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2008/05/03

8 1/2 エイトアンドハーフ

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エイトアンドハーフの前には兎がいる。
エイトアンドハーフの周辺もどんどん開発されて、30年くらい前に髪をエメラルドに染めてくれた連獅子がすぐ側に店を出した。

このエイトアンドハーフにはもう10年くらいかよっているんだろうか…。
武南(たけなみ)さんにずっとカットしてもらっている。ずぼらなので6ヶ月に一回。ということは1年に2回か…。
6ヶ月たってもカットが乱れない。凄い。ブリーチもマニキュアもとても上手。それでモッズ・ヘアから移った。

以前はこんなことを書いていた。

本質的には余り変わらない。スタッフが生き生きとしているのが楽しみ。
今日も上手なスタッフに髪をブリーチしてもらったり、洗ってもらったり…。
でも全然、時間が足りず、半分でサロンを跳び出した。
打ち合わせ。

今は途中の状態。今度は6ヶ月でなくてすぐにいかなくちゃ。

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2008/05/03

集団作業

集団作業が苦手なのかなぁ…と呟くと、長いこといるスタッフが
人によるんじゃないですか?
と、応じた。

確かに現代美術系の大学でアーティストになることを頭のどこかに置いている人は、集団ということを前向きに捕らえていない。口では大切だとか、仲間だとか言っているが。
苛められないためのカウンターでそういう態度をしている傾向がある。

集団で作業をするときにどうしても人を見がちだ。ディレクターだったり、ヘッドだったり。
そして自分はディレクターになりたいと思っている。ヘッドのすぐ下の。
でも例えばディレクターが、一番細部の作業やそこに係わっている人とどうやっていくのか、という大変な作業が含まれているということを余りに知らなさすぎる。

世間が注意をしないで、親がちやほやして、育てたからなんだろう。
注意できないというのは、前世代の責任だから、自分も言い続けると、天に唾することになる。

少なくとも集団がやろうとしている[もの]をもう少し見つめてくれると良いのだがなぁと思う。集団を成立させているには、動機だったり、例えば出版だったりする[もの]が介在している。それを成立させるために集団があるのだということをもう少し見えると面白いんだけどなぁ…。

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2008/05/03

同じものを

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いつきても同じ味のものを出す、それが割烹料理です。

だから20年たってきても鱧の落としは同じ味がしている。たん義の花板さん、三津川さんはそう言った。
家の料理は毎日、気分や体調で味が変わる。それが良いんです。飽きないし。愛情も反映している。


今日は不思議なバイブレーションの日だ。
いつも同じ味をしているお店に珍しく擦れが生じた。
池之端の薮は、晒し葱が苦かった。そして蕎麦湯がいつもと違ってどろっとしていた。

セガフレードに行ったらカプチーノがぺったりしていた。
パリスタが若い人になっていた。
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最後はルール違反だけれど
美味しいタルトタタンを作るお店が、火を入れすぎたから届けられないと連絡してきた。
強引にもらってしまった。

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不思議なことが起きるものだ。
タルトタタンは美味しかった。これもアリの味だった。

ずれるのは作るほうとしては本意でないかもしれないけれど、人間的で時に面白い。
ふーん。という感じで楽しめる。
今日は、ずれている日。
僕はその擦れの中に身を入れて抜けようとしている。


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2008/05/01

アグリ・チーム

そうか! そうなのか。

アグリさんって、自分はドライって公言しているけれど
なんとなくベネトンに乗れそうだったのに(ピケやシューマがいる時代の)
なんとなく世話になった大橋さんに気を使ったのか…残留してそこで道をとざしてしまった。
もちろんアグリ自身が琢磨のことをはじめて実力でF!に乗ったドライバーと言っているくらいだから、自分の力は良く分っていたのだと思うけれど。

その琢磨もドライに日本の田中さんをけって、実力でF-1のシートを手に入れたけれど、そこからはホンダとの浪花節で生きている。あれだけ酷いことされたんだからトヨタに移ってでも、実力のある車に乗れば良いのに。

トヨタもトヨタでおそらくうちの車にぶつけるような奴は乗せない、などと社長が言うくらいのことで、きっと乗れないんだと思うけれど、なんか、今の、自分の派閥のことしか考えない、自分の利権のことしか考えない政治のような感じだ。

F-1なんだから政治も汚い策謀も一杯ある。でも一つ、芯の通った、レーススピリットは失ったらいけない。スピリットは、チームやドライバーによってそれぞれ異るものだと思うが、それは他人もレスペクトして、苦しんでいたらサポートしなくちゃいけない。

自分のことばかり考えている人や会社が多すぎる。だって自分のことで一杯一杯なんだもの…そういうんだけれども、それは言い訳だよ。どうにか琢磨を走らせようとしている、アグリチームの気持ちを、サポートできないのかと思っていたけれど…

実は、来年からレギュレーションがまた変わるらしい。そしてカスタマーカーが使えなくなる。アグリチームは買ってもらえる、何かをまったくもたないことになる。スポンサーは負債付きのアグリチームを買うより、ゼロから作ったほうが良いし、オリジナル・シャーシーを作れるところでないとチームが続けられない。

そうか! それでスポンサー交渉が難航しているのか。FIAもほんとに酷なことをするよな。
まったく。

ただもう一つ言えるのは、型落ちの、まったく走らなかった去年のホンダ・マシンを、パーツ供給もないような状態で、テストもなく、マシンを壊せない状況の中で、普通なら、モチベーションが限りなく落ちてしまってもしょうがない状態で、
きちんとレースをしているというレーシング・スピリットのあるチームだということだ。
本当は、そっちに価値を見いだすべきなのだ。プライベーターが少なくなった今、応援すべきは車の宣伝のためにチームを運営しているわけではなく、あるいは運営するために運営している分けではない、レースのために戦っているチームなのだ。

雑誌『yaso夜想』も完全なプライベーターだ。規模はさらに小さいけれど。


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2008/05/01

『闇のパープル・アイ』 篠原千絵


篠原千絵さんが夜想ギャラリーに来訪される。

『闇のパープル・アイ』は、ヴァンパイア譚ではないけれど
血がモチーフになって物語が進んでいく。
純愛なところが女性作家らしい[血族]作品。

なぜ、篠原千絵さんが恋月姫さんと対談するのかは会場でのお楽しみ。

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2008/04/30

ロワゾー・ド・リヨン

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ロワゾー・ド・リヨンの新作のケーキを食べながら次の撮影の打ち合わせをする

写真は、スリーピング・ビュティにはじまる。

それは怖いものなのか。
親しいものなのか。

この少し古いモダンの建物の中に
入った瞬間に中世のカタコンベを体験すると、
怖いが先に立つこともある。
いかに恋月姫の人形が陶片の冷たさを湛えていても。

クロスの服を着た少年たちの
眠りは死のように深い。


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2008/04/30

ポアラーヌ

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三田村光土里さんの朝食を食べるプロジェクト。朝食はトーストなので、ついついパンの話に花が咲く。

浅草はペリカンのパンと、ボワ・ブローニュのブドウパンかな。
ペリカンのパンは早朝から人が並んでいる。


ボワ・ブローニュのブドウパンは、渦を巻いてたっぷり。

浅草ではペリカンのパンを使っていることをうたっている喫茶店がいくつもある。
これをパリに置き換えると、ポアラーヌのパンだな…
などと話をしていると、何年か前にパリに行ったことをまざまざと思い出した。

パリジャンは毎日、朝、パンを買いに行く。そしてカフェオレ。
日本も朝、お豆腐を買ったりする習慣があった。まぁ、日本の場合は女の人が一方的に大変になっちゃんだろうけど。

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2008/04/29

ART+EAT ART&BREAKFAST

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ART+EATは、今日、馬喰町に見つけたお店の名前とコンセプト

ART&BREAKFASTは、三田村光土里の展覧会名。

馬喰町に川内倫子の展覧会を見に行って見つけたお店が
ART+EAT
写真や陶器、道具、机などを扱っている。
モダン・シック。ご飯も食べられる。コーヒーも飲める。

コーヒーを頼んだら
ブレンドとマンデリンがありますけど…。
被るようにマンデリンをお願いします。

ビスで出しているコーヒーもマンデリンベース。
なんか苦味の感じが昔から好き。

誰もいない店でぼっとコーヒーを飲みながら
あした田原町のパン屋さん、ペリカンは開いているのだろうかと
思いを巡らす。


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2008/04/29

三田村光土里 Higure 17-15 CAS

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蛇道に入る前に迷ってしまって

うろうろしていたら、どんとHigure 17-15 CASに突き当たった。
浅草橋、パラボリカ・ビスからちょっと新しい道をと思ったのが間違い。
朝8時 Higure 17-15 CASの前に立って
空いているのかなと、ディレクターの彦に電話する。出ない。

と、後ろから有元君が空いてますよ。あ、右側から入るんだっけ。家のようにさせてもらって展覧会していたのがついこの間なのに…。

三田村光土里さんの展覧会、セッティングの間は、朝食を来た人と食べるプロジェクト。
彦らしいし、オーナーの小沢さんらしい、誰でもウエルカムのオープンマインドだ。ちょっと僕にはできないかも。

コーヒーを飲みながらふと会場を見ると。
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テープだ! もっとも三田村さんはビニール・テープ。もっていたピンクのマスキング・テープをポケットから出してプレゼント。ちょっと汚れているのですりすりして綺麗にして渡した。
会場を良く見ると、マスキング・テープもあちこちに。ある。ぺたぺた、くるくると貼ってある。

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マスキング・テープに思索中の文字が書いてある。三田村さんは他のテープとプレゼントしたピンクのテープを混ぜて置いてくれた。ふふ、仲間入りだ。

これフィンランドのマスキング・テープ。と、三田村さんがさし出した。う、チープでくるなぁ。ほんの1センチちぎらせてもらって鞄にはる。三々五々、訪れる観客の人と、話をしながら、三田村さんは楽しそうだ。みんなも楽しそうだ。隣に住んでいるお婆さんも階段を上がってきた。

知らない同志が、アートの話やパンの話をしている。
いいよね。

ここから三田村光土里さんの作品がはじまる。



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2008/04/29

ゴス、磊磊

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昨日から今日にかけて立て続けに何人にもウエブサイトの『ART IT』に書いたゴスの原稿が

興味深かった、とか、良くぞ言ったとか声をかけられた。
一日に集中していたのでちょっとびっくり。読んでもらえて嬉しいのと
現状把握をしていることをきちんと受け止めてもらえているのが良かったと思う。

http://www.art-it.jp/special_04.php

大人がちゃんと意見しない。意見を言わない。
言うと若い連中が引くと思って…と、若い連中が嘆いていた。

では
と言うと、まぁほんとに引いてしまうことが多い。
ちょっと言えば、うちもスタッフが離散する。
もっと厳密に言うと、自分以外のスタッフに意見しているのを見たり、聞いたりするのは好き。
でも自分に向ってくると
ふっと消えてしまう。

そんな条件節ばかり言っていてははじまらないんだろうな。
やることが大事なんだと思う。
成立するような意見を言うことが、そしてその技量を持つことが重要なんだろう。

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2008/04/29

ふわふわドライフルーツ

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ふわふわ。紅茶に浮かべても、そのまま食べても

美味しい柔らかいドライフルーツ。
いらない材木をストーブで燃やしながらゆっくりと乾燥させた、ドライフルーツ。

もともとドライフルーツ大好きだったのだが
これはちょっと、かなり美味しい。

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2008/04/27

バラフ

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バラフは、スワヒリ語で結晶とか氷を意味する言葉らしい。

最近、どこでも目にするようになった「バラフ」を食べてみた。
葉っぱに露がついているような、塩の結晶が着いているような風。
食べると少ししょっぱい。

佐賀県で開発された、干拓地などの塩分を吸い上げる植物。

野菜と言えば、鎌倉野菜が注目だけれど、確かに美味しい。
イタリアの野菜を日本で本格栽培。定着して欲しい。バラフもそうだし、愛媛で温暖化対策でブラッド・オレンジを美味しく作っているけれど、流行好きな日本の感覚に消費されて欲しくない。

イタリアではいつの間にか日本の柿が定着していて、日本と違って完全に熟したものを食べる。とろとろ。
スプーンですくって食べるようだ。僕の食べたのは、とろとろになった繊維が、サラダに入っていたり、パスタに入っていたり。美味。変な話、日本の食べ方より上手。

おそらく十字軍がもちこんだ水牛で、モッツァレラ・ブッファラを自家薬籠中のものにしているイタリア、一世紀後にも柿はイタリアにあるような気がする。

もちろんイタリアも流行ものは大好きで、イタリアに足を踏み込んで、ご飯を食べたとたん、今年の食の流行を感じるほどに流行に全体が敏感だけれど、それが溶け込んで、溶け込んでいくのが楽しいところだ。日本もそんな風にならないかな。

ブランドとかに一極集中したり、食べ尽くすと放り出したりする文化は、流行のスローなんとかに反すると思うんだけどな…。


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2008/04/26

Leonardi Giovanni

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Leonardi Giovanni の30年ものバルサミコ

でサラダを作って味見をしてみる。

バルサミコはもちろん僕のものではないのだけれど
ナンバーと証書が付いている。

乱暴言うと、価格の安い順に、酸っぱくて薄い、甘い、甘さが上品で酸味がほとんどない。というのが感想。
12年ものまでしか味わったことがなかったので、ちょっと衝撃的な上品さ。
これで100年というとどんな感じなのだろう。

フォカッチャに挑戦して失敗続けて落ち込んでいたのを30年のバルサミコが救ってくれた。
幸せな快感。

フォカッチャは放棄してパスタを作る。サルシッシャ+クリーム+空豆。
オレッキエッリはうまくいくのに…。イーストと合わないんだな。デビル・ハンド作動でがっかり。


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2008/04/25

季節外れになった桜

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季節外れになった桜の

おひがしで、二度目のお点前をいただこうとして時に
がたがたとガラス戸が鳴った。そうそう里春さんが亡くなられて…と訃報を聞かされた。

里春さんは元祇園甲部の組合長さん。少し前に国立劇場で祇園の「手打ち式」を見た。黒を引いた芸妓さんたちが柝を打ちながら入場するさまは、艶やかで凛としていた。ひと際背の高い里春さんが、柝を先導してそれはそれは姿の良い、粋なものでした。

里春さんは、井上流独特の、能がかりの踊りを得意としていた。井上流は機械的な振りと良く云われるが、その中に艶を出すのが上手なのだが、なかなか難しい。里春さんは、立役としてそれを舞っていたと思う。先代の井上八千代さんに次いで井上流では好きな踊り手だった。

昭和の初期には、里春、里千代姉妹は、連れ舞いで都踊りでも名を馳せた舞手だった。腰を悪くされて引退した里千代さんは、玉木という祇園の宿をおやりになっていた。歌舞伎を見始めた頃、玉木さんの宿を知り、たん義を知り、祇園の井上流を知り、そして京都に嵌りきっていたことがある。

造形大学の教科書『人が芸術家になるとき』ときのインタビューでも、現井上八千代さんとのお話で、僕は、里春さんに言及している。その位好きな舞手だった。

祇園ネイティブな人が減って、祇園も姿を変えきる寸前まできている。

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2008/04/25

不揃いのチョコレート

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名古屋のSがエルメのチョコと紅茶を会場にとどけれくれた。

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Sは2002年京大西部講堂で行われた『ペヨトルファイナル』に名古屋から駆けつけてくれたボランティアスタッフだ。
何くれとなく応援してくれている。
エルメのチョコは箱の中に揃っていて、一つ一つは切りっぱなし風のランダム。
僕の最も弱いビジュアル。うー。
食べたらこれが美味しいので、も一つうー。
ありがとう。自分の中の「くる」部分は半分意識的に眠らせてあるので人に覚醒させられると
元気が湧く。

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2008/04/24

REALTOKYOと

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インターパーソナル・スペースは30メートルか3センチか

R不動産のビルの一階には
イタメシ屋がある。深夜、外に立って、REALTOKYOのこととか、紙媒体のこととか
壊れている人間のことについて
いろいろ話をしていた。背の高い椅子に坐って、ちょうど話しやすい距離。イタリアの距離かな…なんて洒落ていると

時間大丈夫?
自転車で来ているから、まっすぐ走ったら、浅草橋、浅草。あっという間だもの。

ネットが盛んになって距離が上手にとれなくなっている気がする。
30メートルか3センチか。
相手のブログを見ていると、30メートルは3センチ。
そして3年会っていなくても、3センチの距離に突然、現れる。

相手のことは関係ない。
いいじゃないですか、私の気持ちなんだから…。3センチは…。
この厚顔な距離が
紙媒体を駄目にしているんじゃないのと僕は発言してみた。
紙との距離もとれなくなっているから、読み解けない、楽しめない。

どうしたら良いんだ?と途方に暮れる、二人の編集長。
その二人が近々提携して、いろいろな企画をする。
パラボリカ・ビスがまず会場になりそうだ。


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2008/04/23

『禽獣』 川端康成

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昭和十年、新進気鋭のダンサーたちが、次々と作品を発表していた。

高田せい子、崔承喜、江口隆哉、エリアナ・パヴロバ、そして石井漠、石井小浪の石井漠舞踊団。そして石井漠舞踊団の新進気鋭のダンサー石井みどりが、第一回創作舞踊発表会を日本青年館で開催すれば、その三日前に石井小浪が日比谷公会堂で新作舞踊を発表している。二つの舞踊雑誌が創刊される。

翌年の昭和十一年、石井みどりは独立公演を行い、石井小浪、高田せい子、崔承喜、江口隆哉、エリアナ・パヴロバは、前年同様、新作を発表している。日比谷公会堂は踊りの会で賑わっていた。石井小浪舞踊団 石井みどり舞踊団 江口・宮舞踊団 崔承喜舞踊団 高田せい子舞踊団が雄を競っていたと思われる。
2・26事件が起きるのは、この昭和十一年だ。

川端康成の『禽獣』が書かれたのは、昭和十年。日比谷公会堂に踊るダンサーとその夫の伴奏弾きが出てくる。石井みどりは、この昭和十年にヴァイオリニストで作曲家の折田泉と結婚して独立している。

余り良く描かれていない、ダンサーと伴奏弾き。飼っている禽獣を愛でながらも次々と育てそこなって殺してしまう、そして場違いな治療をする、そして死んでしまうとぽいっと棄ててしまう、残酷で利己的な私が出てくる。その禽獣にダンサーを重ねて描くという作品だ。

三島由紀夫が、本人が否定して、そこに本質が顕れると言っている、二つの作品の一つが『金色の死』でもう一つが『禽獣
』である。『金色の死』は失敗作だが、『禽獣』は名作だとも言っている。
どうかな…。

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2008/04/20

北野踊り 福鶴

勧進帳を踊る福鶴さん 至芸

まとめて上七軒『北野踊り』の映像を見る機会があった。
はじめて行ったのはいつのことだろうか、上村吉弥が南座鑑賞教室に出て、何年目というときだろうか。
吉弥に誘われて、関西の花柳流の若手の師匠も同席して見た記憶が在る。福鶴さんの踊りに感動した。

豪快で繊細。男踊りと言うのだろうか、立役の踊りが素晴らしい。惚れ惚れとするほどの男っぷり(失礼)

京都に行った時に時間があえば見に行っていたが、まとめて映像で拝見して改めて、うなってしまうほどの見事さ。(生を見たくてはいけないのですが、ほんとうに)

先代・井上八千代、吉村雄輝を失って、上方舞は、名実両方を兼ねた舞手を失っている。立役ではあるが、そして芸妓さんではあるが、今、福鶴さんの踊りには、見るべきものがある。

先代の井上八千代さんを追っかけしていたこともあり、玉木さん、たん義さんに京都を刷り込まれていたこともあって、僕は、ずっと祇園から京を見ていた。人に上からものを見て…と詰られたこともあったけれど、食べ尽すまではと、たん義や、玉木さんの宿にとまり、祇園の芸を見ていた。

食べ尽くすほど分ったわけではないが、もうそうしたことを崩して、自在になっても良いのだと思った。それは福鶴さんの舞いを見てのことだ。

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2008/04/20

『金色の死』谷崎潤一郎 1914(大正14)

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谷崎潤一郎が自らの手によって全集から抹殺していた作品がいくつかある。
三島由紀夫が谷崎の死後、復活させた。『金色の死』。三島の生き方に影響を与えた感のある作品。そして江戸川乱歩が狂喜して『パノラマ島奇談』を書くきっかけになったと言われているいわくつきの作品だ。

今は講談社文芸文庫で簡単に読むことができる。解説を読みながらいろいろなことを考えてしまった。

 それにしても岡村が築いた『絢爛なる芸術の天国』のパノラマは、まるで安っぽい個人美術館のような模造品の羅列でしかない。実はこの風景は私たちにとってディズニーランドやUSJの粗形というべき見慣れたものだ。近代において芸術や美がオリジナルの威光(アウラ)を消失して副製品たらざるをえない宿命を1936年に番屋民が唱えるより20年以上早く、ここにはアウラなき模造の美に殉じた人間が描かれていたのである。さらにエドガー・アラン・ポーを模した筆名の江戸川乱歩に、この作品が衝撃を与えて『パノラマ島綺譚』を書かせたのは大正15年(1926)年になってからである。その振る舞い自体が皇軍諸侯の模造であった三島の自死に到るまで、『黄金の死』は模造の循環と連鎖を発動している恐ろしい予言的な作品をいわざるをえない。(清水良典)

+
解説では、谷崎の描く庭園を模造品だと言って、ちょっと否定的だが、逆に、人間にとってのユートピアや楽園や庭園や廃虚を、オリジナルや自然そのもの、いわゆる本物で作るということはあるのだろうか。

++
人工物だからこそ、理想郷になるのではないだろうか。アートとはアーティフィシャルなもの、人工のものである。谷崎潤一郎は、作品の中で…そしてこの作品の元になったと言われるポーの『アルンハイムの地所』『ランダーの別荘』にも繰り返し語られているように、自然は不完全だ、人工的に配置されたものこそ完璧だと語っている。
その例に上げた人工物がどうか?ということは若干あるだろう。江戸川乱歩と谷崎潤一郎とでは、そしてこの作品を強くとりあげた三島由紀夫もまた『癩王のテラス』で人工庭園を描いた。しかし三者とも異る。
そこが面白いのだが、では庭園に並べた美術にセンスがあったかというとそれは、どうかな…という感じだ。それでも、それだからこその理想郷、理想庭園なのだ。

+++
オリジナルの作品をその国の背景や文脈から切り離して蒐集して並べたとしたら、そのほうが俗悪である。本物だからアウラがでるなどという妄想をいい加減棄てた方が良い。オリジナルからでるアウラはあるシチュエーションによって起きるのだし、受け取る側に見とる力がなければ発生しないのだ。そして本物でなければ、いきなりキッチュな模造品だという感覚と美の短絡も改めた方が良いのではないだろうか。

三島由紀夫は『金色の死』の前半に描かれた岡村を自らに投射したのだろう。そして、三島としては余り評価しない後半の部分、白亜の屋敷、ロダンの肉体、ギリシャ彫刻…その模倣。黄金の自尽すらも重ね合わせた。僕の最も好きな三島由紀夫『癩王のテラス』の美学にも通じる原点がここにある。

『パノラマ島綺譚』丸尾末広≫
『アルンハイムの地所』『ランダーの別荘』


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2008/04/20

『菊坂ホテル』上村一夫

DSC03836.jpg雪の本郷 2-04 菊坂に雪が降る。坂の下は冥府のごとく昏い。

『金色の死』読んで、半年前の雪の日を想う。
坂の下にはかつて菊坂ホテルがあった。

文士たちが集い、不条理の愛を交わしたところ。
ホテルについては、『菊坂ホテル』近藤富枝(中公文庫)が詳しい。

上村一夫の『菊坂ホテル』は小説王に連載され、昭和60年に単行本化された。
『関東平野』『狂人関係』『一葉裏日記』は、どれも愛読書だが、『菊坂ホテル』もまた何度読み返したかしれない。

上村一夫は、作家の視点から作品を描き続けた。
印象的なシーンが在る。
江戸の出版屋・蔦屋重三郎が歌麿を面倒見ようとして、必要ない、絵はこの手が勝手に描いてくれる、お前は遊ぶ場所だけ作ってくれたら良いと、言うと、蔦屋がどうして私の力が必要ないんだと、じたばたする。

支配しようとするディレクターと作家の関係であり、編集者と漫画家の関係でもある。
上村一夫は、徹底して作家の立ち位置から全体を、時代を、そしてその昏さを絵にした人だ。
できることなら一枚の絵にしようとした、絵師である。

『菊坂ホテル』には見上げる絵がでてくる。
上村一夫には見上げる設定は多い。

十二階の下に蠢く娼婦が、十二階の塔の上から望遠鏡で浮気の現場を見続ける妻を見返すという一枚絵。
これが上村一夫の女性観であり、描き続けたテーマである。

女が死んで高いところから落ちるのを描く作家はいる。石井隆、ルコント…。
下にいる女が上にいる女を見上げる。なかなか描けない構図だ。

『菊坂ホテル』には竹久夢二、谷崎潤一郎、お葉、佐藤春夫、今東光、伊藤晴雨などがでてくる。
描かれているのはおそらく大正7年から8年かけての1年。
ちょうど谷崎潤一郎が、スランプに陥り、義妹と不倫の関係になり、映画スターにしたてあげようと、映画会社と脚本契約をしたりする時期にあたっている。谷崎潤一郎を主体に描かれている。

最後は、谷崎潤一郎の、己の天才は真実の光を発揮するのだ。(『神童』)を引用して終わるが、もちろん谷崎の才能主義を肯定している分けでない。その哀れさを描いているのだ。



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