贅沢な感じで髙橋悠治のピアノを弾く指とか。もちろんピアノや音楽に素人な自分では、乗り切れないけれど、目の前が開けるような視点をもらえることもある。


押絵を旅する男 Ⅱ
2月13日、14日にパラボリカ・ビスで再演するのだけれど、日野まきの美術が朗読をブローアップしている。乱歩の「押絵と旅する男」の挿絵でもあり、井上弘久の朗読演劇の美術でもある。
挿絵といえば、小村雪岱。「一本刀土俵入」の取手の宿の舞台装置の鏝絵で六代目菊五郎を喜ばせ、台詞が美術作品に及んでいる。昔のコラボレーションは粋に満ちあふれている。自分を主張するのではなく、コラボレーションして出きあがるものに対して情熱をかけているのが素敵だ。
ともあれ人形で「押絵を旅する男」を読むと兄さんと弟の感情の交錯が見て取れて面白い。視点をどこに置くかで隠れているものがでてくる。
「押絵と旅する男」は、乱歩の覗き見趣向、レンズ嗜好がからくり箱にしっかりと嵌まった名作だけれど、今回、朗読を手伝っていて気がついたのは、「ピントがあう瞬間」の魅力だ。


押絵を旅する男 Ⅲ
乱歩は、中学生の頃、部屋に閉じこもりっきりになって雨戸の節穴から差し込む光を見ていたことあがあり、それを自分では憂鬱症と言っていた。差し込んだ光が天井にもやもやを作り、それに驚愕して慄いていたがしばらくしてその正体を発見する。(「レンズ嗜好症」)
何だか分からないものにピントがあって像がくっきりする。その瞬間のゾクゾク感、それが乱歩のレンズ嗜好なのだ。「押絵を旅する男」は、態々魚津へ蜃気楼を見に出掛けた帰り途であった。私によって書かれているが、相変らずの癖というか文体で、これは乱歩自身のことである。不用意に小説の中に出てくる乱歩のその有り様を愛でる中井英夫が分かるようになったのも、今回の大きな収穫であるが、それはともあれ、蜃気楼、遠眼鏡のピントが合う瞬間の魅力が乱歩の囚われていた書くことの魅力の一つだろう。押絵がなんだったというユリイカの瞬間とその設定が、乱歩の書く醍醐味だったのではないだろうか。

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2015/11/18

カフカがまた何かをくれる。藤本由紀夫そして

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カフカは読む度にまた新たなよみ方と発見があり、そのことがまた創造を生み出す。夜想で、
作家それぞれのよみ方が深く面白い。自分が読んで、他の方が読んで、あっ、と発見があったり。楽しい。藤本由紀夫さんが「こま」と「流刑地」の作品でビスに登場。

「こま」は新潮社版の全集でしか読めない(たぶん)けれど、今度、多和田葉子さんがまとめた、ポケットマスターピースシリーズのカフカに収録されている。解説でも、早速に多和田さんは、「こま」について言及している。
回転するものを動きをとめずに「つかむ」にはどうすればよいのか。そう書いている。答えを藤本さんが見せてくれている。回転しながらしっかりとめている。必見!

ビスの藤本由紀夫展「処刑機械そして独楽」は、カフカ二題の展示、まさに回転をとめずに独楽をつかんでいる作品だ。

多和田さんはこうも書いている。

カフカの作品は常にいろいろな読み方ができるが、複数の解釈がお盆に載せられて「どうぞお好きなものを食べてください」と読者に差し出されるわけではない。熟読していると、奥から線が何本も浮かび上がってきて一つの像を結ぶのだ。(多和田葉子)

作家たちの熟読は興味深い。まさに意外なところから線を浮かび上がらせて、鮮やかに見せてくれる。

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2015/09/04

賀川洋様への謝罪文

謝罪文

エディターズ・トーク http://www.yaso-peyotl.com/archives/et/002758.htmlにおいて、2004年青山ブックセンター倒産から、2008年の洋販倒産までの経過を、体験以外の部分を、ネット上の資料や記事を使って書きました。事実を確認する補足取材することなくそのまま7年間放置してしまいました。そのためIBC パブリッシング代表・賀川洋様に、ご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げ記事を削除します。今後、このようなことがないように、地に足をつけて真摯に取材をして文字を使っていきたいと思います。大変申し訳ありませんでした。


                           2015年9月20日今野裕一

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2015/08/24

未来をなぞる写真家・畠山直哉

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この映画の中でしか見られない畠山直哉の写真がある。

畠山が写真に向かっている姿、過程、考え続けている思考、この映画の中でしか見られないものがたくさんある。
デビュー前から畠山直哉の写真を見ていて、時々、話もして、何回か自分のトークにも来てもらっていた。畠山直哉の写真をある程度、把握できると思っていた。
でも映画の中に出てくる畠山直哉の写真は、僕にはすぐに把握できないものだった。

写真について言えば、例えば独特の構図、対象の見方、距離……、そうしたことは、作家が作家になったときから大きくは変わらない。それがその作家の作家らしさということだから。写真の対象への距離がきちんと一定していること、向かい方ということも含めてだけど。その距離感がその作家の個性である、なんて言い方もある。
だから写真美術館で「Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ」を見たときに感じた、写真の変化、そして畠山直哉と交わした言葉を聞けば、変化するだろうけど、ゆったりと、かみしめるようなものなんだろうな、と、思った。

写真がもってる枠組み、特にそれが美術館の中で展開されるようになった後の写真の枠組み、それを含みながら作家がそこで確立するもの、それが写真だった。(もちろん写真のすべがそうではない。写真は多様に存在する)そんな枠組みを含めて、あるいは、それを利用して作品と作家を見ていたわけだけれど、そんな見方を含めて………写真というもの……そういった写真にまつわるいろいろが、畠山の中で崩壊したんだ。そして彷徨しているんだ。変化は、根底を揺さぶるような激しいものだった。それが映画の中に写っている。

震災の後、畠山直哉と、一度、話をしている。震災の後、陸前高田の刻々変わる風景、そして何もなくなった。縄文時代のようだよ。彼はそう言った。それが進化するのに、元にもどるのに果てしない時間がかかる。写真の歴史はたかだか200年、何もなくなった故郷、陸前高田で自分は、写真で何ができるのか。とも。

畠山直哉が向きあっている陸前高田は、ゆっくりと考える時間を畠山に許してはくれなかった。更地のようになったところに、土が盛られ、山が削られ、そしてそれを移動するための巨大な橋が造られたり……。畠山の思考の変化は、変化という言葉では生易しく、動乱、迷走、彷徨、そんな言葉が必要なくらい揺らぎ、虚ろい、苦悩していく。
向こうから来た圧倒的なものに向かい続ける畠山直哉。自然の災害、その跡を処理する政治、起重機、ダンプ…故郷は激変していく。畠山は、それを受けとめきれない、そう誰も受けとめきれないのだが、畠山は写真と写真をする思考で、それに向かいあう。それの不可能性を受けて心にとめている。
このドキュメント映画にはそういうことも写っている。

ドキュメント作家のには申し訳ないが、この映像は畠山直哉の写真であり思考であり、そして苦悩の変化である。畠山の行為をじゃませず、それを丸々写している。カメラの前で畠山直哉は苛立っていない。(取材しに来た海外のジャーナリストに彼は密かに苛立っている。)写っているものを邪魔しないドキュメント作家というのもいていい、あってもいい。演出だって主張する演出と、手を見せない演出がある。
この映画のトーンが何かに似ていると思ったのは、映画館を出た時だった。畠山直哉は、大学を出てすぐに「ボイス・イン・ジャパン」というドキュメント映像の編集をしている。撮影クルーがそれぞれに撮ってきた、かなりの量の素材映像を、一時間にまとめる仕事をした。若かった。20代の前半だろうか。ボイスがある種の熱病的なブームの中で、迎えられた中で、畠山直哉の編集の手だけが静謐だった。その静謐さを思いだした。騒乱の中で彼の写真は静かだ。その静けさは、美のように観客には写るのだろう。

畠山直哉の写真は、この2年の中で、畠山直哉独特の構図や視線を取り戻しつつある、ように見かけは見える。それはかなりの驚きだった。
ロマンティックなたとえ話にすれば、写真の枠組みとか写真を写真足らしめているものを根こそぎ流されて、写真の縄文時代に戻って、それがまた次第に現在の畠山の思考を反映する写真として形成されていく。その過程が、このドキュメント映画に写されているということになる。

しかしことはそんなに単純ではない。今、見れば、震災の直後に撮られた写真にも、震災以前の畠山直哉の写真が生きていて、しかし、それは2年位前に見たときにはそうは見えなかった。ブラストのような圧倒的な写真群を頭に記憶している自分には、等身大の、視線がぐっと低くなった別の写真のように見えた。しかし震災後の写真の量が増え、写真集が出版され、ドキュメント映画が公開されると、劇的に変化しているものの中で(風景、畠山の思考)写真はその劇性を反映していないように見える。(それが畠山直哉の写真なのだ)写真は化学だから、心が写らないものだから。

畠山直哉が映画の中でも言っているように、震災前にスナップのように撮っていた故郷の写真は、今、まったく意味が変わってしまったと。写真は、見る方によっても、提示によっても、文脈によっても変化する。陸前高田が変われば、畠山直哉の写真も考えも変わる。その変化の中で、見る方の変化もある。

この写真はこういうものだ、という安定した見方はもうない。表現している内容を固定して記述することができた幸せな時代は終焉している。おそらく。対象と表現者と受け手と、そのどれもが浮浪している。変化している。定まった形式をもてなくなったのだ。「うつろい」がその三者に纏わりつく。暗鬱をもって。
そんなことをこのドキュメンタリー映画は映しだしている。

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2015/08/23

畠山直哉

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2015/07/29

お茶の時間。

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手揉茶 飲んだことない味。
カフカノートを朗読する。可能か? 可能にしたい………。

悠治さんは、きっと言葉に音をつけないんじゃないの。言葉と音をそんなふうな関係に置いてないかも。と。 指から言葉が入ってきて、身体に入って
………。悠治さんはここにいないのに、悠治さんを思いながら話している人たち。 リスペクトを越えた、理解というのか、共闘というのか。お茶を前にしてそんなことを思いだし。「カフカ、夜の時代」を読む。カフカと病と夜の時間を共有しながら悠治さんは、身体の中を通っていく時間とか、夜とかを息していた。

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2015/05/25

浅田弘幸 河村康輔 コイケジュンコ

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靴は五本足の地下足袋、たぶん五本足の靴下、ちょっとニッカボッカ風なズボン。日高屋をこよなく愛し、サンマルクカフェのスィーツをかき込む、男前な女子、コイケジュンコ。
黒いA全の紙の上に、さらに大きな紙を貼って、ペリペリと剥いでいくと、下から黒い紙が覗いて蝋燭の炎のような形が出てきた。引き算的手法。コラージュだと足す感が強いが、コイケはどんどん引いていく。で、そこから出てきた余りをどんどん貼っていく。
さすがにピースも残さず丸ごとコミック一冊でドレスの人だ。
浅田弘幸のPEZをコラージュした河村康輔のポスターの上から、コイケが貼っていく。紙を貼っているのだが、裂け目が立体になって重なっていく。立体感のある平面構成がどんどん進んでいく。

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2015/05/20

山本直彰 Ⅲ  聖バルバラ 

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山本直彰。
どうして今まで知り合いじゃなかったのかと、不思議にも思うが、そんなこともあるから人生は面白い。実家の母親を見舞って、アトリエに電話を入れると、じゃぁ北鎌倉の駅前で待ち合わせるかと会うのに応じてくれた。カフカ100枚の展示が終わってちょっとした頃。
山本直彰と出会ったのはついこの間。ギャラリーで作品を見て、カフカを描いてもらえないかと頼んだのが始まり。アトリエは大和、今住んでいるのが北鎌倉。なんと自分の実家から直線距離なら500メートルといったところか。山があるから直線では行かれないんだけれど。
世代が近いだけじゃなくて、野球をやっていたりと、共通感覚がある。まぁそれは良いとして、カフカの絵を頼んで60号が10枚ほど出来上がったときに、アトリエに出かけて、何か親しみが会ったせいか、感想を言えといわれたときに、絵の完成の話をした。芸術家は、100%を目指して作るけれど、しばしば100%を越えてやりすぎちゃう。全力で描いて、ちょっと足りない位が素敵。中々難しい。暗に描きすぎじゃないの?と言ったことになる。

その時に、グリザイユのこととか話した。グリザイユは下絵で完成みたいなもの。下絵にも使う。大好きなのは、ファン・アイク『聖バルバラ』。山本直彰は、話をどう聞いたのか、それとは関係なくなのか、分からないけれど、さらに描くから待てといって、最初のカフカモチーフの絵の上に、黒と白の扉のようなものを描いて、そこからまた絵を描きはじめた。そして最終100枚にまで至った。

北鎌倉は相変らずローカルで駅前に、おしゃべりをするような店は侘助しかない。そこで会って、山本直彰は、また絵の話を始めた。好きなんだな。ほんとうに。でまた下絵とか、完成するしないの話に及んで、ふと顔を上げると正面の壁に、切り抜きが貼ってあった。何十年もそのままなんだろう、煙草の脂で変色した、ファン・アイクの『聖バルバラ』。ちょっと衝撃だった。何で!


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2015/05/04

カフカ ノート。

カフカカフェ 2015/05/04

以前、高橋悠治さんの「カフカノート」の上映会+解説をしたいただいたとき、気になったのが、硬いパンの塊に父親が四苦八苦するシーン。

高橋悠治「カフカノート」
ノートⅡ 9(1920年)
テーブルの上に大きなパンの塊があった。父がナイフを持ってきて半分に切ろうとした。ナイフはじょうぶでよく切れるのに、パンはやわらかすぎずかたすぎずだがナイフが通らない。子どもたちはおどろいて父を見上げた。全身の力をかけてもパンは切れない。父は言った____「何をおどろいているんだ? ふしぎなのは、何かができないよりはできるほうじゃないのか。もう寝なさい、そのうちできるだろう」。

MODE特別公演(@パラボリカビス)「父への手紙」(カフカ)にも父親の食卓シーンが出てくる。
骨は噛み砕くものではない、しかしあたはがそれをやるのは構わなかった。料理の食べこぼしが床に落ちないように注意しなければならなかった。ところが、結局あなたの下にたくさん落ちていた……。

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2015/04/17

蕎麦を嚼むようになった。

カフカフェ日常__2015/04/17

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蕎麦を嚼むようになった。
ガード下の立食い蕎麦屋で、蕎麦の話をしていたときに、「嚼んで食べてもらうように打っているんだから…」
と、言われて衝撃を受けた。蕎麦は、ずっとのど越しで、嚼まずに食べていた。
池ノ端藪がホームグランドだった。柳家小さんが、弟子に食べさせずに前に坐らせて美味しそうに、そして落語のままに食べていた。え、ほんとうに弟子に食べさせないんだと吃驚した。

蕎麦は嚼んで食べる用に作っていると言われ、大袈裟に言えば人生観を変えて、嚼むようになった。いきつけの蕎麦屋に片っ端から出かけて、もぐもぐと蕎麦を嚼んでいる。発見もある。蕎麦ってという驚きもある。今の蕎麦粉の出来合も流通経路も昔とは異なっている。蕎麦粉が日本でない蕎麦もある。

これは、こうだと、決めないで、自在になるというスタンスに変えた。だから文学のよみ方も。そうしたらカフカも違ったカフカとして僕の前に立っていた。楽しいかも。
そんな風に自分の変わりようを思う。

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2015/03/30

カフカ・カフカ・カフカ

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井上弘久。朗読劇『変身』
4月3日[金]●開演20:00 4月4日[土]●開演15:00/19:00 4月5日[日]●開演16:30


雑誌を組んで、カフカをモチーフにした作家たちと交流して、カフカの、自虐の入ったユーモアと、エロスを楽しめるようになった。

管啓次郎さんは『本は読めないものだから心配するな』という名タイトルの本を著しているけれど、それをもじって、カフカは分からないものだから心配するなと言ってみたい。でもこつは「分かる」という作業をしない、そこに書かれたものを受け入れることだ、その果てに笑っちゃうよねというカフカ独特の感覚が訪れる。

『変身』は、虫になったことがすべてだよね。という人がいる。確かに
 ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレゴール・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた。
という出だしは、すばらしく文学している。

4月5日 井上弘久さんの『変身』朗読の後に、

千野帽子&米光一成スペシャルトークショウ
「幻想文學セラピスト」◆第三夜◆ カフカと変身と3つの扉 ●4月5日[日] open18:30/start 19:00

が、あるが、これは「ある朝起きたら………」縛りの文学、しかも幻想文学についての、お話だ。

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2014/12/12

カフカ、カフカ、カフカ。

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西岡兄妹の兄、智の自作解説。



カフカ論を読むと、その評論家の思想が逆照射されて面白い。
カフカをどう読むかそこに評論家の姿勢が透けて見える。
ドゥールーズにしてもカネッティにしてもそうだ。

西岡智は、もう一つの審判―カフカの「フェリーツェヘの手紙」を使って、自作を解剖して見せる。夜想では、シュルツのコミック化を頼んだのだが、初めて読みましたと言いながら、あっというまに分析、解体してみせてくれる。なんか、瞬間に江戸の「腑分け」という言葉が浮かんだ。意識は日々更新される。思考も解釈も、そして実は作品も。

話はちょっと飛ぶが、ガタリも晩年、どんどんカフカにのめり込んでいった。

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2014/10/15

『未完のカフカ』 山本直彰

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未完のカフカ。

山本直彰はカフカになった。

 たった一枚の絵を依頼したのに,山本直彰は、100号10枚の絵を仕上げて連絡をよこした。何か言え。山本はそう言った。それは、長いこと芸術に関係してきた自分に、本気で相手をしろ言っているようにも聞こえた。
これで充分だけど、むしろ充分でない絵を描くことが今の時代の枠を壊すことにならないか。その可能性が絵から伝わってくる。もっと壊れたがっているように見える。と答えた。
 山本は最後の2枚の絵に、それぞれ白い本のような扉と黒い扉を描き潰して、そこから次のシリーズが描き始めた。また何10枚かの絵ができ上がり、それは次第に白いトーンになっていき、文学的に言えば余白に描いているような、隙間の空いている、絵画の構成から外れたような、それでいて集約感のある作品になっていた。その昼光では真っ白に見える絵ができ上がって、夜想の締め切りがきた。50枚近い大きな絵が夜想に用意された。2014年、2月、3月の2カ月のできごとだった。
 編集に時間がかかり、出版と展覧会が10月に決まり、そこからまた展覧会用に山本直彰は、カフカ描きを再開した。特装本に収めるドローイングを含め、展覧会には100枚の描き下ろしが用意された。そして、山本直彰は、完成を求めず「かく」カフカになった。

『カフカの読みかた』
 展覧会のタイトル『未完のカフカ』にはいくつかの意味が込められている。ブロートが仮に(そんなことはないだろうが)カフカの指示通り原稿や日記や手紙を消去したとしたら、カフカは完結した小説を数点発表した作家として歴史に刻まれることになる。ブロートがブロートのやり方で、カフカの原稿を小説にしたために、カフカは、未完の作品を多く書いた作家として世界に流布していった。しかもブロートが手を下したために作家像も作品も実際のカフカとは異なったものとなった。
 ブロートの手から逃れカフカの実際に近づこうと批評版が出され、さらにノートを写真で記録した史的批評版が出され実像は次第に明らかになろうとしている。しかし長い間、ブロート/カフカのカフカが流布していたのだから、イメージの払拭は簡単ではない。未完の作品をどう読んだら良いかということは簡単ではないからだ。それは順番の決まっていない16冊のノートの束になっていたりするからだ。カフカの未完作品は結果として近代小説に何ものかを突き付けることになっている。
 ブロートのカフカとかなり異なる、そしてカフカの行為にかなり近い史的批評版を読まなければ、カフカについての作品が作れない、あるいは語れないというのが、作家や批評家の気分だろう。日本語訳は見込まれないから、わたしたちはカフカの前ですくんだ状態になってしまう。
 立ちすくまず未完状態のカフカ作品に向かい読書するには、従来のカフカイメージを掻き分けて、「未完」を開放することが必要かもしれない。更な状態で未完のカフカが発表されたわけではないから、どうしても従来のカフカ、従来の物語読みから逃れるのは難しい。夜想の『カフカの読みかた』は、作家の得意とする方法、ピアノを弾く指、絵を描く手、演劇をする体…そんな身体を通してカフカを読むという行為を見せてもらうことで、カフカの未完状態に近づく読書法を模索する提案である。

『未完のカフカ』 
 プラハに留学した記憶を現代に甦らせつつ現代の視点でカフカを改めて読み、カフカをテーマに100枚を描いた山本直彰は、ある種カフカであり、カフカの「未完」状態に、そして今、表現としてカフカの未完は有効な形式なのではないかということも含め、身をもって迫った。それがパラボリカ・ビスの山本直彰『未完のカフカ』である。未完のカフカに近づいたというよりは、カフカになった山本直彰が、カフカの『未完』を開放したと感じた。それで展覧会のタイトルに『未完のカフカ』とつけた。未完状態で書きつづけたカフカの何かをこの展覧会は見せてくれている。それは山本直彰が意図したことではなく、カフカに取り憑かれたように描いた結果としてである。それでこその『未完のカフカ』なのだ。

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editors talk

2014/10/11

イヴの肋骨+花迷宮 中川多理展覧会

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K氏の古民家。中川多理『ヴの肋骨+花迷宮 』開始。7時30分には、倉知可英がカフカ『田舎医者』のパフォーマンス。傷を共有できるか? 女性の目線の『田舎医者』。と、その時に、高針小学校の教頭とPTA会長が来て、子供に良くないから看板撤去してくれと。小学生には近寄らないように通達をするから、小学生が見にきたら入場拒否してくれと。えっ? どういうこと?

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editors talk

2014/09/25

夜想『カフカの読みかた』

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『変身』はマゾッホだって?

カフカ『変身』
すっかり裸にされた壁にただひとつ残っているものに気がついた。毛皮ずくめの女の絵だ。急いで這いあがり、からだをガラスに押しつけた。熱くなっているお腹にガラスが気持ちいい。

おおやれるものならやってみろ。この絵は抱きしめて手放さないぞ。

マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を思わせるフェチな虫。ガラスにすりするする、フェチな猫を飼ったことがあるが、変身したグレーゴールはけっこうなフェチ。で、だいたい、毛皮ずくめの女の絵を飾っていたんだ。妖し。

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