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2010/03/19

悪魔人形 江戸川乱歩 1970

松丸本舗でお人形を展示するのに
少し、本のリストもお手伝い。

夜想なので、人形と両性具有と…。
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人形や耽美やアンドロギュノスの小説を読みなおすと楽しい。
やはり読む動機やシチュエーションで変わるものもある。
本は何分の一かは読者が作るものなのかもしれない。


『悪魔人形』江戸川乱歩 ポプラ文庫
少年向けのシリーズ。これは本人の出筆。
『怪人二十面相』は子供の頃に買ってもらったのがぼろぼろで残っている。他のはもっていないので買いそろえようかな。
中身は変わっていないのだろうか。

中井英夫は乱歩は少年文庫だと言っているが、それも頷ける…ところもある。

少女を美しいまま保存するには人形が一番。などと前半かなり良い感じで進んでいくが
相変わらず後半とっ散らかって、ポケット小僧は反対に向けて走っていったっきり、いなくなってしまうし…最後まで来ると最初のまくらの部分が、あれっ? という不具合。

それでもモチーフで読める一作。
どうせなら探偵小説にしなければよかったのかもしれない。
もともと解決すべき事件ではなく、少女を人形にしたい感覚で押し通せばよかったのだろう。
時代はそれを乱歩に許さなかったのだろうけど…。

両性具有から
双子から
人形へ
読み解いていこうかな。


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2010/03/18

『眠り人形』木々高太郎 1935(昭和10)

木々高太郎『眠り人形』が読める大衆文学大系25(講談社)には他に横溝正史、海野十三、小栗虫太郎がおさめられていてしかもそれぞれ名作が選ばれている。選ばれる観点が今と少し違っていてそれがかえって好ましい。よく無人島にもっていくとしたらなどという現実離れした設問があるが、聞かれたら大衆文学大系25。できたら全集をもっていこう。でも本当のところは日本探偵小説全集かもしれないな。
『眠り人形』には、伏せ字が際どいところに連続していて、はてどの位の過激さで想像したら良いのか、××は唇だろうかペニスだろうかと、思いながら読むのも楽しい。ペニス何んて言わないよな。昭和十年なら何というのだろう。創造は楽しいがやはり消化不良になる。伏せ字なしを読むには日本探偵小説全集・木々高太郎(創元推理文庫)がいい。伏せ字が回復したのはそんなに昔のことではない。創元推理文庫の仕事はすばらしい。

『眠り人形』のタイトルから川端康成の『片腕』1963(昭和38)を連想したりするが、『眠り人形』は薬を使って妻を眠りの病気に誘導していって、女性を人形化する。そして…という小説だ。探偵小説には結末へ向って書かれる独特の気配があるが、木々高太郎の小説にそれはない。推理小説と言っているが限りなく純文学だ。伏せ字にされるくらいなので表現も内容も際どい。でもそれが耽美の執拗さに傾倒していて幻想小説にもなっている。川端康成が幻視的な表現でエロティックを押し隠しているとしたら、木々高太郎はエロスで幻想を醸し出していると言える。しかも文学上の設定で書いているのではなく、たぶん木々高太郎は、ネクロフィリーで膚フェチで、尿マニア。真性の倒錯感覚をもっている。しかも中年になってから肉体の愛を知るようになったという件が他の小説に良く出てきていて、少女愛の嚆矢かもしれない。

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2010/03/04

大道の遠野

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70年代、写真はモノクロで暗いトーンをしていた
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夜に向って遠野の空には
烏のような雲が立つ。そして流れて浮かぶ。

座敷童子に呼ばれて遠野にふらりと出かけた。
森山大道が遠野物語を撮ったとき
僕はワークショップにいた。それは森山大道、東松照明、深瀬昌久、荒木経惟…時代の写真家たちが若者にプロになる手法を伝授するワークショップだった。ワークショップより塾という感じだったかもしれない。
僕は深瀬昌久のところにいた。

深瀬昌久の鉛のような空に浮かぶ烏のような雲。
それは形が烏なのではなく、烏のような存在の雲
だから一生かかってもまねすらできない。

森山大道の遠野も行ってびっくりしたのは、遠野は普通の田舎町だった。
今から30年も前。
座敷童子も河童もオシラ様もいる町だけどその姿はなく
ただただ東北の田舎町。
あれは森山大道の遠野なんだとつくづく写真家の力に敬服した。

そして昨日、座敷童子に誘われて遠野に入った。
遠野物語100年記念。
町の古い雛を見て歩いた。文久のころの江戸雛がたくさんあって人形の力をまた再認識した。

ちょっと残念なのは汚れて古びた雛を地元のひとがよしとしないで
中途半端に直したり、新しい服を着せたり、アデランス(地元のひとはそうい言っていた)を被せたりしてしまうことだ。
なんか日本だな
と、思った。

遠野は実はまだまだあるのに
人がそれを失わせている。古くて時代があるものの良さをどうして分らないんだろう。
存在し続けるという継続は一旦失ったら回復はできない。
それにかかわる気持ちも。

遠野はほんとうに遠いところに行ってしまうのかもかもしれない。
座敷童子も静かに姿を消さないといけなくなってしまう。
座敷童子は夜にそんなことを話していた。遠野にはまだ普通にいる。

でもそれは少女たちがある日を境に見えなくなってしまう妖精のような存在で
見える少女たちがいなくなったら
妖精はいないことになってしまう。


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2010/02/23

ポーランド人形展

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ポーランドでの人形展が

ついに中止というところにまで来た

振り回された10ヶ月だったが
収穫はベルメールのことをもう一度、考えることができた
ということだ。

それは何かの形で
見せていくことになると思う。


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2010/02/12

花代 作品集

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写真が張り込んである

花代作品集の表紙に花代と点子がドローイングする。

会場限定の作品集ができあがった。
アルバムに貼られた写真

もしかしたらまた花代の写真が足されるかもしれない余白がある。

未完成のままフローティングする作品集。

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2010/02/11

花代の幽霊

ビスのプレオープン。
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久しぶりに赤々舎の姫野さんと会う。
花代さんとトークショウ。

今回の写真展にはイメージのゴーストが使われている。
重ねて出てくる幽霊。
話をしていて気がついたのだが
写真を重ねてイメージが曖昧になるほど
花代が写真を通して向っていたもの
自分のなかにあるもの
それがはっきりと出てきている

8mmの作品もじっくり見ていると
森の奥にいる幽霊のその向こうにいる
感覚の魂がはっきりと見えてくる。

私が死んだ後
撮った膨大な写真のフィルムを見たら何かが分るかもね
って、花代は笑っていたけど
そうかもしれない。それに向い合えるきっかけになると思う今回の展覧会は
かなり面白くできたと思う。

花代の幽霊……。
うん、いいかもなあ。

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2010/02/10

マメさんが

マメさんが…
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来たぁ~~ぁ~。

嬉しい。
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2010/02/10

訪れるもの

今回、展覧会をしてくれる
清水真理も花代も

最初に出会ったのは、もうだいぶ前のことになる
18年とか20年とか。

二人は会う以前に夜想に出会ってくれていた。
二人が夜想にであったのはさらに前のこと。

清水真理さんは、セッティングの最中に
ここに来るまでだいぶかかっちゃったけど
あたためていたものがようやく爆発するように形になってたくさん出てきた
もう最初で最後の展示になるかも
と、微笑んだ。
フリークスのテーマで展示するのは、ビスの会場だけ。
人形をお迎えしてもらうのもここビスでだけ。

オンリーワンの姿をした人形たちは
どのこも可愛い。
それは清水真理が、優しいから。
そして許された瞬間をもっているから。

私は、いつも待ち続けてきたのかもしれない。
何かが訪れてくるのを。
この果実の結実は
あっと言うまに終わる。もうしばらく訪れないだろう。
だって、長い間あたためてきたものが
出来するのだから。
そうそう次に出てくるはずがない。

だから
できたら
見逃さないで欲しい。

繋がりと
訪れてくるものと
そんな連鎖がはじまるだろうから。
そして次の結実がなされるころ
僕は本当の傍観者になっているだろうから。

木の実の結果を僕は食べることがないだろうから。
だから愛おしく展覧会の果実を享受することにする。
美しい子たちの生みだす未来を思って。

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2010/01/23

言葉は余り

言葉は余り出ないのだけれど

画家が身罷ったのを昨日、聞いた。

愛されることに一生懸命だった人。
愛さない人に静かな怒りをもった人。
もちろん
語るべきは私ではなく、愛した人たち。

渡辺高士。
夜想に何回か絵を寄せてくれた。

かさかさに乾いて、でも仄かに生気を残して
剥離した鉱物の皮膚でできているような華が夜想の屍体に
押し花になっている。

キャンバスにはたくさん残っていないけれど
ずっとずっと絵を描いていたんだろうと思う。

不実な私に彼を語る言葉はない。
それでも涙することを許して欲しい。
あなたの描く絵が好きだったから…。

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2010/01/18

浅川マキ

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次回展覧会は、たまたま
花代と清水真理の二人が場所を分けてそれぞれに
展示をすることになった。


花代は、花代が高校生の時からの知りあい。
40歳の誕生日をするからと、はなからおけにでかけた。

松田優作の横浜ホンキートンクを歌って
その後に浅川マキのカモメを入れておいた。

女優のEが寺山修司だのその時代だのの演劇について
熱く思いを語っていたから
じゃぁと…
優作の歌を知ったのは、浅川マキの池袋東映映画館の大晦日ライブ。
大晦日ライブには毎年、ゲストで男優が呼ばれていた。
原田芳雄、松田優作、菅原文太…。

浅川マキの大晦日には学生の頃から通っていた。
アケタの店にも行っていた。満員でピアノの下で聞いたこともあった。
寺山修司、土方巽、笠井叡…子供の頃、みんな会ってくれて、知り合いになった。
会いたくて直接会えなかったのは、マキさんだけかもしれない。

花代の誕生会はちょっとしたトラブルで途中で河岸を変えた。
僕は、かもめを歌わずに会場を出た。

『朝日楼』も『それはスポットライトではない』も『ロング・グッドバイ』もカラオケには入っていない。
朝日楼は、ちあきなおみがカバーしたけど…
でもちょっと明るすぎるな。朗々としている。哀しい話なのに詩を少し代えてアニマルズが朗々と歌ったのを
もとに戻したのがマキ。
ロング・グッドバイは、寺山修司の詩で…
前に憂歌団が東京初お目見えぐらいの感じで
東映映画館の大晦日にでて、マキさん歌っているときに憂歌団コールが起きるというとんでもないことになって
さくっと憂歌団にステージを譲ったあと
次のステージで歌ったのが
ロンググッドバイ、会場は静まり返っちゃった。演奏も抜群だし良かった。
その時から憂歌団の内田勘太郎がマキのギターを弾くようになった。

内田勘太郎や渋谷毅は
マキさんのステージで時折とてつもない演奏をする。
マキさんはそれを待って、いつもいつも二人をステージに呼ぶ。

みんないないのに
マキさんもいっちゃうのか…。
いつか会えるんだろうなと思っていたけれど
もう
向こうでしか会えない。

線路は続くよどこまでも…。
もうあの歌は誰も歌わない。誰も歌えない。
地上から消えた。
もっていっちゃった。寺山さんの元へ。
かもめもずっとずっと唄わなかったものね。
寺山さんが亡くなってから。

さよなら。
マキさん。

またね。

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2010/01/15

浅川マキ Ⅱ


暗闇の匂いがする
それはもう変わってしまった

六本木のゴトービルの中にある
アパートの部屋にある闇。

そこは麻布十番の今は地下に埋もれてしまった
天井棧敷の闇だったり

男たちの
音へ寄せる思いの闇だったりする

3月4日のお別れ会まで
i-podは浅川マキしか流れないようにした。
i-podであたしを聞くなんて
マキはそう言うかも知れないが
都会の夜を走りながら
深い、深い
男たちの弾くベースや
近藤等則のペットや
少し晴れやかな気持ちをのせた渋谷毅のピアノに
身をまかせるのも悪くない。

集中して聞かれなくなっていてごめんね。
でも向こうまではもう何マイルもないから…。


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2010/01/05

銭洗弁天

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3日、夜9時、銭洗弁天。

メールが入っていた。
年の瀬に腰の痛みで立てないまま扇ヶ谷の奥に
蟄居しているのを
誰が知っていたのか。

そろそろと歩けるようにはなったので
時間に銭洗弁天居れるように
坂を登って
この坂はこんなに急だったけ。
まだ宵の口なのに闇は深い
仮粧坂(けはいざか)の位置を間違えて少し脇道に迷ってしまう

ふっと人の気配はするが
誰もいない。
トンネルを通って銭洗弁天に入る
誰も居ない。午後9時に誰も居ない。
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洞窟の泉の前で
しばし待つ。白い蛇の神様。茶屋に小さな看板がある。
何年か前の正月、参拝者でごったがえする、この茶屋で
店の人に化身と拝まれたことがある。
美容院に行ったばかりのことで
プラチナブロンドの髪は蛇に見えたのかもしれない。

からからを鈴を鳴らす音がする
この夜に少女が参拝をしている
裏の坂を登って降りてお百度を踏んでいる。
声を掛けるのをはばかったが
すれ違いざまに小さく呟いた

あなたですか。

少女は答えず
裏山に消えた。
そして二度と現れなかった。
裏山の道は、鎌倉五山を抜けていく
尾根道。
子供の頃、毎日のように遊んでいた道。

意をけっして
後を追った。

道は記憶の中で
暗濁してようと方向が知れなくなった。
しばらく彷徨ったあげく
実家の瓜ヶ谷戸への道をみつけ
そのまま駅に行き

東京へ向った。
また日々がはじまる。


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2009/12/27

二階健写真作品展「H+H 天使の解剖図」#3

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最終日、地獄と天国を合体させるパフォーマンスを

敢行!!
もちろん二階さんが。
十分ほど前にいくつかの無茶ブリをされて、え、ここから光ですか……。
といういきさつもあったけれど
それがパフォーマンスにドライブをかけた。

二階さんはビジュアリストとして卓抜しているが
パフォーマーとして人の心に入ってくる何かをもっている。
人の心を惹きつけるということもあるが
人の心に沁みる何かを提示してくれる。

昔、暴れていたころをふと思いだした。
EP-4と天井桟敷の役者と
ピテカントロプスと。

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2009/12/21

塔の影が

東京スカイツリーの作りかけの塔の部分が時折

川を越えてこちら側の浅草にのびてきているような
錯覚に陥ることがある。

浅草のこちら側から見えるスカイツリーは
なぜか少し荒廃を抱えている。
バベルの塔などと陳腐なことを思っても見るが
それとも違う何もなさだ。

エッフェル塔の製作途中は写真で残されている。
未来と繁栄を予感させたが
スカイツリーの半分の伽藍は
希望を余りもてない感じがする。

どうしてなんだろう。
この感じは。
旧江戸の墨田と浅草は塔の伽藍の影に覆われている。
大震災で折れた十二階を思わせるからだろうか。

朝陽の中でも
スカイツリーはなぜか寂しい。
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2009/12/19

メディア、みな生きのびよ

のっかるものがもうないのかもしれないが

ゴスロリの文化にのっかって
カワイイ大使とかカワイイ☆TVとか
ゴスロリとはちがう実体のない拡散をしまくっていると
本体のゴスロリの散逸がはじまってしまうかもしれない。

基本的にはストリートからはじまった
マイノリティであるから。
余りに劣化したイメージが拡がると
嫌気がさしてしまうかもしれない。

ゴスロリ自体
ゴシックとロリータのちょっと合わないような、でも遠いところで
かなり本質的な邂逅をしているもので
ある種の拡散状態でもあるからだ。

『KERA』とかその類書は文化面を減らしてファッションカタログのようになってしまっているが
それでもストリートから発信した精神をもっている。
余計なお世話、自分のことを心配したほうが良いと言われるかもしれないが
絶対に強く生きのびて欲しい。

他にもサブカルの文化を支える
雑誌や出版社があるが、イメージの拡散に負けず
生きて欲しいと思う。
そして最も強く思うのは
自分のメディアであり、生きのびたいと思う。

存在し続けるために生きのびるのではなく
強く発信し、それを受けてもらえるように
生きのびたいということだ。

巨体メディアはいい加減でおそらく流行がすぎたら
さっと引くだろう。
そうはいかないのは
そこに生きているメディアである。

ともに。
生きのびたい、相互あって、いろいろあって
メディアは生命をもつ。


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2009/12/19

二階健写真作品展「H+H 天使の解剖図」 #2  うわっ

二階健は今、映画から写真にメディアを変えようとしている。

そんなことを言っていた。
写真は素敵だ。不思議な生命感が映っている。
向こうの世にいる、この世とをまたいでいる生命。

それはこちらの世にも姿を変えて生きているようなものたち。
人たち。

空間を走る時間、時間の帯のようなものがあって
それがうねっている。
それがどうしようもなく素敵だ。

展覧会にも時間と空間の歪みがあちらこちらにあって、
写真から出てきた生霊たちが暴れているとしか思えない。

それでも贅沢に望みたい。
動画もぜひ表現として続けていて欲しい。

会場でサクッと撮影した
http://www.youtube.com/watch?v=-Bm7Em1ugvs
映像作品はこんなに素晴らしい!!
これからも見続けてたい作品だ。

メジャーでもなくインディでもなく
youtubeで流すというのもでもなく
動画が新たなメディア
(流通とか発表の仕方とかを含めて
として成立する
そんな可能性をもっている。
二階健の映像はそんな魅力をもっていると思う。

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2009/12/18

1年ぶりで大きく息をして

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下を向いて
ちょっと小さく、ため息のように吐きだしてみたりする。

不況も、エッジが立った感じでなく
ボディブローのように利いてくるような感じで
自分の前に立ちはだかっている。
まだ試練をくれるのかとも思うが
試練に立ち向かう気持があるのだから、それはそれ。良いのかもしれない。

毎日、どうやって成立させていこうか、そればかり考えている。

そんな中で
本を読む感覚がもう少し甦ってこないかなぁと思う。
『APIED』なんていう雑誌を読んでいると
本読みながら朽ちていくというのは
素敵だなぁと。
しかし静かに朽ちるというのと今の自分の生活感覚がどれだけかけ離れていることか。

朽ちて読むという感じが戻らないと
本読みとしては恥ずかしい。

冬の朝
仲見世を走ると
風が本当は朽ちている身体なんだよと
お堂の向こうの闇に
引っ張ってくれる

その引っ張られるどうしようもなさが
良かったりもする。


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2009/12/17

あんたと呼ぶ声は

師走の京都

四条河原町で「あんた」と呼び止める声がする。
もうだいぶになるが、夏の暑い銀座で
そう呼び止められたのは、『歌舞伎はともだち』を編集していた頃
中村歌女之丞にそう声かけられた。
素通りはないでしょう。

時を越えた再現。そのまま南座、顔見世興行に。
ちなみに今回は吉弥も一緒にいた。

夜の部、土蜘蛛と助六。
助六は仁左衛門、玉三郎なので文句なし。

土蜘蛛の胡蝶に最近、お目当ての菊之助が演じている。
いやぁ、踊りが良くて……。土蜘蛛が踊りの集成でできているのを改めて意識してしまった。
あとから出てくる團蔵や松緑が若旦那に負けちゃぁいかんと
丁寧に踊るものだから全体がしっかりとして、良い良い。
菊五郎の土蜘蛛もなかなか。身体が重そうなのは京都だからかな……。

夜、竹茂でみなで並んで会食。
歌女之丞、吉弥。
三十五年は一昔。夢のようだ。


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2009/12/10

寺山修司 生誕

電車を降りようとしたら

ふと目に入ったのが扉の上を流れる広告に
寺山修司の作品やステージが写し出されている。

電車の中に寺山修司!
その割りには寺山修司のしたことは忘れられているけれど…。
ちょうど下北沢・スズナリの『田園に死す』を見に行く途中だったから。
寺山修司の亡くなった日は覚えているが
誕生日は忘れていた。
1935年12月10日 。

【脚色・構成・演出】 天野天街、【音楽】J・A・シィザー【芸術監督】流山児祥【宣伝美術/絵】 花輪和一

寺山修司そのものの現代的解釈をした天野天街の力いっぱいの演出。
うーん。最近、演劇は良いかも…。

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2009/12/06

墨東まち見世 

向島のあたりがざわざわしているぞ。


夜に自転車を走らせながら
川向こうの向島に目をやると

無気味なタワーの伽藍が見える。
すぐに連想するのはバベルの塔。

六本木ヒルズもそうだったけど
塔を建てる最中には、その下町がざわざわする。

向島も今、町づくり、そして家アートで
賑わっている。
ただならない賑わいだ。

ボクトウジンガ
オゴリカフェデ
ウワッアオジルダ
ナンテコエヲアゲテイル。

ニンギョウトカ
ムコウガ それはサブカルダヨ
と認定するものの
フライヤーを置かない現代美術のギャラリーの
真反対にある。

ムコウジマ。
ナンカガオキルカモ。オキルトイイナ。


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