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2008/09/22
雨の成分
ちょっとした
大雨の中を自転車で走らないといけなくなって
目をあけて雨の中を走って帰ったら
目が痛くなって、充血してしばらく使い物にならなかった。
雨の成分は大丈夫なんだろうか。
身体に悪い成分がたくさん…なんていうことになっているかもしれない。
人間は動物なんだから、食べ物でも危険を察知できる、だから自由に食べていて大丈夫
なんていうことを言われたきもするが、小さい頃に、
好きに食べていたら、バランスの悪いメタボになるし
そんなに人間の野生は信用できない。
野生を回復するトライはすべきだけど。
グルタミン酸が入っていたり、お砂糖がたくさん入っているものを
美味しいと
思ったりするのだから
野生の味覚なんてないのかもしれない。
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2008/09/21
見えないと
味が分らないという
ことをずっと思っていた。信じていた。
というか植えつけられていたのかな…。
目黒川ぞいを歩いて
お茶屋さんへ入ると、颱風の影響か人は誰もいない。
お客は僕ひとり
いつもに比べてカウンターが暗く
手暗がり。サーフェスが見えない。
駄目だなぁと思いながら飲んだけれど、三煎とも味がすっと入って、快感も。
日本茶を飲みながら失礼なはなしなんだけどまた谷中にお茶を飲みにいきたくなった。
日本茶は一煎目で半分以上の味が出て、後はなだらかに落ちる。
曲線に変化はない(そうでないのもあるのかもしれないが。あったら教えて欲しいな)
中国茶は十煎目にピークなんていうものもざらにある。
お茶の比較より見えなくて味が分ることに驚いた。
信じ込まされていることは多いんだな。
お茶も谷中で舌をトレーニングしてもらっていることがずいぶん感覚に変化をもたらしているんだろう。まだ進化するって、ちょっと楽しい。
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2008/09/20
爆弾
千鳥ケ淵の
近くには異端の画廊がいくつかある。
松井冬子を擁する成山画廊。
そして
中に入ると本棚があってたくさんの本が収蔵されている。
そんな画廊もある。
つーと見ていたら千冊の見識のある配慮を感じる。
目が利いている。
ディレクターはただものではない。
著者を端から見ていたら
ちょうど手に持っていた文庫の人がいない。
さもありなん。
梶井基次郎の檸檬のように爆弾として置いていこうか。
最近読み続けている笙野頼子の文庫を。
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2008/09/19
笠岡の名物は
カブトガニと薔薇なんだそうだ。
そしてカブトガニ饅頭がある。
らしい。
カブトガニの姿がリアルに復元されているカブトガニ饅頭。
イジメだよ。上げるね。
と、作家さんに脅された。
人形は、すっきりしていて
透明感があり、サイバーな風もあり、時代的だ。
時代を反映していないと
人形は、生きてこない。
その意味ではとても良い、新作だった。
忙しそうなのでご飯を作っていたら
双子のお嬢さんが
いろいろお話をしてくれた。
何かが通う感じがする。
もっともっと
食べること
触れることに自在になると良いなぁ。
豊崎由美さんじゃないけど
辛かったら開け。
相手に向って開け。
そう思う。
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2008/09/18
立ち姿
一番、側で仕事をしている
人形のことですら、分っているようで分っていないことも多い。
球体関節人形である以上、
それが余り可動しない人形でも
立ち姿は、すっとしていないことが多い。
マネキンは、彫塑に近い。
原型は彫刻そのものであると言っても良い。
仕事柄マネキンは立ち姿、美しい。
以前、夜想のマネキン特集のとき、バージンマネキンを200体展示したことがあったが
それは美しかった。
パーツにするからだろうか。
身体がぐにゃっとする要素を孕んでいるからだろうか。
球体関節人形は立つの苦手だ。
自立するのは、吉田良さんの球体関節人形、くらいだろう。
寝て、
抱くからだろうかか?
だから球体関節人形を立たせて、戦わせるなんて
もっての外だ。
美しくない。気持ち悪い。人形の姿として。
某映画のことだけど…。
分るなんていうことは永遠に、決してあるはずもないが、
まったくの素人からはじめてどんどん踏み込んでいくと面白い。
今、素人として踏み込もうとしているのが
小説読みと、落語聞き。
いつ、一歩が獲得できるのだろうか。
楽しみだ。
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2008/09/17
幽界森娘異聞 笙野頼子
もしかして
かなり場違いな方法なのかもしれないが
立川談志の『鮫講談』
いくつかの講談を混合させて聞かせる場面がある。(他の落語にもあるのだが…)
談志はこうしたバラバラなものをどうにか一本にするのが
上手。
何となくまとまりのある、粋に思わせる(本当に粋かどうかは別としてね…)あの名人の噺とは
ちょっと別だ。
枕が面白い。時々を話しているかと思うと、いつの間にか、噺に入っている。スムーズなつなぎじゃないんだが、すっと入る。
このバラバラ講談を語る、そして枕から本題に入る感じが
笙野頼子の小説の読みに
繋がってしまった。
僕の場合だけど。
そしたらつるつると笙野頼子の小説が頭に中に入ってくる。
脳にダイレクトに入ってくる感じ…。
笙野頼子さんはホントは、談志じゃなくて春団治なんだけどね。
春団治も巧い。五代。
僕はね…。そんな口調は、モダンで粋だ。
上方落語は、身体に合うかもしれない。
他の上方は駄目なのでちょっと偏見をもっていたけど、
改めよう。
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2008/09/16
たとえ経済の
仕組を知らない
僕だとしても日本のこの無策振りには飽きれてしまう。
昨日、リーマン・ブラザーズ証券が倒れて
どうなることかと固唾を飲んでいたら、まぁ日本は注意して様子を見る
なんていつもの何もしない態度。
利下げも利上げもできない状況に世界が追いつめられているのは
分っているにしても
でも手を打たないとまずいでしょう。
中国はインフレよりも景気後退を怖れて利下げを選択した。
今は、世界は中国頼りだから
それもありだろう。
米国は大統領選挙前で何もできない時期なのにブッシュが最後の仕事をしようとしゃしゃりでてきた。(実際には無意味なんだけど…)
日本は何にもしない。
やっぱり刈り場なんだろうなここは。
金融というシステムが起す経財のクラッシュ。経験したことがない何かが世界を襲う。
感覚が幻想に入っていきそうだが
これはまぎれもない、幻想から現実への反応。
読んでいる笙野頼子の小説のように…。
セガでカウンターの横で本を読んでいる女のひとの腕に腕時計が二本絡んでいる。
二つの時間を生きている人なのだろうか。
本はあと数ページで読み終わりそうなのに
いつまでたっても終わらない。
僕はポーランドから来る、写真家に会いにセガを出て、ビスに向った。
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2008/09/16
花組芝居の牡丹燈籠
さほど空席が目立つわけではなかったが、「お客さんを呼んでください。しゃれではなくやばいんです。」と渡辺えり子は終演後の舞台で客席に呼びかけていた。
1997年10月の紀伊國屋サザンシアターの『ガーデン』を最後に渡辺えり子の劇団3〇〇は解散した。
劇団3〇〇の前2作の『夜よさよなら』『深夜特急』も良い作品だった。感心するほどの。
良いものを作ると客に見放されるというのは、どうも良くあることで
満員でない花組芝居の『牡丹燈籠』の出来がとても良いだけに少し心配になった。案の定、終演後に花組芝居の加納幸和が独り舞台でお客さんをと訴えていた。まさか経営が悪くなることもないだろうが、心配は心配だ。
花組芝居の創立は1987年だから活動はもう20年にもなる。今回の『怪談・牡丹燈籠』の主役・飯島平左衛門を務める水下きよしは50歳を越えたと自ら宣言している。こっちももう20年通っているのか…。
若手も育っている。劇団主で脚本、演出をしながら舞台にも立つ加納幸和のお峰の相手をした伴蔵の小林大介、小悪党を演じてなかなか上手だ。
花組芝居の『怪談・牡丹燈籠』は、歌舞伎で使っている黙阿弥の台本でも新劇で使う大西信行の戯曲でもなく、その元になっている三遊亭円朝のものだ。円朝の原作本は落語で演じ続けたものを速記で起し構成をしたもので、完成度の高い文学にまで仕上がっている。当時、書けなくなった二葉亭四迷が参考にしたことから、明治文学の根元とすら言われている。
加納幸和は、幽霊の話と仇討ちの話が入子になっている円朝の本を見事に芝居にしたてている。加納幸和の戯曲や物語を読み込む力にはいつも感心させられる。鏡花の『婦系図』の読み込みなど、思わず唸るほどのものだ。あ、物語はこうなっているのか、と良く分る。鏡花の読み込みは、当代一かもしれない。この本を読む力が今回も遺憾なく発揮されている。円朝の本の根底に流れている近代性と古典性を明確に描いている。
三遊亭円朝は、何だか僕の中でもブームで、ここ2月ほど、落語を聞いたり、本を読んだりしていた。花組芝居も円朝かとちょっと吃驚した。あちこちで円朝を見かける。だから流行に乗っているんだと思うが、少し観客席が寂しい。
劇団のプロフィールにもある、『高尚になり、堅苦しく難解なイメージになってしまった『歌舞伎』を、 昔のように誰にも気軽に楽しめる最高の娯楽にする』という部分がも失われてきているかもしれないと。本家の歌舞伎よりも深く考察された脚本と演出は、観客の考える行為を必要とする。演劇としてレベルの高いことが観客数に必ずしも反映しないこの国の事情に負けないで、素晴らしい舞台をどんどん作り出して欲しいと思う。
頑張れ花組芝居。で、みんな見に行って欲しいな。
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2008/09/14
劣化コピーの終わり? 始まり?
談志の鮫講談。
カットアップされている講談。バローズ?
講釈師から口伝でならう講談。思いだしながらやるという談志。(ホントかどうか別にして)
習ったあるブロックがそのまま出てくる。それは習った人の、その演目の講談を聞くと良く分る。
あ、このブロックはそのまま。このブロックから先は、今、作ってアレンジしているな。
棋士もその場で戦略を作るというし、その位のぎりぎりでのディテール戦が芸というものだ。
(棋士は芸じゃないけど…)それは劣化コピーじゃないような気がする。
ある部分を大事にスポンと使いながら、今を入れていく。今を入れないと今の芸じゃない。
固定された古い、権威的なものは、やっぱつまんない。
NHKでゴスロリの特集をしていた。良く分った気にさせる番組。
黒色すみれがでていたけど、演奏なし。マリアの心臓がでていたけれど、佐吉さんコメントなし。
ゴスロリを通底するどろっとした精神、あるいはヤンキー魂。そんなものをすべてカットした衛生的なゴスロリ。ダークさなんて微塵もない。
嚆矢は、ナオトの広岡が登場して、デザインは町の子を見ながら作っているんです。参考になるんですー。みたいなこと。
へっ。プロのデザイナーがね。でも本質がでている。コピーと組み合わせ。
さらに精神もなくゴスとロリをくっつけるから良いんです。だと。
ああ、たしかにそうなっているけど、作り手がそれをいっちゃしまいでしょう。幻想の頂のないものは駄目ですよ。いかにだましといっても。すべてがなだらかになるっていうことは、劣化コピー、エントロピーの最終段階ですから。
終わるのかも。終わりの始まり。けっこう90年代後半からのメイントーンが変質するかもしれない。
ではどこに。まぁそれは待っていれば見えてくるだろう。
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2008/09/10
豊崎社長!
惚れ惚れする男っぷり。豊崎由美の横顔を見ながらそんなことを思っていた。
この人、相手が直球待っていたら、打たれると分っていても投げるんだろうな…。
野茂英雄が大リーグで活躍しはじめた頃、野村克也、江夏豊が、野茂英雄と鼎談するTV番組があって
ボールから入るって選択もあるんだろうし…(野村)
いえ、カウントが悪くなるからストライクから(野茂)
フォークはいろいろブレるのを投げるの?(江夏)
バウンドした時にキャッチャーがとれなくなるといけないので、ホームプレートにバウンドして真っすぐ上がるようにブレるフォークは投げません(野茂)
大リーグの強打者はフォークボールで3三振していても、4打席目まだストレートを待っていたりする。そこに一球もストレートを投げないと大リーガーとして野球をしていることにならない。だから投げるんです。
で、野茂は打たれる。惚れ惚れするくらいに。野茂は打たれた球を見上げて、淒なぁーって思って言っていた。
豊崎由美さんの男っぷりというのは、野茂のような男っぷりで、(容姿はまったく関係ないです)対談相手のミルキィさんも侠気のあるデザイナーで、二人の話は丁々発止と一気に2時間。
男っぷりというのは、侠気と書いた方が良いかもしれない。自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性というのが侠気の辞書解釈だが、自分の損得顧みず、本のためにという気持ちは対談の到るところに出てくる。
私を消して私を開いてこそ
なるほどね。
それでいてミルキィさんのデザインと豊崎さんの書評は個性的だ。
侠気たっぷりの姿勢と裏腹に…いや裏腹じゃないんだろうな…だからこそなんだろうな。
ディテールは繊細だ。豊崎さんの手帳、細かい字がびっしり書いてあって、ペンが4本(たぶん色違い)が刺してある。ストイック。本を読みながらポイント別に色違いの付箋をつけていって、それが上から見ると綺麗なのよね…と豊崎さん。
ディテールに紙が、いや神が宿る。本質が発生する。
真似してみようかな、自分なりにアレンジして。新規のジャンルを常に手がけるようにしていると、資料が自分の周りを吹っ飛んでいくように通過していく。片づけない状態でなお前に行く。そんなところを直してみようかなと思った。
話がそれるが繊細な仕事をしている作家のアトリエが片づけられていないというのを良く目撃する。
書評はディテールへのこだわりと愛によって輝きを持つ。今は、姿勢と構造だけでは許されない時代なのだ。ディテールはどれだけ繊細であっても良いくらいだ。
繊細なフォークボールと打たれるかもしれないけど直球を投げる豊崎さん。
直球も「おらおら、打てるものなら打ってみろ!」という160㎞の下品なんでなく、130㎞の打たれるかもしれない直球。それをど真ん中に投げる。
うーん。男っぷりは惚れ惚れする。
ちなみに豊崎さん160㎞の直球をバックネットに叩きつけるような作家は大好きなのである。どこまでもカッコ良いでしょ。
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2008/09/10
夜想・ヴィクトリアン特集
10月1日にようやく『夜想』ヴィクトリアン特集がでる。
切り裂きジャックや都市伝説的なスィーニー・トッドのヴィクトリアン。
クリノリンのヴィクトリアン。
メイド服のヴィクトリアンというのもある。
19世紀の初頭に世界を席巻したかと思ったら、30年代にはもう経済不況になっている。飢餓の40年代などと言われている。子供がなかなか大人になれなかった。そんな最中、ヴィクトリアが即位する。37年のことだ。旦那のアルバート公も他所から来た人なのでちょっと人気がなかった。
1851年万国博・水晶宮の開催に関して、アルバート公が身体をはった。反対を押し切ってしかも寄付を募るような形でお金を集め、職人達に腕をふるわせた。もちろん自分もお金を融資した。万博は、700万人を集め大成功だった。アルバート公は1861年40代の若さで死去し、ヴィクトリア女王は自らが死ぬまで喪服で過ごしたという。
ヴィクトリア治世の時代は60年を越える。昭和が一言で言えないのと同じに、ヴィクトリアがこうだとはなかなか規定しにくいが、とても面白い時代である。新聞が発達して、新聞小説が生まれた。貸本屋にメイドさんたちが通っていた。汽車の地下鉄もあれば、水晶宮のようなガラス張りの巨大建築も在る。写真が流行って、自分の写真をカルトという手札に焼いて、交換っこしたりもしていた。格差社会でもあり、今の日本と重ね合わせられる部分もかなり多い。
で、いつものようにたくさんの撮り起し、描きおろしがあります。見てください。
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2008/09/10
妲妃のお百
嵌るのに理由はない。
嵌るかなと思うこともなく嵌ることもある。
神田織音さんがビスで語ってくれた『怪談乳房榎』を聞いて以来、落語だの講談だのにわけいっている。
東雅夫さんが、解説してくれたビデオ版『怪談乳房榎』彷徨もまた背中を押したのかもしれない。
円朝だから圓生かなと思って『怪談乳房榎』聞いてみると、端正で物足りない。晩年の録音だからかもしれない。どうしようなかと思って講談好きの立川談志の文章を読んでいたら、五代・神田伯龍の『小猿七之介』が良くて六代・神田伯龍に教わったとある。ではというので、談志と伯龍(五代)の『小猿七之介』聞いた。
談志も良いが、伯龍さらに良い。さらに『妲妃のお百』を談志と六代目・伯龍とで聞いた。うーん。伯龍の『妲妃のお百』は艶があって、女性二人をぱっと聞いて違う人として語り分けている。女を語れる人なんだ伯龍は…。惚れてしまった。(談志もかなり良いんですよ…)
『妲妃のお百』は新七が歌舞伎にうつして、三代目田之助が得意とした出し物。悪婆もの。どんな風に演じたのだろうか…。また江戸に足が向いてしまいそうだ。
さてさて伯龍の録音はたくさん残っているわけではない。楽しみながら少しずつ集めて聞いていこう。
五代目・伯龍は不思議な魅力を持っていたようで、江戸川乱歩はその容貌や語りをこよなく愛しつつ、さらにその奇異性に惹かれたと言う。そして明智小五郎のモデルにした。
語りは面白い。口伝で伝わっている芸は、すぽんとそのまま次の演者に入っていく。伯龍の『小猿七之介』は、きっかり談志の身体に入っている。談志は演じるときそれを思い起こすかのようにして語っている。1字1句たがわず入っている。不思議な感じがする。
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2008/09/04
高原英理
『月光果樹園』の発売を記念してのトークショウ。
最近、司会をしながら話を聞いていることがある。ビスでの高原さんの話をずっと聞いていた。
落語で自分の声を聞くなという教えがある。芝居でも袖で台詞を復習すると咬んで巧くいかないという教えがある。客観と主観のやり取りの壷なんだろうけど。自分を聞かず脳から絞り出すようにして語る落語家もいる。無意識の意識、無意識のなかの言葉の塊。
そんなものが作家の手からも生まれているのかもしれない。推敲は必要だが、落語家は棋士といっしょで人前でそれを推敲する。凄いな。
そんな技は気の遠くなるような話で、人の前にいるだけでやっとの僕は、きっと司会しながら相手の話を聞くとまずいだろうな…とうすうす思いながらそれでも聞いている。ふっと別の所へ行くことがあってもっとヤバイ。高原英理さんは『夜想』ヴィクトリアンに素晴らしい原稿を寄せてくれた。ゴスのことと差別のことに関してだ。そんなことを予告的に話している時に、
ゴスとロリ。
そうした相反するものを混ぜる今の流行は凄いなとふと思った。ヴィクトリアンの階層の一番上位で着ていたクリノリンのような服。下層で働いていたメイドさんたちが着ていた制服。
同じ、ヴィクトリアンという括りで取り入れてゴスロリにする。階層というものがない国だからこその混淆なんだろうが…。
というようなことが頭に浮かんできた。
歴史をズラし変えるような力をもっている流行は、意外にも面白い展開をするのかもしれない。もちろん商売が劣化コピーを重ねて、それを受容したらあっという間につまらないものになってしまうのだけれど…。
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2008/09/04
ヤバイ経済学
『ヤバイ経済学』がヤバイのは応用が利きすぎることかもしれない。
この見方自体は、いわゆるという、ことに対して
数値分析でよりリアルに近い見方を提示する。
思い込み認識が多い今のネット社会では、必要な思考法かもしれない。
たとえばこんな風に使う。
『カリスマ教師の心つくり塾』原田隆史
荒れた中学を建て直した熱血先生。陸上部を全国一にすると宣言して、それを使って駄目中学を建て直す。
何か変だな…。読みながら思う。
女性の教師が使える方法ではない。熱血でないと使えない。
陸上部で全国優勝できるのは一校。
同じような成果を無理やり上げないと学校は正常化しないのか?
中に『割れ窓理論』。割れガラスを放置しておくと荒廃が進む。環境整備をしていくと全体が健全になるという理論。ニューヨークが健全化したのは、ジュリアーニがこの理論を使ったからと岡田は強調する。中学でもそうしていくと…。
あとは永田勝太郎の『脳の革命』を使っている。(この本もちょっとな…。)
さて
『ヤバイ経済学』は、ニューヨークの犯罪が減ったのは、『割れ窓理論』を実践したからじゃなくて、堕胎禁止をやめたからだと言っている。これはアメリカでも相当物議をかましたが、かなり信憑性がある。
著者は、スティーヴン・D・レヴィットとスティーヴン・J・ダブナーは、二人組で、前者は経済学者、後者は、ニューヨークタイムズのコラムニストである。
東大に入学するには学力よりも学力を確保する親の財力が問題であるという理論に近いものだ。しかしそれはそうなので、ネットでウィキペディアなどが隆盛になると、一つの信じやすい説が、あっというまに定着してしまうということがあり、その裏を確かめるには、情報だけでは駄目で、数量的なデータを分析、判断することが必要となる。
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2008/08/30
雷鳴は
空襲の音に似ている。
台湾料理店の女主人が
ひぇーと大きな雷鳴に声を上げてそう言った。
空襲って?
B29。
日本?
台湾よ。東京と一緒に。
そうか台湾は大日本帝国だったから一緒に空爆を受けていたんだ…。
私たちの小学校は日本語を教えていたのよ。小学校5年生の時。次の年は中国から先生が来たけど言葉が何も分らなかった。
…。
東京大空襲のことばかり言っているけど
同時期に台湾、台北も高雄も焼け野原。台湾の人は日本に占領されていたばっかりに空爆を受けることになったんだ。忘れている。意識として。日本は。いつも自分のことばかり。そして攻め落とされた国、アメリカの経済的支援ばかりしている分けの分らない国。
石油が高いっていっているのに、無償で油を供給している不思議な国。
安い金利で差益を出してその分アメリカを支えている駄目な国。
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2008/08/29
雨の中
チラシをまきに都心に自転車を飛ばす。
走りながらいろいろ思う。
ずっと考えてきた。
究極の姿勢。言えば究極の姿勢。
騙すより騙される。
分っていても。相手が騙そうとするなら受け入れよう。
それで
結果は、巧くいっていた。
しかし
今、騙されるとそのまま押し切られて
騙すものの意志のままになだれてしまう。
なぜだろう。
言葉の表意しかとらないからかもしれない。
ネガティブな考えややり方が蔓延しているからかもしれない。
悪意というものが
2ちゃんのようなところから溢れ出るように世の中に拡がっているからだろうか。
どうしようか…。
走りながらしばし考える。
答えはでない。
editors talk
2008/08/29
灯ともしころ
panasonicのウーファーの利いたヘッドフォンRP-F30はかなり前に廃番になっている。
もう20年も塚ってかなりくたびれてきたので
ふと立ち寄ったヘッドフォン専門店でティアックのDT860を勧められて、購入した。
中域がちょっとチャリッとしているけど
i-podには丁度良いかもしれない。音もれするから誰もいない会社でしか使えないけど。
ちなみに通常はER-4Sをi-podに突っ込んでいる。
i-podで音楽を聴くのをあれだけ嫌だと思っていたのに
取材の録音にも使うほどに使っている。
DT860の特性をチェックしようと
久しぶりに浅川マキの前衛的な音を聞いたら
離れなれなくなった。
いわゆるマキ節ではない
ジャズの前衛プレイヤーと一緒に録音した
とっても粋な奴。
去年
シリーズの4がでていたらしい。
買わなくっちゃ。
音楽だな…とつくづく思う。
editors talk
2008/08/27
Rozen Maiden
ジャンクなんていない。
『Rozen Maiden』のメッセージは
とてもポジティブだ。
言葉をひろって読んでしまう。それは悪意がベースであるかもしれないという
時代の空気を
いやそうじゃないと強く言っている。
否定するのは優しい。裏切るのは簡単だ。
信じることは難しい。
それでも誰もがそれぞれに必要なのだという言葉は
何かを生み出すだろう。
ゴスで
デスな状況であるが
果敢にそうでない世界を構築しているRozen Maiden
何かを開くのではないだろうか。
それは逆のパンドラの箱
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2008/08/27
今日は
セガが上手にハート。
日本橋のイリーはくちゃっとしていた。
味もくちゃっと…。
パリスタでやっぱり味は違うな…。
自分はどうなんだろうか。
三遊亭圓生の『怪談乳房榎』を聴く。
不義を強要する浪江が、色悪な感じで少し色っぽすぎるかな…。でも圓生はここをやりたかったんだね。芸談で、ちょっとスケベな感じで良いでしょうと自画自賛している。
浪江と正介のやり取りの時の浪江が
少し圓生になりすぎているかな…。
でも落語は初心者なので素人の感想ということで…。
editors talk
2008/08/25
怪談乳房榎
講談 神田織音 『怪談乳房榎』(三遊亭円朝) 8月22日 パラボリカ・ビス
夏だから怪談噺とスタッフがセッティングしてくれたイベント。
大分良い機会だからと
円朝のものを読み出した。
『小説 圓朝』(正岡容)とか円朝『怪談乳房榎』『牡丹燈籠』『四谷怪談』『真景累ヶ淵』…
を読み出した。
ふと本棚に入れてあった『円朝芝居噺』—— 夫婦幽霊(辻原登)にも手を延ばした。
話は、とある大学教授の遺品のから速記録が見つかり、それが三遊亭円朝の口演した「夫婦幽霊」であったという設定ではじまる。『夫婦幽霊』は創作だが、円朝の集めた幽霊画に円山応岱「夫婦幽霊」があるが、そこからの発想かもしれない。
幾重にも入子になった構造だが、そんなことは気にならない。江戸から明治にかけては三代目・田之助でかなり身体に入れたことがあるので、その時の江戸感が甦る。円朝の二度目の妻は、柳橋・芸妓のお幸。お幸は三代目・田之助といい仲だったことがある。
柳橋だし、江戸だし、幽霊だし…。好奇心と想像力が一気に動き出した。