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2008/03/25

『月下の夜想曲』

レイヤーというからコンピュータのレイヤーをちらりと思ったが

そんなこともないだろうし、なんだろうなと思っていたら
コスプレイヤーのことだった。


『悪魔城ドラキュラ』のゲームのレイヤーさんたちもオープニングに来てくれていた。
もちろん普通の服で…。

キャラに生きている、そんな印象を受けた。
ゴスとロリではないけれど、薄い確執膜を隔てて、
それを知らない人から見たら一緒のことにしか見えない文化も
そこには大きな分化峯があってほとんど交流していない。むしろあい違いをしていたりする。

ああ、これだけ違うのか、皮膚感覚が…と思う。
昔、クリエーターたちが、何となく、神宮前や六本木を徘徊して、俳諧しながらグルーピングして
何かを作っていた時代を懐かしむ話を聞いたが、
今は生態が異るように思う。

そうこうしているうちに
29日にレイヤーのイベントが成立してしまった。みんなで来てくれるようだ。ちょっと楽しみだ。

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2008/03/25

ゴス展

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ゴス展についての原稿は

http://www.art-it.jp/special_04.php
に載っています。

劣化コピーというのが主旨ではなくて、分っているべき人が、うろつく感じが、世界を劣化コピーに向わせるということを言いたいのです。劣化コピーは自ずと起きるもので、それを開き直ったり、より消費する形ですることが、ちょっとねぇーということです。

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2008/03/25

スライサー Tojiro-Pro

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最近、ものの流れがはやくなって、さらにこちらに向ってくる

+
追いつかない感じもするが、ままよ、ちょっと身体を合わせて見よう。
身体がもたなければ掠めてまた消えていくだろう。

++
自分のテイストは大事にしていきたいが異文化に対して、好奇心が強いのは、もともとだ。
変化させられるのは楽しい。生ハムは薄く切らないと…切るというよりスライスしないと美味しくない。

+++
スライサーを買うことにした。行く理由ができだぞと、合羽橋の行きつき店に自転車を飛ばす。ビスの備品はほとんど、ここで買っている。ルクルーゼのステンレスの鍋とかね。

++++
薦められたのは、
Tojiro-Pro Service en Salle サーモンスライサー 350mm。使っているのが藤次郎の包丁なので、迷うことなく決める。
でも350mmは長いな、扱えるだろうか…。
スライサーの手の動かし方を独自に考えて動かしている。今まで動かさなかった手の方向を使うのはちょっと刺激的だ。スライサーはパン用もハム用も信じられないほど切れる。ちょっと手に触れただけで血が、てん、てん、てん。
独学でやるのがいけないんだけどね。何でも自分でやってみないと気が済まない。



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2008/03/25

銀蜻蜓

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銀蜻蜓は、素早いからよ、雌を使って、雄を釣るのさ。

バッハでコーヒーを飲んでいたら、戻るのが遅れてしまった。

久しぶりに色川に行ったら、着いたとたん、灯が消えた。あ、と顔を覗かせたら、駄目駄目と奥さんと、お嬢さん。
奥からおやじさんが出てきて、しょうがないな、いいよ。と。「いつものは駄目よ」と奥さんは釘を刺すけど、おやじさんは黙って、カブトと、肝と、焼き鳥を出してくれる。もちろんその後は、筏。

今、フコク生命の在るところはよ、銀蜻蜓が500匹も飛んでいてよ、原っぱだったんだ。
バラボリカのあるビルだ。銀蜻蜓は視界が20メートルかなだから、近くに行くと、逃げちゃうんだ。銀蜻蜓は高いところを飛ぶのね。一度、つかまえそこなうと警戒して寄ってこないのさ。そんときに雌を使って釣りをするのさ。絡んできたところをとるんだよ。

+++
今日は銀蜻蜓の話。経済の事もあるし、もちろん大好きな裸祭りとか、三社のかつぎの話もある。ちょうどひと話、終わる頃には、食べ終わる。

++++
どれだけ店の良い客になれるかと、頑張る人もいるけれど、もうそんな執着はない。だらしなく話を交わして、美味しいものが食べられれば、それだけでOK。見えるところで片意地張ることはない。

バッハでもいつも通っている人のように扱ってくれたけど、メニューをすっかり忘れてしまっていて、あ、すみません、メニューを。
コーヒーは相変わらず、すっきり美味しい。片意地なんてもう僕の中には全然、ないんだろうな…。


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2008/03/24

上野の桜が

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上野の桜が咲きはじめた。

谷中墓地の真ん中には、僕にとって濃いスポットがある。

渋谷慶一郎が面白い事を言っていた。音の快感は、相対的なもので、アディクトを起させるようにすれば快感が発生すると。
音や、フィギァが相手ならアディクトも楽しく処理できるが、それが人となるとそうはいかなくなる。人は不思議な動物だ。

アディクトが外れると代わりに広い空間が訪れる。それはそれで漠としてとまどってしまうこともあるけれど、クリアな世界でもある。

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2008/03/23

桜の花が

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明け方、上野公園の側を通ったら

大寒桜以外の桜もかなり咲いていた。今日はお花見日和になるのだろうか。
3月の下旬に大雪が降ることがあった。その時々、誰かが身罷った。一番印象的なのは、昭和の絵師、竹中英太郎の死だ。ちょうど大雪の日に街で倒れた。

今日、石井みどりさんの訃報を受け取った。僕が20代から30代半ばをすごしたダンスの世界、折田克子、泉勝志…その先生であり、折田克子の母であり、石井漠の相手役に抜擢されたダンサーであり、昭和、平成と踊り続けてきた、モダンダンスの重鎮だ。

はじめてした踊りの仕事は、書いた事もない台本と、結果、演出をすることになった。泉勝志主演、折田克子振付。僕は天井桟敷から若松武たちをゲストで招聘して演劇とダンスの両方を成立させる舞台を作った。ダンスの側から強い反発があって仕事がし難くなっていったある日、石井みどりさんが、つかつかと寄ってきて、あなたはバロックの作品を作っているのね。分りました。娘をよろしくと言われたのが、最初の舞台を放らずに最後までつとめた心の支えだった。

そのまま僕はダンスの世界に居つき、ある時、石井みどりさんの演出もすることになった。石井みどりさんは、まさにバロック的な大きな構成とダイナミックな振付をする方で、しかしながら踊りは強さに柔らかさや静けさを湛えているダンサーだ。

リハーサルの時、藤舎さんの皷の音が強くなるとそれを身体に吸収するように抱え込み、静かになると力強く動くというように、音が強ければ強く踊るというような合わせ方ではない、本当のコラボレーションを見せてもらった。そんなものを見せていただいた上で、演出などとてもできるわけでもなく、ただ一番近く出見れるというだけで引き受けたのだが、初日の稽古が終わると、厳しく言ってもらわないといけませんと、指をついて言われて慌ててしまった。
気になっている事を一つ伝えると、分りました次の稽古までに直してまいりますと、凛としておっしゃい、そしてそれは実行された。もう数十年前のその時、すでにお目が悪かったのに、舞台を一度、人についてもらって、歩くと、もう把握されてしまい、すらっと舞台の端まで使って踊られた。

歩く事、重心をぶらさないように踊る事、そして重心を行き切らさせないで、させたように動かす事…。素人の私にも数々、踊りの重要なことを見せてくださったが、これが踊る人だったら、どれほどたくさんのことを体感する事ができただろうと、側にいたダンサー達を心から羨ましく思った。

僕が石井みどり・折田克子舞踊研究所に出入りしていた頃に比べると、ダンサー達の資質とテクニックは格段の進歩を見せた。
問題は、作品をつくる必然的な動機だろう。何故、自分は踊りを踊るのか、何を踊りたいのか。それが見えないのはもったいないとしか言い様がない。

それでも石井みどりさんの踊る魂は、しっかりと受け継がれていくような気がする。安心されてください。


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2008/03/23

filmachine in Berlin report ~進化する第三項音楽/filmachine~

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池田亮司さんのコンサートで会った渋谷慶一郎さんの 「filmachine~」のベルリンでのインスタレーションの報告会にアップリンクへ。

会場で三上晴子さんに声を掛けられてびっくり。感じが変わったわねと…。うーん。どこがかな。

+
人間の頭の方に、描きたいものがあって、それを比喩を使って出してくるのがアートだとしたら、音楽の先進は、その人間の頭という部分なしにできないか。例えば、複雑系、カオス系を使って、作曲のシステムを作って、音を空間に発生させる。

++
表現するときに、比喩がなくなる、あるいは最小限になる。

+++
しかし人間のシステムは、そこに人間性、自然性の体系を見いだそうとする。飽きるということもある。アディクションになって快感が発生したりもする。

++++
音を興行的に売りたいという、あるいは売れると嬉しいという欲望のために、綺麗なメロディが発生するようにしたりもする。あっという間に人間性というところに収斂される。だからアートなどと言われたりもする。

この連鎖を断ちきれないかと渋谷慶一郎は考えている。できるかどうかは別にして、今のところそう決意している。


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2008/03/22

パリの上空を

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パリの地下には採掘場がある

石を掘り続けて危なくなったので止めた
パリの森の下にも砕石場の跡がある。

畠山直哉はその写真を撮影した。
ナダールのように。

それならナダールのようにパリの空中写真は?
背中にしょって飛ぶヘリコプターがある。それを借りようか?

複葉機で飛ぶ?

かつて蔡国強のプロジェクトで不思議な人がサポートチームにいた。
その人は複葉機チームに属していた。いわき市の。

聞いてみようか? パリの上空を飛べたらすてきだものね。
彼は、北極海も飛んだ人だし、何かサジェスチョンをくれるかもしれない。

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この写真の向こうには蕾の固い櫻木がいる。


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2008/03/20

桜を待つ夜

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谷中の桜の下で詩を読む草間彌生

そんな話を畠山直哉さんの家で延々していた。
庭には大きな桜の樹がある。まだ咲いていない。

記憶の中で話がドラマ性を強化することがある。意外にもそれを払うのがネットだったりする。事実が書かれているからだ。しかし事実と記憶は相反するものでない。事実もまた一つの見方だからだ。

プランBの田中泯のディレクションで復活を果たした土方巽は
その日の夜に僕の手を握って「迷惑をかけたね」と言ってその手に頭をつけた。

この記憶は語ると事実に聞えない。そんなことあるはずもないくらいだからだ。

夜に中野のマンションで土方巽はごきげんだった。木幡一枝さんも田中泯も。庭に桜の花が満開だった。
「おい」と土方巽が声をかけると芦川羊子は桜の樹の根で
アスベスト館の上演の最後にやるポーズと表情で坐った。それを見て土方巽は杯を干した。

満開の桜の元で
いくつも記憶が醸成された。

それは歳を経るたびにより鮮明さをます。記憶の中の事実は人間の作り出すドラマ化作用よりも
遥かなる彼方性をもっていることがある。


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2008/03/18

『ロスト・イン・トランスレーション』 ソフィア・コッポラ

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東京、新宿、パーク・ハイアット・ホテルをベースにプラトニックな愛を描いた、ソフィアコッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』

海外の作家が日本を描くと、必要なイメージをコラージュすることがある。ソフィアの映像にズレはない。新宿からハイアットに移動する風景は、そのまま現実の流れのままだ。出てくる登場人物も、例えばヒロ・ミックスがそのままに出てくる。
女の子の見た、ガーリーな感覚で見た、東京のドキュメントなのだ。私の見た東京。

『マリー・アントワネット』もソフィアの見た、感じた、フランスを、アントワネットの時代に置き換えた、一種のドキュメントなのだ。創作されている部分と、リアルな感覚で繋がっている部分のあり方が、男的ではないのだ。


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2008/03/17

池田亮司

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ガーデンプレイスで池田亮二を体験する。

脳の裏に焼きつくかと思うほどの、フラッシュな閃光。そしてバフッと身体が揺らぐような爆音。でもこれはおそらく極限まで行ってはいないだろう。ブレイクの入れ方でそうなるのだろう。いつくるか分らない感じと、やはり快感のうねりを作り出す何かの規則。
人は、ランダムに規則を見つけたくなる。夜空の星に正星座を見るように。
聴くのと見るのとを越えた圧倒的なパワーとそれでいて徹底したミニマル。まさに池田亮二。久しぶりに強い音に身を晒して快感がある。打ち上げでうねりを作り出しているのは、LRの音わりだけど、それを縦にすると…などど複雑系の話が飛び交っていた。

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2008/03/16

寺山修司の吸血鬼

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青ざめしわがくすり指青森の小学校の吸血鬼いずこ
包帯を巻かれて消えしわが指が恋し小学校の吸血鬼かな

寺山修司の未発表短歌集「月蝕書簡」には吸血鬼の言葉が入っている歌が2首ある。
寺山さんが生きていて、夜想の「ヴァンパイア」に歌を頼んだらこのような歌が紙面に載ったのだろうか。

吸血鬼と言えばばむしろ『月蝕書簡』からなら

満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり

をとりたい気もする。

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京都、三月書房で、どうして買われずに残っていたのか、「寺山修司全歌集」風土社を、意気揚々とムッシューの前にさし出して、サインを強請ると、友達なんだからいつでもサインはできるんだからと…死んでしまうみたいだから…とまたにされたので、サインのあるべきページに寺山修司は不在だ。だからいつまでも継続しているのかもしれない。寺山さんは終わらせないためにサインをくれなかったのだ。他のものには、一杯、サインはしてもらったし、ニューズ・レターにもサインは入っていた。

さて「月蝕書簡」。寺山修司がどう作歌していたのかが、手に取るように分る、歌集で、覗き見するようでどきどきする。寺山修司は、こちらのプライベートを想像しながら覗いてくるのをこよなく好んでいたが、自分は決して「私」を見せなかった。今、ちらりと寺山修司の手が伺える。僕の肉体に寺山修司が甦ってくるようだ。

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2008/03/15

意志をすてて

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マスキング・テープが向こうからこちらにむかってくる。

会社のエントランスが塗り替えで養生をしているのをふと見ると、見たことのない、でも理想の色のブルーマスキングテープ。これこれ、この色。現場の人に恐る恐る聞いて見ると、3Mの新製品で、テープの糊が今までと違うので使い勝手が良いとのこと。ふーん。と、じっと見ていると、使いさしをくれた。あ、ありがとう。
またマスキングテープに嵌る日々がはじまるのか? まずいな。
意志をもって作り上げないといけないものが大半だけど、時おり、向こうから自分を開いてくれるものが訪れることもある。僕の場合、大半がそうか? 意志をすててじゃなくて、意志のない人生。

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2008/03/15

『マリー・アントワネット』 マカロンは続く

マカロンがどんどん来る。

スタッフが持ってきてくれたり、あるいはピエール・エルメのマカロン・ケーキを食べさせてくれたり。

+
ソフィア・コッポラは、マカロンの色にインスパイアーされて『マリー・アントワネット』を撮影した。マカロンのいろいろな色が、映像から感じられるように…したいと、マリー・アントワネットの時代にはない色を使っている。
++
それは蜷川実花が印画紙の発色にまでこだわって、色を作り出しているのにちょっと似た感覚かもしれない。色の配合、絶対的な色の感覚が、まずありきなのだ。ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』は、食べているお菓子とか、ファッションは史実とはまったく異る。スニーカー履いていたりするから。でも現代にマリー・アントワネットがいたら…当然、スニーカー履くよね、あるいはマリー・アントワネットの時代にスニーカーがあったら履くよねというとってつもないガーリーさによって撮影されている。いいなぁ。
+++
色彩とか音の感覚で台本を進めて行く、ロジックではない。


もっともソフィアが好きなのは、僕が最近食べたピエール・エルメではなくLADURREのマカロンだ。ヴァレンタインには、三越で買えたらしい。ちょっと食べてみたかったな。

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ピエール・エルメ

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2008/03/15

マスキング・テープ

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マスキング・テープをはってしおりを作っていたら
寺山修司『月蝕書簡』がとどいた。未発表歌集。
『アンジェラス』に移動して今日は歌に向き合う一日になるのか。
驟雨が公開堂前の道を通りすぎていく。自転車はびしょ濡れだ、
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2008/03/15

小島文美

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ビスに入ると花の匂いに包まれる。もとベルト・コンベアが敷いてあった階段は、小島さんに贈られた花が満載されている。

不思議なチャームのある絵、魅力のある人。ここには何かの起点がある。

+++
悪魔城ドラキュラ「月下の夜想曲」の絵の通りにGacktがコスプレをした。そして「月下の夜想曲」という曲が生まれた。いくつかの懐胎ポイントがあり、分水嶺もあったろうが、そのひとつは間違いなく、この絵にある。展覧会が終わればまたコナミに帰っていくし、権利関係があるので、写真は載せられないが、今、ビスに居る、この絵、そしてゲームのキャラクターを描いた、あるいは本の表紙を飾った絵が、何かのはじまりになったのだ。毎日、見ていて、そしてたくさんの人が見ている様子からそれが分ってきた。

++
もう一つの魅力は、夜想でも語ったことだが、男性度の強い、キャラクターなのに小島さんの絵が使われたことだ。使われて位相が擦れはじめた。おそらく女性が悪魔城ドラキュラのシリーズをプレイすることになっただろう。この変移を起す力があったということだ。

+
しかし変移は男性性から女性性への転換というようなダイレクトなものではない。どこかに乱暴な男たちが生き残る、あるいはやんちゃができる隙間が残っている。ゴスという黒いものとロリという白いものを融合することと、この不可思議な合一性は似ているところがある。

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2008/03/14

テープ・フェチ

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テープフェチでもあるけど
さらにマスキング・テープ・フェチ。まとまった数を持っていないとパニックになる。今はピンクと青と。

でもその青とピンクは感覚にぴったりしていない。前のロットの色が好き。

テープを紙にぺたぺたはってみたりする。読みかけの本にしおりがわりに使うために。

今、ビスは人手が少ないので、勘バッチを作りもしている。すとっと手応えがあるのはうまくいった証拠。その感覚とマスキングテープをペタペタするのは僕に同じ感覚だ。
料理をするのと一緒で、手の感覚は大切。何かがここから生まれてくる。
はず。

マスキングテープフェチにはもっと深い人がいて、http://www15.ocn.ne.jp/~robaroba/を運営している。
マスキングテープの展覧会をしたときに全種類を買い占めた。そしてそこになかったテープをプレゼントした。

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2008/03/13

ロイヤル

今日は、浅草のロイヤルコーヒーで
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ロワイヤル・コーヒー。いろいろなことをぼーっと考える。

リアル東京に原稿を書いた。横浜美術館の『ゴス/ゴシック』というコンセプトで組まれた『GOTH』展。
その中に書いた言葉、劣化コピーがタイトルになっているが劣化コピーが悪いと主旨ではない。

例えばゴシックだってコピーででき上がった、ゴスがゴシックのコピーで何で悪いという論旨があったとして、
何かに影響を受け、いわゆるコピーをするということはある種、必然である。問題なのは、文脈もなく、質もかなり悪く、しかもコピーしていることすら意識していない劣化コピーと、歴史の中で行われるコピーとを同一のこととして論じる、ラフな論考が問題だと…そこを指摘している。劣化コピーはし方がないし、アジアで特色的な行動だ。
それをいわゆる評論したり、解説したり、二次的に使用している人たちの質の方が問題だ。劣化コピーの良くない部分を開き直るようにして増長する。あっちもやっているから、こっちも別にやっても良いじゃないか…という受け入れやすいチープな説得で、人を納得させようとすることだ。


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2008/03/11

柳橋界隈

今日は柳橋のエクセルシオール。僕は、ぼっとしてコーヒーを飲んでいた。
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柳橋は面白い。今日、会社に来てくれた、書店の海外担当の人は、フィギアを柳橋で仕入れてから打ち合わせに来た。

海外担当から、向こうの状況を、いろいろ聞いたが、かなり文化の温度差がなくなってきていて、世界はだんだん均質の流行を抱えるようになっている。僕らみたいに少数の人たちを相手に本を作ったり、ギャラリーをやったりしていると、流行のことは余り関係ないが、それでも自分のしていることがストレートに反応してもらえるようになったらかなり楽しいかもしれない。

花街としての柳橋は滅びてしまって、少し前まで全国第7位の過疎地だったが、最近、マンションが乱立しはじめている。
ペヨトル工房の頃、行くところ、行くところ、地上げにあったのを少し思い出した。ここも何らかの形で発展するといいなぁと思う。


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2008/03/11

ビス

星川さんのクルーがビスを取材に来てくれた。インタビューされるが、ここは、夜想に関連したクリエーターたちの実験場所で、実験場所には、観客もいるし、メディアもいる。

そんなものを一気にここで作り上げているのだと答えていた。余り意識はしていなかったが、そういうことなのかと自分で納得した。言うことは、カッコよいが、まだまだ途上のことで、それは夢として答えたのだと思う。

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