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2009/05/16

左衛門橋通り

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清洲橋通りと大川へ向うと

清洲橋があって、そこからちょっとでシュウゴルーム。
同じように左衛門橋通りを走ると
浅草橋にある左衛門橋にあたる。

左衛門橋通りは
楽しい店の宝庫。
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キャメルという古いカフェ。
入ったらマダムにいきなり。

メニューをさしながら、日本語読める? 大丈夫?
? 日本語は読めますよ…。
あ、そうよかった。あら、日本の方?

日本語読めるか?を日本語で聞いたらまずいでしょう。
ペリカンのパンのトーストを食べる。
パリみたいだな…。老舗のパンを売りものにしていて。

個人タクシーの運転手が、カウンターでうんちくを傾けて油を売っている。
夕方が夜に入りはじめた頃
運転手はようやく腰をあげた。

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2009/05/15

弱っているわけでは

ないのだけれど…
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対人のネガティブには耐えられないことがある。

細部の自分の失敗を大きなストーリーにして
投げかけてこられると うっ となったりする。

でも逆に
30年も前にであって仕事を一緒にやりそうで
やっていないクリエーターと
ふっと
優しく話しをしながら創作ことをいろいろ考えたりするのは
たまらない至福だ。

「なのだ」さんと
夜の表参道を、なんということない話しをして
歩いた5分
それだけでしばらく元気に生きていける。
昔は、尖るだけ尖って生きてきただけに
このふわっとした感じがたまらない。

一ヶ月のうちに
3分ぐらい力を入れたら
良いというくらいへなへなになって
それでもやれたら嬉しいな。
「なのだ」さんともそんなで仕事ができたらなぁ…。

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2009/05/09

瞳まばたきするあいだに

いろいろなものが変化していく。

未曾有の不況ということもあるけれど
大切なものが変化していくのは哀しい。

ロリータさんのお茶会にお出ししたケーキは
ロワゾーとイナムラショウゾウのショートケーキ。
記憶を辿ったり、新しくお店に行ったりと
選ぶために食べ歩いたのは楽しかった。
もちろん食べた中でのベストチョイス。

さて次回は何にしよう…。

味の変化は最近とても激しい。
ロワゾーにしても上野に出店して味が落ちたものがある。
なによりパンオウショコラが焼き過ぎで焦げた匂いがするのは勘弁。(ベストだったのに…)

ケーキでなくても
浅草橋の境耘閣が日本橋に出店して一気に駄目になった。こくがなくなった。
神宮前のサバティーニ・トラットリアも復活したと思ったら、また駄目になった。味がしない、パスタはうどんだし。どうしたんだろう…。上野広小路のアレンモクもママが止めた後どうにか保っていたのに、普通の…というかまずくなった。この落差は辛い。

他山の石なので
状況が悪くなればなるだけ、自分には戒めを…と思っている。

ちょっと前に美味しかったものが今日、美味しいとは限らない。
瞬きする間に変わって行ってしまう感じがする。
だからいまのベストをつかんだら、享楽しないと。刹那だ。それは困ったものだが、でも刹那を追求する他はない。

まだ決まっていないものを
考えたり、作ったりするのは大好きだ。それも現場で。

次のケーキは何にしよう。
それはもてなしでもあるが
自分の楽しみでもある。自分が享楽できないものを人に薦めることはできないからね。

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2009/05/08

live doll making

live doll making
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ネーミングからして
カッコいいなぁ。

裏原の奥に
オルタナティブスペース。

オーナーの雰囲気を感じて
また何かがこのあたりから始るか。

地べたに足がついた…
そこからのホントのストリート。
自分も地べたでいき続けたい。
大丈夫?
私。


アンダーカバーの高橋さんが
ライブで人形を作る。
ディテールから組み上げていくのだけれど、
ふっとある瞬間に全体が見えてくる。
その瞬間を見れるライブの快感。

全体、
ドールのシェーマ…
そんなことをずっと考えているので
とても刺激的だった。


山川冬樹、伊東篤宏がコラボして演奏。
最後は、電気がショートして終了。
カッコよすぎる。

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2009/05/02

復活夜想はゴスからはじまったけれど

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2003年にここ東大駒場で

浅井隆、菊池成孔と鼎談して
もう5年以上が立つのか…。

印象的なのは、
i-podが爆発的に拡がって、コンテンツ配信が音楽ビジネスの普通になる…
二人はそれを肯定的に話していた。

僕は、結果そうなるだろうけど
(僕は今i-podのヘビイユーザになっている、2機を使い分けている…)
編集というものがいらなくなるから
嫌だなぁと、結構、否定的な発言をした。

昨日、BABY, THE STARS SHINE BRIGHT&澤田知子展をオープニングしたあと
アップリンクの映画『NO NEW YORK 1984-91』のアフター・トークに
浅井隆と対談。
対談というより放談になってしまった。
最近、スピード落ちてんじゃないと挑発されて
アクセル踏んだら、あらら、2時間あっという間のマシンガントーク
ついついNO NEW YORK 的になってしまった。

メディアの可能性、というか問題点について
話しながら、
なぜ、
僕がBABY, THE STARS SHINE BRIGHTの展覧会をするのかとかを
久しぶりに熱く語ってしまった。

今日は、朝から
「キレなかった14才♥りたーんず」を見にアゴラ劇場に…
切れてしまった酒鬼薔薇聖斗と同世代の
演出家たちが
どこかにそのことを思いながら作った作品群。
6人の演出家が参加している。

見終わって
駒場東大前の商店街で
あんぱんまんぱんとドラエモンぱんを買って
構内に入って
昼ご飯した。

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2009/05/01

復活夜想はゴスからはじまったけれど2

再び始ったのは、丸井館の前を歩いていた

たぶんロリータさんたちの集団…。
たぶん、というのはその時は、ゴスもロリも分けも分からなかったから

不思議な光景に惹かれてついていったそこには世界が拡がっていた。
ちょうと90年代から
自分が少し空白になっていた時代の
でも本当は空白でもなんでもない
そこを生きていた空気が伝わってきた。

ああ
これなら夜想を復活できるかも…。
ただ本能的にそう思った。

ゴス、ドール、耽美…と毎年1冊ずつ夜想を作って
復活してからあっという間の5年になろうとしている。
いろいろ彷徨って
今、夜想復活の原点、
ロリータ服の展覧会にたどりついた。
一瞬の思考感覚を実証していたらこんなにかかってしまった、という感じがする。

展覧会はそうした僕の復活原点にあって
男の自分がどう生きてきて、どういろいろなものに係わってきたかという
そんなことを鏡にうつして恥ずかしがったりする
時間帯でもある。

係の人に声をかけていただければ
男子でも
服に触れることが許される展覧会なので
ぜひぜひ
いろいろな方に、夜想復活の原点、そしてその向こうにある何かを見ていただきたいと思う。

この展覧会は
夜想にとっては質問100%、答え0%の展示なので
見て体験していただけると
嬉しいな…と思います。


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2009/04/30

ベイビイ+澤田知子展

ロリータは、知性と品性。

スパッと言われて、抜けていく感覚があった。
80年代の後半からずっと考えていた、澁澤龍彦の少女像について。
答えではないが、何かが。
ロリコンの対象でありえないロリータ。
そんな分かり切ったことがまだまだ誤解されている。

ゴスとロリータ。相反するものがゴスロリというカテゴリーになる。
最大の混乱は澁澤龍彦と矢川澄子の婚姻かもしれない。
もちろん必然の混乱という面はある。
乙女と非乙女。

BABY, THE STARS SHINE BRIGHTは、ロリータ。
ゴスロリではない。

BABY, THE STARS SHINE BRIGHTの服を着た
澤田知子の写真が15点、2階の2室を埋める。
海外ではゴスロリの服を…と紹介された。
細かいカテゴリーの差ではなく、なぜ、混淆して提示されるのかという
そこに00年代のいろいろがある。

その00年代のイメージの混淆の
混淆されていない原型が見れる。
面白いですよ。


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2009/03/08

あがた森魚

マンダラ2に赴くのは

ボリスビアンのフリージャズ芝居を上演したとき以来かな…。それとも新大久保ジェントルメンの録音だっけ?

あがた森魚さんはゲスト。三曲しか唄わなかったけれど、ぐっときた。
声が不思議だ。
あがたさんの声のことを思ったことはなかったが—、しまった! という不覚感が頭をスラッシュした。でもこれからたくさん聞けばいいや。
『大桟橋』…。どのアルバムに入っているのかなぁ、入っていないのかなぁ。

声がストレートで澄んでいるのに、旋律のすぐ脇をすり抜けている。
でも一緒。還暦コンサートと言っているのに、ツヤツヤの澄感。

デビュー曲をこんなに新鮮に唄えるなんて。
ギリヤーク尼崎の白鳥の湖だ。

心打たれて井の頭公園のほうへふらふらと。

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2009/03/01

どこへ行くのか?

破裂したような状況で

なおかつ、雑誌を続けて、ギャラリーを運営して…。

どこにたどり着くのか分らないが
着くということはもうないのだろうと思う。
流れていく
その状況自体が
有り様であり、存在であると思う。

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2009/02/16

『目羅博士の不思議な犯罪』 江戸川乱歩

月光浴という作品を

踊りに書きおろしたことがあって
大谷石の採石場で上演予定だった。

100メートルの高さのある露天の採石場を
地下に入って下から見上げれば
逆さに掘った塔のようで
露天と言っても平たく切りだしたわけでもなく
山の頂上をスパッと切ってそこから掘り出した山そのものが空洞になった代物。
グランドレベルも超えて掘り進んだ採石場は
巨大な空間を保持していた。
そのセンターに仮設の舞台を敷いて
天井に穿たれた穴から
月光が刺す時を合図に踊りを始めようと…
ダンサーはベジャールに招聘された泉克志。
黄金の髪をもつ占い師に名を変えられて運命を変え夭死した泉を私は昔の名で呼びたい。
もう一人、泉と共演した前衛劇団の美貌の肉体派俳優は
同じく名を変えられ声を失った。
今はかなうはずもないその舞台を思いたったのは
中井英夫の江戸川乱歩解説の中にあった
月光浴について。解説を微妙に逸脱して、内田百閒が月光浴について書いたともろもろ綴っていた。
今だ内田百閒のどこからも月光浴は顕れていない。知っている人はぜひ、教えて欲しいものだがが、中井英夫の書いた解説は『目羅博士の不思議な犯罪』だが、その時は『目羅博士』だった。雑誌に発表されていた時は『目羅博士の不思議な犯罪』で全集に収録するときに乱歩は短くして『目羅博士』Ⅱ変えている。中井英夫は乱歩の、逡巡の跡が見える文章をこよなく愛していた。
タイトルにしても同じで『目羅博士』ではなく『目羅博士の不思議な犯罪』をと亡き乱歩に呼びかけていた。

「月といえば、鏡に縁がありますね。水月という言葉や、『月が鏡となればよい』という文句ができてきたのは、月と鏡と、どこか、共通点がある証拠ですよ。ごらんなさい、この景色を」
不忍の池で月を見ながら敷かれた布石にまんまとのっかり、丸の内で月光の輝く夜にだけ起きる連続自殺事件に巻き込まれていく。

乱歩の中でも秀逸な作品。
金曜日になると首を吊って自殺する人が続出するビルに乗り込んだ医学生が、同じく自殺にまで誘導されるエーベルスの『蜘蛛』を下に敷いている。エーベルスの『蜘蛛』(怪奇小説傑作集5に収録)も名作で一人称で書かれて、理由付なしの怪奇を描いている。良い作品のポーに筆致が似ているだろうか。それより気になるのは、『目羅博士の不思議な犯罪』を読みながら三島由紀夫の近代能楽集が頭に浮かんだのは偶然なのだろうか。


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2009/02/09

『 Le Sous Sol』 ピーピング・トム

『 Le Sous Sol』 ピーピング・トム 世田谷パブリックシアター 

+
80歳を越えるマリアさんは、26歳の時に第二次世界大戦で旦那を失っている。死んで土の下で若い姿の夫と再会をする。キスをしたままで唇が離れないまま二人のアンサンブルは続いていく。ホントにキスをしている。倒れたり、のしかかったり、交接しているように見えたり。舞台は木の根が飛びだしている地下の部屋。土が流れ込んできていて『砂の女』の設定のようにも思える。半分埋もれた部屋にソファや机。
マリアさんはどんどん若くなっていって下着で踊っているオペラ歌手の乳房に食らいついて赤児になる。でもセンセーショナルな感じはしない。土の匂いが客席まで臭ってくる。ベルギーだ。ヤンファーブルの展示を村中でやったベルギーのワトー村の土の記憶が甦る。

++
それぞれが振付師でもある3人のダンサーとオペラ歌手、息子を失った衝撃から立ち直るために40歳をすぎてから演劇や舞踏をはじめ女優となって80歳のマリア・オタルからなる
アーティスト・ユニット「ピーピング・トム」。その存在自体が驚異だ。
コピーにコピーを重ねて凌いでいる時に突然、突きつけられると衝撃を覚える。
アラン・プラテルのカンパニーなどでも活躍していたダンサー達が集まって、意志でこのセッティングをしている。それが分る。

+++
地面の下にある部屋で、死んでしまった人間が、死んだ時の歳で再会したらどんなことになるのだろうかというのが『Le Sous Sol』の設定である。生きているときには、うまくコミュニケーションができないけれど、死んだらどうなるのか。生きるという性(さが)を外した状態で部屋に閉じこめられた時、原初の動物にもどったとき、人は他人と親密になれるのか。作品は、警句でありながら現在の荒涼とした人間関係への探求でもある。
『Le Sous Sol』は、三部作の最終作。前作は家族の対立を描いた『 le Salon』。生きていると対立ばかりだけれど、死ぬと意外とそうでもないかも…。というのがそもそもの始まり。他人に命令されたり、規制という枠の中でしか動けない人間が次第に解放されていく。死んでも規制はついてまわるのか…。そうだろうなぁと思ってしまった。死んで自由になるというのも幻想かも。死んでも自由は獲得しなければならないものなのだ。

++++
日本から参加したシニアのパフォーマーたちも素敵だった。きっと自分の体験も織り込んで動いているんだろうな…。
お互いの身体の一部、例えば唇や頬っぺたなど、をくっつけたまで踊っていくという振付は、踊りや演劇の舞台で見たことのないユニークなものだけど、凄いのはその振付はテーマに沿って作られることだ。前作の『 le Salon』ではまったく使っていない振付だそうだ。離れなれないほど親しい状態になった時、親子や恋人や愛人を含めた三角関係がどうなるのだろうかということの表現のために「くっつき」の振付は作られている。

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2009/02/04

深夜の浅草、4時を過ぎた頃が

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自転車を走らせるのに

もっとも快感がある時間帯。

浅草寺の大提灯も消えて
仲見世の向こうには闇。
闇には惹く力がある。

気をつけなくてはならないのは
青い塵収集車が連なって暴走していること。
同じ気分なのかもしれない。
角から急に曲がってくる。しかも2台、3台と。
仲見世を疾走する塵収集車。

何故か『帝都物語』を思いだす。


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2009/02/03

巴里ノート―「今」のパリをみつめつづけて 村上香住子 (2008)文藝春秋

パリには

ほんの2週間しか滞在したことがない。パリの雰囲気はもっぱら本に頼っている。ソニア・リキエルのパリも好きだけど、村上 香住子のパリも相当に好きだ。森有正がパリで到達した境地を思うとき、村上 香住子の20年を通じると少しは近づけるのではと思ってみたりもする。

ラデュレとエルメを比べ語るあたりがどうにも良い感じで、その良い感じが実にパリらしい。今、それは日本でも共感することができるわけで、それを上手に教えてくれている。粋というのは江戸のものだけれど、今や京都や、この本を読めばパリにしかないものになっている。粋が生きる町はいいなぁと思う。東京だと空回りしそうだ。

ファッションのコメントはさすがに正確で的を射ているが、その知識はいまの東京の流行の中では必要とされないんだろうなと思ったりすると、ちょっと哀しい。

もう一回、身繕いしてみようかなと、粋の勇気をくれる。


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2009/02/02

時々、扉が開くことがあって

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夜想の休刊中に
新宿丸井前でゴスロリの娘たちを見かけたのが復刊のはじまりだった。

扉は真っすぐ向こうが見えるように開くわけではないけれど
そこからはじまることは
自分でも予想がつかないことがあって
楽しい。

清水真理さんの展覧会も
もしかしてそんなことになるかもしれない。
清水さんはたくさんのアーティストを連れてきてくれて
一緒に展覧会をしている。
元グラン・ギニョールの常川博行さんもその一人。

状況劇場にいて、グランギニョールに参加して
今は、怪奇朗読者として活躍している。
中井英夫さんの作品を朗読している。

蜷川幸雄演出・唐十郎原作『下谷万年町物語』で、少年役で出ていたということを今回初めて知って吃驚。唐十郎がアンダーグランドからメジャーに上がるのかと、話題騒然だった作品で、吉岡実の詩にもインスパイアーされていて、何より少年が素敵だった。
この頃、寺山修司も、野田秀樹も学生服の少年を舞台に登場させていて、それぞれにイメージが異っていたが、常川博行の演じる少年はず抜けて、耽美な少年性をもっていた。
bisでは『地下の国のアリス』の朗読劇を上演した。

役者としてのテクニックと好奇心の原点の初々しさを失わない
絶妙のバランスで成立している。
そもそも『地下の国のアリス』が舟の上でアリスに語った物語
そのままに文字にした最初のバージョンだから
まさにキャロルの様々な好奇心と危うさに満ちている。

アリスたちが開けてくれた扉は
どんな世界を見せてくれるのか…。
楽しみな09年が幕をあけた。


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2009/02/01

クリスチャン・コンスタン 

教わったのはソニア・リキエル。

リキエルファンでないとお得感がない100ページちょっとのエッセイ集だけど、一つ一つのエッセイがまさにパリを日常を生きるリキエルの粋になっている。本棚を見ればその人となりが分るように、フェイバリットのリストを垣間見ればその人の粋が分る。

パリのチョコレートの力量は、計り知れないものがある。メゾン・ド・ショコラに感動していたたまだまだ奥がある。パリに行った時に、試しに、リキエルの書いた、クリスチャン・コンスタンを探した。確か7区かな。試しになんて本当に失礼だった。『クリスチャン・コンスタン』は、白い可愛いお店で、瀟洒なウィンドウにチョコレートとパンが並んでいた。あ、パンもあるんだ。もちろんチョコは…まさに筆舌尽しがたい。サプライズがあって、美味しくて、拡がりがあって…。


パン・オウ・ショコラもあったので、10個、いや在るだけと買おうとしたら、毎日、楽しみに来る人がいるから残しておいてね、一人、一個と言われた。そんな話を店の人としていたら、本当にお婆さんが入ってきて、パン・オウ・ショコラ一個買って行った。リキエルはそんな風景も好きなんだろうなと、ちょっと自分が恥ずかしく、そしてパリが羨ましく思った。パリにはパンはその日、買って、その日に食べるものという頑なさが残っていて、今だに若いカップルが喧嘩しながら(朝、パンを買いに行くのはどっちだと)買いに行く。

あんまりクリスチャン・コンスタンが美味しいと言い続けたので、パリに行く友だちが代わる代わる買ってきてくれるようになった。嬉しい。行った人はみな感動する。美味しいんだもの。

で、ついに日本にも支店ができた。銀座の片隅に。



ちなみに日本もチョコレートはレベルが高くなっている。僕はずっと和光の『ル・ショワ』に通っていたのだが、ある時から微妙に味が変わった様な気がして足が遠のいた。ふとネットで調べたらパティシエの川口行彦さんが和光を出て「オリジンーヌ・カカオ」をオープンしていた。味は?…最高! 自由が丘に行けば、お店に寄るようにしている。


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2009/01/28

造本解剖図鑑 ミルキィ・イソベ

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アップルストアで

ミルキィさんが『造本解剖図鑑』のレクチャーショウ。

紙に特化したレクチャー。
紙はこんな風に裂けるんです、と縦目、横目の解説。

僕も
ちょっと間違えて理解していたことがあって吃驚。

机の上で終わってしまう、かのように思えるDTPが
実はそうじゃなく、そこから本という身体へのアートディレクションが始める。
紙とか造本とか…。
もっと厳密に言うと、机の上のDTPにすでに紙や造本の思想が組み込まれているというのが
ミルキィさんのデザインだ。

指から始る。
手から始る。
ミルキィさんの真骨頂が伺われたレクチャーだった。

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2009/01/27

掌にある人形と

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記憶を映像的にする人と
言語的にする人との話をしていて


ふと思いだしたのは
山科の山荘での一夜
舟越桂、森村泰昌、椿昇、宮島達男、大竹伸朗が
集まって話をしていたときに
気がついたのだが
全員、映像的記憶を駆使していて
他人の映像記憶を脳に焼きつけることすらしていて
言語派の僕は唖然としたことがある。

さらに舟越桂が森村泰昌の姿を彫刻にしたいと
頭蓋を触ったことを話していて
指の記憶というのもあるのでは…。

と、思うに至り、
パチンとはじけるものがあった。
恋月姫人形を抱いた時から
今の人形の仕事が始ったのだが
それは始るとは思わない始まりだった。

手から
指から
人形の何かが伝わってきたのだろう

これは一体何なのか
好奇心にスイッチが入ると
僕はとまらなくなる。

そのまま現在がある。
まだスイッチは入ったままだ。

清水真理の人形は
そうしたことから言うと
動く何かだ。
動くことから始っている。
それが何であるか、まだ分らないところが多い。

人形は不思議だ
と、常識的なことを言ってみる。
それでも納得はいかない。いかないから彷徨はまだ続く。

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2009/01/26

清水真理人形展

あったのは今から10年以上前

ぼろぼろになった
夜想をもって会いに来てくれた。

今でも忘れない。
こんなに読まれてくたくたになった夜想を見たことがない。
それ以降、今に到るまで。

人形は何度も見ていて
この間、青木画廊で見て
何かが変わって
輝いて見えた。

それを確かめたくて
bisに来てもらった。

確かに少し多く開かれているのが
バランス、今
という感じだ。

今というのは少女の人形にとって
とても大切。

理想をもとめた
そして理想の形体を作った時代とは少し異る。

女形が今を映すように
少女は形態として存在する。


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2009/01/26

朗読劇「地下の国のアリス」

夜想の夕べのために
組まれたユニットで
常川博行は、アリス役の田村渚と
「地下の国のアリス」を朗読します。
いや
朗読劇にしました。


良かった!

秋葉原で活躍の田村渚さんも
地下の国のアリスらしいアリスを演じてくれて…

本を読むという客観部分と
中に入ってキャラクターになるところが
巧く混合されていて
さすが本好きの常川さん。

芝居はなることを巧さとしますが
本をもって読んでいるところを残しているのがとてもカッコ良い。
またbisに来て欲しいな…。

いやいやまずは、31日にもあるのでぜひぜひ。

『地下の国のアリス』は、アリス・リデルがお話を気に入って、書いてプレゼントしてと言われたことに答えて、手書きしてアリスに贈ったものです。「不思議の国のアリス」は、何度も書き加えられて出版しています。

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2009/01/09

野田秀樹『ハイパー』 本読みの天皇制

ワークショップからほど遠く


野田秀樹・パイパー
ああ、野田秀樹の本読みはまだ続いているのか。
それで松たか子も宮沢りえも夢の遊眠社ぽいのか。ふと野田秀樹の『半神』を思いだした。
野田秀樹は、余り意識されていないけれど唐十郎の演劇の系譜にあると思う。
特に唐十郎の本読み、そしてチェーホフ的な新劇ベースとアングラの混合比が似ている。唐十郎はあの独特な台詞回しで全員の分の台詞を語る。聞いている役者はそれで唐十郎に肉化されるのだ。唐も野田も独特の台詞回しと演技の肉体回しとは密接な関係があり、不可分である。だから台詞の調子を強制的に入れられるということは、演技のトーンもそうしてくれという全員野田化、全員唐化の演出である。役者による演出…。うーん。歌舞伎の時代から余り進んでいないぞ。野田秀樹が学んできたというイギリス流ワークショップは、その逆の方法じゃないのか? 
コンドルズが演じていたハイパーの動きも、ダンサーの肉体を殺して、変なチューブをつけてよたよた動いているだけのもので、コンドルズも元々色物っぽかったけれど、ダンサーなんだから、身体の動きでパイパーを演じないと出る意味なんじゃないだろうか。
まぁいいや。久しぶりにつまらない舞台を見たぞ。

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