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2008/03/10

ヴァンパイア

ヴァンパイアの声をあちこちで聞く。
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宝塚バウホール開場30周年 『蒼いくちづけ』−ドラキュラ伯爵の恋−
作・演出/小池修一郎
小池さんはヴァンパイア・フリークの方。萩尾望都さんの『ポーの一族』にラブコールを送り続けているとか…。
もう一つが
松平健『DRACULA ドラキュラ伝説』
全国ツアーを敢行する。演出は、やはり宝塚歌劇団、藤井大介。

流行というより繋がりを感じる。何となく。
あ、そうそうダイワハウスの新作CMも吸血鬼だった。

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2008/03/09

『カリフォルニア物語』 吉田秋生 +スタジオ・ライフ

スタジオ・ライフの『カリフォルニア物語』を見に行く。

幕間でイリーコーヒー ちょっと薄い。
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吉田秋生の原作は何度読み返しただろう。

僕にとっては自分の住んでいた湘南の匂いを感じる。
理想の男の子像って? 今から15年くらい前に聞かれた時に
吉田秋生に出てくるちょっとワルの主人公かなと言ったら
古ーい。今は、ダメンズと言われたのが懐かしい。

兄弟の父親を挟んだ微妙な嫉妬や愛がテーマ。
ボクにとっては余りに現実的で胸が痛かったり、郷愁をかき立てられたり。



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2008/03/07

シチリアのカタコンブ

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巴里の街の下に見し、
カタコンブなる鈍色(にびいろ)の、
人骨などはよそのこと、
あの絵に描いた白い人

与謝野晶子の歌。
廃されたもの、虚になったものに趣を見ずに生命を見ていた与謝野晶子に強烈なポジティブさを感じる。この歌に写すと今の時代はなんと滅びを好んでいるのだろうか。

シチリアのカタコンブを最近、何度となく思い出す。荒俣宏さんの『ヨーロッパホラー&ファンタジー・ガイド』を読むと、恐ろしい感じを抱くものとして書かれている。僕は、シチリアのカタコンブには親和を覚える。フランチェスコの元々の精神を復活させようとフランチェスコ派から分派したカプチン会の墓地。今はフランチェスコ会が管理している。その地下墳墓に眠る8000のミイラ。骸骨化したカタコンブの多い中、ミイラというのはまさに鈍色の人骨と白い人との間にある黒い人である。見たとき田中泯の群舞を思った。土方巽の暗黒舞踏ではない。カサカサしたディテールの生命感ではなく、黒一色の生命感だ。階級別、性別に並んでいる中、一組の老夫婦だ
けが、例外に一緒に並んでいる。ずっと、ずっとそうしている。死ぬときにこの状態を望んだのだろうか。そして半永久的に二人はそのままにいるだろう。

1920年、2歳で死んだ世界で最も美しい屍体と言われているロザリア・ロンバルドの遺体も収められている。
まるで生きているかのように。20世紀の屍体が収められるのは特例だが美しい子だったので収柩されたのだろうか。ミイラにする技術が1920年代にまだ残っていたのだろうか。


荒俣宏さんの著作は、ちょうど渋沢龍彦がした仕事を次世代が受け継いでよりホラーを見えるものとした仕事である。黄昏は、そうしてしだいに黎明期になっていく。

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『黒魔術の手帖』は学生の頃のバイブルの一冊だった。

荒俣さんの次の世代はもっと分るものとしてファンタジーやホラーを描いていくのだろうか。しかし…と思う。そうでないあり方も可能なのではないだろうか。畏怖をもたずに幻を身体の供とするような。

瀧口修造さんの弟子達は、ある時、瀧口さんの怒りをかって破門にされた。それは逆だろうと思う。弟子は師匠を越えるために師匠殺しをしなくてはならない。弟子がエピゴーネンになってはいけない。瀧口さんは時代的にベストだったかもしれないが、時代が変われば足りなかった資料が、手に入るようになったり状況も変わる。師匠と異る結論を導きされることもあるだあろう。それをすることが弟子の役割だし、愛をもって師匠を越えるということだ。そうして時代は進んでいくのだ。

ことは簡単ではない。深瀬昌久さんの足手まといの弟子をしているときに、言われたことがある。俺を越える意志と可能性がないなら今すぐ写真を辞めろと。優しい師匠だった。

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2008/03/07

小島文美 ヴァンパイア展

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深夜、小島文美展のセッティングが進んでいく。

悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲、Castlevania  白夜の協奏曲 暁の円舞曲 Heamatodipsia、
悪魔城ドラキュラ 闇の呪印、悪魔城ドラキュラXクロニクル
の原画が到着。ゲームの原画はゲーム会社に原画ごと所属しているので、公開も、そして一堂に並ぶのもはじめてのこと。作家の小島文美さんも見たことのない邂逅だ。

そして描きおろしの新作を含めて60点を越える大展覧会。
みっちりと小島ワールドが展開している。


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2008/03/06

川の流れ

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川を下って行くあの船のように ゆらゆら揺れながら流れて行こう。(浅川マキ

久しぶりにビスのそばの『ルーサイト・ギャラリー』のテラスに立って隅田川を見る。川の流れはゆったりとしていて、記憶の中の感覚とまるで一緒だ。まるで時がとまっているように。その時、まわりに人はいなくなっても川の水は変わらず流れていく。

市丸さんが住んでいたこの邸は、今おそらく隅田川そばに立っている数少ない話建築の一つだろう。そしてここに立っていると江戸時代、ここから山谷堀を通って吉原に向う猪牙船が出ていたことを思う。華やかな時、そして今は花街もなくなり、料亭もすべて営業をやめた。

BISでは今週末から小島文美さんの展覧会がある。ゲームの原画も展示される。まとまって原画が展示されるのは始めてのこと、本人も、最初で最後の集結かも…と。


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2008/03/05

蒙古斑革命

高木由利子さんのスタジオには壁に何枚も何枚も写真がはってあって
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前にチベット風の(違うかもしれないが…)小さな祭壇があって、深い紅の布が強いてあった。膝まづいて手を合わせる。
小夜子さんは若い仲間たちといつもと変わらない風情で涼やかな瞳でこちらを見ていた。
展覧会も夜想の特集ももう作れないけれど…それは現在時の小夜子を特集したかったから
こうしてここに来て、遺志を何かで形にしていきますよと小夜子さんにそっと伝える。

蒙古斑革命というプロジェクトは高木由利子さんと山口小夜子さんで編んでいたもの。

そこには二人のスピリチャルな精神が反映していた。

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2008/03/04

草間彌生 わたし大好き 映画

50枚の絵画を描くことを自分に課してそれに向う
草間彌生を撮らせている草間彌生。

ドキュメンタリー映画『草間彌生 わたし大好き』
映像の中でどんどん変化している草間彌生を見ていると
昔、本を作った時に打ち合わせをした時のことを思いだす。

以前に比べて死を語ることが多くなった。前ならわたしは死なないわよという勢いだった。
桜の詩が素敵だった。それは僕もいつも桜の季節には必ず訪れる谷中墓地。

49枚目の絵が写しだされる。もう50枚目のように完成している。絵は、ローリングしながら徐々にセグメント化されて抽象化する。ちょっと草間彌生の絵にしては抽象化しすぎたかな…のきらいもある。50枚目をどう描くのだろうと興味が最高潮になる。
50枚目は白キャンバスにしますか?用意してあるのにしますか?アシスタントが聞く。
さっき、ずっと悩んでいたのはこれなのか…。
50枚目は描きかけのを選択した。構造がすでに描いてある。
興味がさらに湧く。これを仕込んだのはいつだろうか?そして絵は、50枚目にふさわしく抽象+少々の混沌のバランスのとれたものになった。素晴らしい!!
絵が、道を歩いて行く。全部の経過を見たい。どうなって50枚目までにたどりついたのか。
それは展覧会を見にいって確認しよう。

一人の切り込みが何かを残す。
何かを見せてくれる。
大切なことだ。草間彌生はまだ生きて仕事をしている。

晩年にこんな作品ができてどうですか?
と、ドキュメンタリー監督は間抜けなことを聞いていたが、さすがに草間彌生、飽きれて苦笑していた。
わたしはもう晩年なの?
失礼な、生きている、そして今がはじまりと言い続けている作家に対して。
しかし全編の間抜けな質問が、逆にそれに応じている草間彌生の生を見せてくれていた。

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2008/03/02

桃のおまんじゅう

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『アノマ』で雪片を飲んで軽食。
散歩の番組にBISがちらりと写るかもという話をする。
雛祭りが近い。桃のお饅頭。
神戸の華僑協会でバイトをさせてもらったことがある。お祭りのときに。
その時に覚えたのが、桃のおまんじゅう。小さなお饅頭がたくさん巨大なお饅頭の中に入っている。
縁起物らしい。

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2008/02/29

体調が悪いと

体調が悪いと視野が狭くなる。
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見えているものが、自分の手に近いところになってしまう。

新国立劇場で岸田戯曲の2本を見た。『屋上庭園』『動員挿話』
女性の視点を含んだ戯曲を書いていたのだと感心した。
女性側からみたフェミニズムではなく全体から見ている。
戦争に対する批判的なところもある。

男は、虚栄とプライド。世間体。
女は、愛と我慢と爆発。そして優しさ。

岸田國士はかなり戦争に協力した文士だ。戦争中はどんなものを書いていたのかな…。

帰りの地下鉄で浅川マキを聞いていた。もっとブルーになるかと思ったら
マキの声は意外にも明るさをもっている。
おんな歌でもないし、元気をもらった。


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2008/02/28

『動員挿話』 岸田國士/深津篤史

今、思う限り、岸田國士の戯曲を生かすとはこういうことなのではないだろうか。

岸田國士の昭和初期の短編戯曲『屋上庭園』(1926)と『動員挿話』(1927)が二本同時に上演された。両方合わせても2時間に足らない。
役者は10分のインターバルをおいて、異る2本の芝居をする。これは想像以上に大変な作業だ。しかし役者は見事に二つの役を演じ分けていた。
二本の短い岸田を10分おいて見れるのだから、記憶が鮮明なまま、戯曲を比べて鑑賞することができる。どの部分が岸田独特のものか、どの部分が戯曲の固有性なのか手に取るように分る。男の世間体、プライド、それに対する妻たちの必死さ優しさという構造が、岸田の特色だ。男中心の世界を描きながら、女性の視点も鮮やかに書き込んでいる。岸田にはフェミニズムの姿勢がある。フェミニズムと言うと、女性の側から書くと分かりやすくなるが、岸田はそうはせずに男の側からも社会の側からも総合的に描いている。
ドラマを描くときに、誰の側からという書き方ではなく、登場する人物は社会を構成する人として描いている。だから特に誰が主役という風にならない。敢えて言えばテーマが主役になっている。主役中心でなく、テーマ中心の演劇ということになれば、今なら桃園会の深津篤史だろう。

深津篤史は、後半の『動員挿話』を演出した。
岸田國士の言葉は、推敲を重ね、磨かれて美しい。妻と夫との会話でも文学的な言葉、ときには詩的な言葉すらでてくる。もちろん普通の会話も出てくる。それらの差がほどよく溶け込んでいる。言葉の端々からは岸田國士らしい香りがするし、見終わると演劇はこうありたいという思いや思想が伝わってくる。非常に完成度の高い戯曲である。これもまた深津篤史の戯曲の特色に重ね合わせられる。

+
岸田國士がここまでの演出法をあの時代に体現していたとは思えないが、岸田國士の戯曲の特色を生かして、現代に描くとしたら、今のところ、これはベストと想定できるものではないだろうか。

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2008/02/22

めずらしく

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めずらしく霧がかかっている。

『上海の伯爵夫人』の映画を見ていたので
上海の霧を見てみたいと思うようになった。

小さな映画館の特集をしていた『サライ』に藤村志保が
『かくも長き不在』を見た感動を語っていた。

何も変わらない太平洋の防波堤
デュラスの原作を見事に映画にした。

『上海の伯爵夫人』悪くないのだが
少しドラマティック過ぎて
もう少し何もないところが欲しい。
音楽もピッタリ入れすぎでちょっと下品だった。
ヒットするためには、感動を誘うためには必要なんだろうな。

何もないような
『かくも長き不在』やっぱり素敵だ。
もう一度、見たくなった。

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2008/02/20

ゴス展

原稿を書くことになったので横浜ゴス展へ。コンセプトがちょっと駄目だー。

簡単に言えば、そんなの関係ねーと歴史を使わないで使っているところがゴスの面白いところであり、今、日本で起きている、そして夜想が共感をもって触れている文化なのに
歴史にもう一度、線をつけたら、何か新しいコンセプトが生まれるかも…。というのが趣旨なんだって。
ううん。駄目かも。

二日ほど何も食べていないので
中華街のいつものお店によってピータン粥。う、美味しい。
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有名なお粥の店の隣のお店。もう30年もかよっている。
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油絛が最高なんだ。ぱりぱりしていて。

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2008/02/19

知恵熱のような疲労困憊

BISの運営はいろいろな人の助けをもらっているのだけれど


かなりのプレッシャーを受けていたみたいだ。
最近、生き生きとした大らかさがないね と、言われたりもした。
mustの優先することが多いからかもしれない。一昨日は、どうしたらこんなに疲労するの?とマッサージ師に言われ、いきなりのもみ返しで、歩けないほどの痛みとだるさが襲ってきた。これだけの乳酸を貯めてたのか…。
昨日から今日にかけては腹下しで薬も効かない。もう20時間近く連続していて、寝れない。
思考がネガティブになりそうで、身体のマイナスはかなり心に響くんだなぁと驚いた。
次の展覧会の準備に入る前には、体調を整えないと。またさらに見えるものが増えてきた様な気がしていて、感覚はフレッシュなんだけれど、どうも身体がついてこない。トレーニングはしているんだけどね。
明日は、元気になるといいな。


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2008/02/19

カルチュラル・ポイント

もちろん時代は絵に描いたようにあるポイントを持って変化するものではない。
しかしそこに変化の胎動が集まってきて、ポンと変わることが結構ある。

ヴァンパイアでは、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」、ハマーフィルムズ、そして「ポーの一族」だ。
ゴスでは意外にも楠本まきの「Kの葬列」じゃないかと思っている。
そんなポイントを僕は勝手にカルチュラル・ポイントと名づけて、楽しんでいる。

見つけてそれを使って解析しようというつもりはゼロだ。そこから見ると見えてくるものもあるから面白いのだ。

ハマーフィルムズのあたりからの空白期を茫然と眺めていたら、黒沢清さんの文章が教えてくれた。ポイントではなく見方を。bisの対談ではいくつは、本当に未知のものを見えるようにしてくれる言葉が、出てくることがある。話してくれる人に感謝したい。

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2008/02/18

山本タカト展 無事終了

盛況に山本タカト『ヴァンパイア』展が終了しようとしている。
時折、会場に来ていただく山本タカト夫妻とお話しをするのがとっても楽しみだった。

故郷の鎌倉に現在住まわれているということもあって、突然、ローカルな話にもなったりする。
神宮前にある『ビノエ・パスタ』というもう30年も通っているイタリアンのお店があるが、ある時から野菜が美味しくなったので、美味しいねと言ったら、鎌倉で野菜を作ってもらっている。鎌倉野菜というのは僕が地元の友達と作り出したんだよ。と。
もとは鎌倉駅の裏側だった、市場は、今は、市民座の跡地あたりに移っている。そこで買ってきてプレゼントしてもらった塩は、BISで大切に使っている。さらさらのパウダースノーのような塩。
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『アーツ&サイエンス』のブランドも教わった。
絵の話もしている。イラストの話も。イメージで思考する人と論理で思考する人の話や、チンパンジーの話も。どこかで絵を描くことにつながっているのが、山本タカト夫妻らしい。

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2008/02/17

黒沢清vs梅本洋一 

二十何年ぶりに会ったのに梅本洋一は、昔とまったく変わらない感じだった。皮膚に少々の脂肪をまとったかもしれないが、それは自分も同様のこと。夜想『アルトー』の号に書いてもらったり『亡命者のハリウッド』を編集してもらったり。同志は健在。同士と勝手に言うのも失礼かもしれないが。

黒沢清さんには夜想のヴァンパイア特集が追いつかなかった。でも良かったかもしれない。今日の話を、6ヶ月前に聞いたら、雑誌の構成を全部変えないといかなかったかも。
黒沢さんの最初の作品『白い肌に狂う牙』(1977)は、ほぼ吸血鬼もの。知らなかった!! もちろんマリオ・バーヴァの『白い肌に狂う鞭』からのもの。見たのは小学校4年生だって。ううん。とんでもないな。僕は、その頃、名画座で『バンビ』か東宝で『ゴジラ』を見てた。映画の場合、何を海馬に取り込むかというのはかなり重大な体験だ。最初に感動した映画から逃れられないのかもしれない。

ホラー映画と怪奇映画の差とか、現在日本の映画状況とか、そして黒沢さんの映画現場の不思議などいろいろ聞かせていただいた。ずっと懸案だったことに答えをいただいた。感謝。

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2008/02/16

野波浩 

野波さんの展覧会は、紀伊國屋画廊。
地下のカレー屋さんで久しぶりにカレー。もう30年前に、凝りに凝ったことがあって、厨房を覗いて同じものを作ろうと、必死になっていた時期があった。

当時は、大缶入りのマギー・ブイヨンが手に入らず苦労した。小さいのでも良かろうに、大きいのでないと同じ味がでないと思い込んでいた。しゃぶしゃぶのルーは、大好きな「デリー」のカレーの感じに良く似ている。ビーフよりもポークがなぜかピッタリくる味は、どうにか真似ることができたと記憶しているが、味はどうだったのか。自己満足だったかもしれない。
『デリー』のカレーは、当時、テイクアウトを良くお土産にしていた。マンディアルグを訳していただいた、早稲田大学仏文学の品田一良さんにお持ちしたら、えらく評価されて、ではと早稲田大学の教職員専門の食堂で、品田さんのお気に入りをご馳走していただいた記憶がある。
マンディアルグ夫人の、『ボナバンチュール』の訳をお願いして、ペヨトル工房解散で果たせなかったのが、とても心残りだ。昨年の2月に亡くなられて、またまた約束をかなえられないまま、向こうの世界での仕事を残してしまった。本名は品田三和一良=しなだ・みわいちら。おそらくクリスチャン・ネームの当て字だと思われる。
マンディアルグは『海の百合』が好きです。と、話して大いに気に入られた。夜想創刊の頃、ただただ懐かしい。スムーズな訳でとてもダンディで素敵な文学者だった。突堤へ延びる湾の姿が綺麗なんだよね、と、千葉の秘密の避暑地をマンディアルグに登場する風景に準えていらした。幻想も耽美も、少し色合いを変えている平成時だが、野波浩さんの写真を見ていると、いやいや平成もまだ棄てたものではないでしょうと、品田さんに報告してみたくなる。なんとおっしゃるか。

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2008/02/15

『ゴス』のうねりがまたもう一度、別の形で動いているような気がする。
横浜美術館の展覧会、そしてTHが二度目の特集を組んでいる。

たとえばフェティッシュという言葉が意味する範囲が変わってきていて

傷をつける、しかもかなりざくざくと傷をつける
というところまでフェティッシュと言うようになってきている。

フェティッシュのたとえば傷をつけるという行為は
如何に、何故というところがポイントなのではと、
人に聞かれると答えたりしていた。

答えてはいるが
見えてこないこともたくさんあって
見える、分る、というぐっとした確信が足りない。
ときどきそのことにいらいらしたりする。
たまたま手にカッターナイフをもって作業をしていた。
こんな力の描け方をしてたら危ないな、と思いながら
ざっくりと手を切ってしまった。
切り傷でこんなに深いのは生まれてはじめてかもしれない。

小一時間血は止まらず、それからしばらくしてようやく消毒をしたら
傷口の周辺は腫れていて、傷口は美しくなかった。

綺麗な傷口なら…とフェティッシュのことを言っていたがそんな簡単な仕訳が利かないのが今だ。
軽々しく言っていた罰があたったのかもしれない。

~すべきとは絶対に思わない。
現状は分析よりもリアルに切実に動いている。
しかしだからといって現状のすべてを肯定したくはない。
美しいものを見たいという欲望があるのだから。
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このプラスティックをカットしようとして失敗した。傷は見せる美しさをもっていなかった。

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2008/02/14

PIERRE HERME (ピエール・エルメ)

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イベントの準備もしつつ次の展覧会の準備もしつつ夜想のことも考えている。
スタッフはかなりいっぱいっぱいだけれども、みな自分のこととしていろいろやってくれている。感謝。
それでも気を遠くに飛ばして広く空気を身体に入れないと、狭い感じの作りになってしまう。スタッフのみなには悪いが外にでる。

次号、夜想の相談を夜から朝にかけてする。
「ヴェルサイユ」展覧会スペシャルのマカロンを出されて、ふーんという感じで摘んだら、これが美味しかった。
マカロンってこんな美味しい食べ物だったの?

PIERRE HERME (ピエール・エルメ)のを食べたのだけど、今は、他のお店のもこのくらい美味しいのかな?

話はだいぶまとまって撮影のことまで進んだ。
それにつけても、と、また山口小夜子さんの話になった。これからドラスティックに仕事ぶりが変わる予感がしていたのに…というのが皆の共通の意見だ。


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2008/02/12

今日はアンジェラス

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最近、来ていないじゃないの? 
言われて今日のカフェをアンジェラスにしようと決める。飲むのはスペシャル・コーヒー。豆はブルマンだ。

アンジェラスで『カルチュラル・スタディーズ』吉見俊哉編・講談社を読む。

『どこから来たんじゃねぇんだよ』という言葉からは「私はどこから来たのか?」という長い問いの時間の存在を考えざるを得ない。そして「どこにいるかなんだ」という言葉からは、現在の引き裂かれた、不安定な自分を受け入れようという積極的な肯定を感じる。

という一文がある。
無意識に劣化コピーを重ねて、変形をしていくイメージ。原型はさ…と口を挟むと、そんなの関係ないと答える人がいる。そこに今の気分が反映されている。そしてゴシックがゴスに、人形がドールになっていく、そしてなったところは、時代のアイデンティファイとなるところ。今、ここにいるんだという地点。

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