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2008/07/18
「飯田屋」 どぜう
何年かぶりで
浅草「飯田屋」
泥鰌の唐揚げを初めて食べた。美味しい。湯島の「シンスケ」で美味しいのは知っていたけど。
あ、そうだよね泥鰌専門だもの、トライすべきだった。
舞妓どんにまる鍋と、他の定番にかかりっきりだったというのもあるけど、ちょっと悔しい。牛蒡の唐揚げが敷いてある。これがからんで絶品。
いま、デスクワーク中心の作業が続いている。夜想のフィニッシュ。
デスクワークなのに、符牒とか、偶然とかが入り乱れて到来している。
少しスタンスを変えてそうした符牒とか偶然とかと対峙することにしている。
巧くいくかどうか、それは夜想が教えてくれる。
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2008/07/17
変わり蕎麦
夏の尾張屋
変わり蕎麦は、紫蘇切り蕎麦。
仄かに夏が香ってくる。口の中で。
午后の尾張屋は独りで食べている人だけ。
テーブルに独りずつ。
まぁ僕も独りだけど。
隣の婦人は、かけ饂飩を柔らかめにとオーダーするやグラスにほんの少し水を入れて戻ってきた。
割りばしをグラスにさして、蕎麦湯用の猪口をひっくり返して禰宜の皿に伏せておく。
蕎麦湯で饂飩の汁を薄めてから啜りだした。ちょっと不思議な作法。
向こうでは足を組んでジュルジュルと店中に響く音を立てて男が蕎麦を啜っている。ち、ち、と口もならしている。箸をもたない反対の手はだらんと下に落としている。きょろきょろ人を伺いがらそれでも傍若無人風。
奥の隅では本を読みながら婦人が覆いかぶさるように丼をかき込んでいる。ご飯なのか麺なのかも分らないくらい。
その独りたちを見ている、永井荷風の写真。永井荷風もここに独りで訪れた。作法がある人たちの、日々、蕎麦屋で思っていることってなんだろうかと思う。おそらく来る度に同じ作法で食べているのだと思う。ここで蕎麦切りがあるとは、食べている、僕も、傍から見れば同じ人…。
考えていることは、
ない。
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2008/07/15
バイセクル・グラス
遠回しに
新しい自転車を買うことを薦めていた若い友人が
布石のようにして教えてくれていた
自転車専門の眼鏡やさんで度付きサングラスを手に入れた。
サングラスの部分を取り外して色を調整できる。
ドロップハンドルの姿勢で視野が狭くなるのを補正してある。
暗くても道のアンジュレーションが見やすくなっていて、離せなくなりそうだ。
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2008/07/13
雹
はじめて雹を見た
松井冬子さんの対談が行われている時間に
一転にわかにかき曇り、激しい雨、そしてばらばら音がし始めた。
雹が屋上に跳ねている。
天候は破天荒だが、ナディフは順調にスタートしたようだ。
何人もの知り合いに出会った。
久しぶりに。
bisにも人が来るように…。
でも僕がちゃんとやんないと駄目だよね。
頑張ろう。
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2008/07/12
船大工さん
久しぶり!と、船大工さん。
そうでもないよ。この間、春菊さんと来たばかり。
今日は、コンピュータ関係の人と。
世代が同じというか、歳の同じ人が4人もいる。GS(グループサウンズ)と全共闘の本を作りたい。どうしてあんなに前世代にアンチしていたものが駄目になったのかと…。GSが歌謡曲にアンチしてたかどうかかは疑問だな…と、僕。
家を売ったら3000万損した、この金は誰が持っていったんだろうと、不思議なことも言い出した。誰かが3000万円得したら、誰かが損する。それがお金でしょうという。たしかに株式取引をゼロサムなどという専門家もいるのだから、そう思い込んでも仕方がないかもしれない。
でも僕は、いまゼロサムかどうかということより、思い込む論理の方に今は興味がある。
さらにそんなことよりおでん、おでん。
船大工さんは浅草「お多福」のご主人。本が置いてあったので購入。面白い。
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2008/07/12
石油掘削
世界中に余っているお金が行き場を失って
石油の先物に殺到している。サブプライムで吹っ飛んだ債券の部分が空白になったからだ。
僕が卒業した時はオイルショックで大変だった。その時の教訓で今は半年分くらいの石油を備蓄しているらしい。ということは、そんなにすぐに石油の代金を上げなくとも…ということだろうけど、そうじゃないのか?
日本は戦後、第二次世界大戦争中に、スマトラで掘りかけていた油田を占拠した。掘り出そうとしたところで終戦になった。ABC包囲網で資源が入らなくなりD(オランダ)まで参加して、遂に日本は石油が入らなくなった。資源と石油を求めて大東亜戦争を行った。だからスマトラでも石油確保に走ったわけだ。パイプラインまで敷いたが出荷前に終戦になった。
その利権を北スマトラ石油開発協力が手に入れて石油を掘削しはじめた。そこで働いていた作家に話しを聞いた。その方は今度の夜想に原稿を書いてくれる。ジャングルで石油を掘る話しは面白かった。今で50億以上の費用をかけて試掘する。駄目ならおじゃん。博打にしても規模が違う。
今も石油掘削のリスクは同じようなものだと教えてくれた。石油高騰が刻々迫ってきている。紙も印刷も値上がりする。どうなるか、いつも仕事は賭けのようなものだけど、外圧がきついなかでの賭けは本当にリスクをともなう。
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2008/07/09
明日館 自由学園
おととい見た両山堂の大谷石は
ごつごつしていてラフな感じだった。まさに田中泯。
今日、触った大谷石は綺麗にモダンにカットされて組み合わされている。
フランク・ロイド・ライト設計の自由学園・明日館。
手つきから感覚から異る。これがネイティブなモダンとダイレクトなモダンの差なのだろうか。
大谷石といえば、山海塾の公演やウォーホールの展示などを行った、渡辺さんの大谷石採掘場の良くおじゃまして地下に潜っていた。現在も稼働している大谷石の資料館ではなくて、民間の現役の採掘場だった。残念なことに連鎖の落盤で今は入ることはできない。
無塵、無菌の不思議な空間だった。
現在、資料館の方は残っている。
そこは昔、中島飛行機の軍事地下工場があったこともある。
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2008/07/08
ナディッフがオープン
猫の足跡が床に付いていた。
ナディッフがオープン。芦野さんやる気だね。ギャラリーもたくさん入っているし、ビルも綺麗だし。カフェもあるし。
床は京都の血天井の逆なんだって。ウレタンの中に墨が流されている。床の凹凸に応じて墨が雲を描く。そこに猫が歩いたらしい。
隣は第七見晴荘。左に見えているのがナディッフの壁。ここにも雲が描かれている。
見晴って、芦野さん、ベルヴェデールでしょう。マンディアルグにベルヴェデールのシリーズありますよね。このアパートの名前を見てビルを建てることを決心したというけれど、フランス好きの芦野さんらしい。見晴らし台、バルコニー…。ナディッフには屋上もある。いいなぁ。
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2008/07/07
ここで見えているものは
記憶の中にまた埋められて
どこかでまた形あるものに宿るのだろうか。
田中泯が5日間、バスハウスで踊っている。朝から谷中や上野のあちこちに行って踊る。
この日は、両山堂という古いラベル印刷屋さんで踊った。
朝、6時くらいから僕は自転車を飛ばして上野櫻木から坂を下って、千駄木、湯島を徘徊した。
住所も余りはっきり分っていなかったので…。時間に間に合って大谷石の建物の前に着くと、泯さんがオウという顔で迎えてくれた。昨日、くじいた足が腫れていて痛々しい。でもまったく意に介さないといういつもの泯さんだ。
間で用事をいくつかすませ、夜のバスハウスへ。高橋悠治さんとのジョイント。
まずは今日、他で踊ってきた、場所の記憶を持ち込んでの踊り。リアルに両山堂で、「見ていた」感覚が甦った。身体が記憶しているんだな。でも時間帯が少しずつズレていてそれがとても刺激的だ。ここには悠治さんがいてプラス音を出しているのだから。
その後、悠治さんとだけジョイント。
二人とも形式が溶けていて、自由な感じ。でも普通の自由じゃない。悠治さんは即興なのに、不興な音が一つもない。なんだろう…無駄が一つもない。リズムに関しても。
考えたら音は出てこない。指揮者を見ていたら音は合わない。合ったところに指揮棒がくるんだろうか。合っていて、微妙にズレている。それが味だよね…とアフタートークでの悠治さん。
認知科学の話もしていて、把握しきれない。
老人が禅問答をしているような二人の話。
見ては駄目なんだろうな。見えているという状態にならないと。観客としては。
聞くんじゃなくて聞えている状態じゃないと演奏はできないよと言う、悠治さんの感覚は分る。
考えたり、構成したり、巧く演奏したりということをなくしたときに、演奏するというアドレナリンのようなものまで消えて、仙人になってしまっては駄目だが、そのぎりぎりのところで立つという感覚。その辺が達人の領域なんだろうな。仙人ではなく達人。
創造をしていない僕は、眺めているだけだけど、それは逆に何もないので、楽しい。
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2008/07/06
銀座の帰り
僕はちょっと不機嫌だった。30分ほど。
銀座の画廊で久しぶりに嫌な感じ。でもそれは長いこと残さないようにしている。エスプレッソを飲んで忘れよう。
最近、撮影や、紙面作りでくっとレベルの高いところでのチューニングがあう経験をしているので、
銀座の某幻想系画廊のオープニングにはげんなりしてしまった。
画家たちが話しているのは、サザビーで顕著になっている日本の絵画買いに如何に乗るかということで、話しは終始しそのことだけだ。くだらない。何を描くかじゃないんだ。
次の夜想に登場する、YAB-YAMのパトリック・ライアンは、食べられれば、ちゃんとした仕事をするほうに集中したいと言っていた。ファッション雑誌の流行やマーケッティングに乗るのはほんとにつまらないことだ。今年の作品のテーマすら見てくれない。丈がどうだのこうだのということばかりと言っていた。
どうにか生きていきながら、夜想流の仕事を続けていければなぁとつくづく思う。
よし、苦いコーヒーを飲んで「嫌」は流したぞ。
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2008/07/06
三田村光土里 Higure 17-15 CAS 3
今日、本ができ上がるので、様子を見にヒグレに。
頑張れよ! 場所を維持するのは大変なのは分るよ。応援するからさ。
ヒコがマローブルーの水だしハーブティを入れてくれた。紫。
たしか、レモンとかの酸を入れると、ピンクになるはず。
三田村さんは、ほぼ2ヶ月、現地製作をしている。
ピースが問題じゃなくて、場所が私の作品。だから離れるのはちょっと辛い。搬出で泣いちゃうかもと、笑っていた。テープに書かれた三田村さんの文字が好き。テープの上のポエム。それもちょっと肩透かしが入っているような。素敵だ。
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2008/07/06
長い空白
そうは言わなかったが、そう言わんがばかりに…でもにこにこ笑って
田中泯がバスハウスのテラスから「こんのさん!」
一昨日、アノマで田中泯さんの噂を聞いて、バスハウスで踊るよって、それだけ聞いていたいので、いつなのか、それも確かめがてら角を曲がったら、声をかけられた。
自転車を止めて立ち話。劇場での公演は止めたそうだ。なんかくだらないから…。そんなようなことを言っていた。分る気がする。不況なのにバブル。そんな中、設えの為に、舞台を作るのはストレスがいっぱいになるだろう。どの位の経費がかかる? ギャラは? そんな話しから始ることばかりだ。何を作りたい、何を踊りたい、どう踊りたい。そっちが先だろう。良い感じだ。泯さん。顔つきも精悍に戻っている。朝も谷中の初音小路の路上で踊ってきたらしい。
「泯さんこれ上げる。」ちっちゃな女の子が黄色の花をさし出した。泯さん受け取って、ふらふらと揺らしていた。これからずっと踊るらしい。昔で言えば、路上ゲリラだな。
土方さん死んで22年。寺山さん死んで25年。PlanBで土方巽復活の会を田中泯が主宰した時、寺山修司は、体調不良を押して駆けつけた。ベッドのような椅子に寝て劇場の一番後ろで見ていた。1983年亡くなった年のことだ。昨日のようだね。泯さんと僕はしみじみ思いだしていた。それはまったくリアルな時間。その後が空白。
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2008/07/05
シエルトンベ
畠山直哉さんのシエルトンベを紙面に展開するので
打ち合わせ。寝てない僕と、体調不良の畠山さん。
アスピリンを買ってきたと…。入れ物がとてもおしゃれ。こんなの売っているんだ。
パリの地下に眠る採石場の話しとか、いろいろ。
おしゃべりが過ぎて、紙面に使えないかも…。
パリは上手に採石場の崩落をコントロールしているんだな。大谷石ももう少しコントロールしてたら今も入っていろいろなことをしていたのに、残念。
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2008/07/03
白いスタジオ
白いスタジオは、白い箱と白い床。
写真の話をする。
あきらめちゃいけない。資材がなくなっても。今ある機材をフルに使って、知恵も使って、それでベストを尽すのがクリエイティブということだと言われたと。そのことをいつも思いだすと。
ベストの状態は、ほとんどないといっても良い。それぞれの時代、それぞれの人で事情が異るから。雑誌でも同じこと。
夜想の撮影は、結果、くっと、なにかのピントがぴたっとあうことが多くなった。それは写真家が、被写体の何かにフィットして、映像として結実することに似ている。計算してもでないこと。何かのチューニングが合っている感じ。
写真に写っているものは、そこに存在したものの結果のように思えるが、でも写真にしなければ存在しなかったものだと思う。もっと言えば、写真の中にしか存在しないものなのだ。写真に写ったものが常にそうだということではない。そういう写真もあるということだ。
これは、一つのアンサンブルで、僕は、その時々に立ち位置を変える。微妙に誰にも気づかれないように。そんなことが少しだけできるようになった。ほんとに少しだけ。
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2008/07/03
未知の領域
もちろんだけれど未知の領域がたくさんあって
どうしてこんなに知らない感覚があって生きてこられたんだろうと思う。
それはたいしたことではないことが多い。料理のちょっとしたコツだったり、写真の見方だったりする。未知の感覚を新たに手に出来る。これは感謝しなくちゃならない。生きている甲斐というものだ。
情報が蔓延している中…それはマイナスのことばかりではなくて、その情報を知肉化している人がいて、ちょっとヒントをくれたりする。それでぱっと領域が拡がる。でもそれに甘えちゃぁいけない。それを聞かないで手に入れた人と、聞いて手に入れた人ではできあがるものが違うのだ。
聞いて抜けるというのは、一つの快感だ。だれかがゲームのラストを解いたと聞いただけで、すっと抜けられるあの感覚だ。もちろん最初に苦労して抜いた人が素晴らしいのであって、そこがどんなジャンルでもクリエイティブということなんだと思う。二番目は楽だ。しかしずるをして、楽をしていると、手に入らないものが出てくる。手に入らない感覚が出てくる。その怖さを情報化に慣れきっている人は分らない。自分もそこに紛れていく。
どうやったら人に認めてもらえるように、取り繕うことができるんですか? 教えてくださいとまで言われたことがある。完成形に出来るだけ早く簡単にたどり着く方法を教えてくださいと言われたことはだいぶあったけれど、今は、もっと酷いずるが横行している。ちょっと呆れてしまうと同時に、嫌だなぁと思った。そんな人間とは一緒に仕事をしたくない。抜けたいという気持ちと、だから要領良く、抜けた人にコツを聞きたいという気持ちは、同時に起きるけれど、実は相反するもので、それをしちゃぁ駄目なのだ。解説本を見ながらゲームして何が面白いのか?ということだ。
勝つならやるけど負けるならやらない。というなら博打は成立しない。結果が知ってから過程を見るスポーツニュースのようなものだ。
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2008/07/01
とさや
久しぶりに夜、とさや。
焼肉が美味しい。浅草はけっこう焼肉の激戦区で、以前は大亀に通っていた。
植島啓司の『賭ける魂』を読んでいる。大学教授で博打打ちって凄いな。如何にしたら儲かるかという姿勢から逸脱している。伊集院静や阿佐田哲也のようなアウトローを意識させる、雰囲気のある博打打ちではない。姿がということではない。書いている内容がだ。
数学や確率を使いながら、それでも…。という博打だ。破滅したいという願望をどこかに孕んでいて、なかなかカッコ良い。伊集院静や阿佐田哲也が文学を囲い込んでいるのと異って、姿勢だけが存在している。こんな人がいるんだな…。
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2008/06/30
素人の感覚
自転車は25年も同じマシンに乗ってきたのに
ホントに素人で、タイヤとチューブの仕組みなんてとんと分らない。
ギア・ワイヤーが伸びた時の締め方も分らない。
だから発見ばかりで楽しい。自転車に乗る人用の眼鏡を売っている店に入っていろいろ話しを聞いた。ドロップハンドルの低い姿勢で乗るなら、その視野で調整します。
あ、なるほどね…。
乱視の構造も教えてくれた。
目から鱗。
なんか最近、目からぼろぼろ鱗が落ちている。
ちょっと楽しい。
ロードのアンジュレーションが見やすい、度つきサングラスを注文した。
自転車の話になって、横尾双輪館のマシンに乗ってますといったら、あたりまえによく知っていて、けっこう上野、仲御徒町、稲荷町界隈は、自転車度が高いかもしれない。
素人の感覚でいろいろ知っていくのは、ほんとうに楽しい。
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2008/06/30
カフェ
カフェのことひとつとっても
日に日に変わって行ってしまうこともある。美味しかった店の、ギャルソンの受け入れが悪くなったために、悪い客がつくようになって雰囲気が一変してしまうこともある。
末広町のセガがそんなとことぎりぎり。
ロードレーサーに乗る人たちがちょっとよるという風情もあれば、
僕のマシンを含めて外にロードタイプの自転車が3台並んでいるのはなかなか風景が良い。
と、思えば、隣のスーツおやじが、彼女に、いかにもビジネスしてますって風を見せたくて、しきりに電話をしまくり、くわえ煙草のまま、外に出て僕のマシンのサドルにバッグを置いて書き物したりもする。
なんか客層が悪いな。
長いこと使っているのに、いっぱいになったポイントカードは次回につかってもらって、会員カードにしてくださいと、杓子定規なことを言ったりする。外にでて、また中に入ればその条件は充たされてしまうのに、なんという頭の悪さ。
セガは味が良いだけに、ちょっと頭がいたい。
でもシビアな話しをするとパリスタで味が違うので、末広町もちょっと前からすると、かなり味は落ちてきている。うーん。
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2008/06/29
お富士山から
お富士山の植木は
今一つ育っていかないようなものが多いように感じる。
あんまり悪口を言いたくないのだけれど、朝顔市でも、その年の同じ改良種が全部の店を席巻していて、昔ながらの朝顔を見かけなかったりする。
どういうんだろう。ちょっとした屋台の売り物っていうイメージがある。
道端で売っている、兎や雛…。植物もそんなに詳しくないので、それが原因かもしれないが、なかなか巧く育たない。
お店の人に聞いて、一生懸命育てようと思うんだけど、売るほうにしか興味なさそうだ。もっと専門のことも隠し味としてもっていて欲しいような気がする。羽子板市だって、顔師さんの数が限られているので、どれも本当に良くにている。歌舞伎の演目をきちんと描ける羽子板の職人さんも限られてきた。
良いものを味わい尽くしたいという気持ちが最近強い。自分もあとさきそんなにないのだろうから。
ずっと通っていた上原歯科が廃業になった。38年営業していたそうだ。夜想が32年くらいだから…。うーん。昔から悪い歯を抜かない治療で、直した歯には半永久補償がついていた。三丁目の夕日の宅間先生にちょっとイメージが似ていて、腕が良いのと、一気にやってくれるのがお気に入りだった。口の中は上原先生の義歯だらけだ。ほとんどサイボーグ。でも抜いた歯は一本もない。1~2%しか自分の歯がない状態でもだ。これからどうしよう。
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2008/06/28
講談を何十年ぶりに
日本橋に聞きに行くので
前日、場所の下調べに自転車を走らせて、ついでに懸案のカレーを食べる。
昔ながらの洋食カレーの味に、油滋味たっぷりのビーフカレー。
え、700円なの?…。
近くにある豚カツのお店の切りおとりを使っていると聞いて駆けつけた。
浅草のヨシカミでもビーフを切り落としまかないを秘かに食べている。
何か共通するものがある。ドライカーレーにカレーのせ、なんていう特殊ご飯も良く食べる。こっちはもう30年以上、厨房にいる人の誰よりも古い。まぁそんなことはどうでも良いので、美味しいものが、楽しく食べられればOK。
日本橋のお店もちょっとはまりそうだな。