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2011/10/06

夜想bis#ドールという身体<普及版>

夜想・bis
本誌も早く編集しなくてはならないのだが、どうしても今を編集したくなって、夜想・bisを創刊した。夜想は夜想なのだが、時代の変化が激しく、自分の数年前にした仕事をヴァージョン・アップしなければならないことに気がついた。
身体としてのドール。その中で、ベルメールの影響を本格的に受けている人形作家はいないんじゃないの?という発言があるが、それがどんなに大きな意味をもつか…。
復刊した頃の、球体関節人形展がMOTで開催されていた頃には、とても頷けない発言だ。今は、それを受け入れることができる。だから今やることは…ということも分る。この5年の間に、何十年も、それ以上もかけてゆっくりと変化したものが、一気に変わっていくことを体験した。雑誌を刊行したり、展覧会したりしたことも少し関与しているかもしれない。その中にて変化がある。記述するのは難しい。それでも現実に正直にありたいと思う。その現れだと思っていただきたい。


夜想bis

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2011/10/01

畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

 この風景——風景と呼ぶべきものかは分らないが——を前に畠山直哉がどう立っていたのか。
まずそのことを思う。

 写真を見て、畠山直哉の立ち位置を思うのは、今に始ったことではない。なぜか彼の写真に関しては、いつも被写体に向う畠山直哉の身体と頭脳と視線を思う。

 ブラスト・シリーズの時も、どこでどのように居たのか、もし可能なら正面に立ちたいのか。そんなことが気にかかった。それは中途半端な写真マニアが、印画紙は何ですかと聞くのとは違う。製作過程の秘密を知りたい訳ではない。この風景をどこから見たいのかは、畠山直哉のいつも気にする「写真の姿勢」であり、それが畠山の写真なのだ。

 陸前高田に立って畠山直哉がどう思ったのか、写真の立ち位置を畠山直哉がどう処理したのか。思いを馳せるだけでも気が重くなる。そしてその気が重くなることも一緒に引き受ける必要があるのが、3.11以降の、少しでも芸術に係わっている人間の営為だ。そう覚悟を決めていても、一挙に歳をとってしまいましたと言う彼の…言葉を聞くと胸は潰れる。

 3.11の前と後でアーティストの役割は変わりました。それまでは、先がけて見えない疑問を形にするのがアーティストの一つの役割だったのが、疑問が見える形で全員の前に姿を顕した以上、アーティストは今までの役割でないことを、もっともっと、あるいは新しく考えてする必要があると…レセプションでコメントした畠山直哉は、陸前高田の写真について、これからの自分について覚悟を決めたのだと思う。覚悟でなくて決意かもしれない。

 答えはもちろん、疑問をどうだすかということすら、おそらくまだ決まっていないだろう今の段階で、写真の前に立ち、写真についての言葉を受け答えすると言った彼の態度には本当に、日本人のこの人がいて良かったとすら思った。畠山直哉が語ると決意したのは、アーティストの責任感というものだと思う。彼にとってのアーティストの責任とは、陸前高田に駆けつけたときに、写真家であることをゼロにしなかった、写真家としても立ったということによるのだと思う。畠山直哉はそういうことに関して誰よりもストイックで、誰よりもロジカルで、そして誰よりも科学的である。写真のもつ科学性、光学性をクールに残している。畠山直哉はそういう写真家なのだ。

 畠山直哉の写真を見るとき、僕は、写真を見て、気持ちを少し離して、いろいろ考えて、また写真を見るという習慣をもっている。陸前高田の写真を見ると、じっと見て、思って、果てしもなく渾沌とした思いを巡らせ、混乱し、そして見る私が、再び写真に帰ってこれないのではないかとすら思う。

 3.11の後、まず思ったことは、この理解不能な出来事に対して、専門家であろうとなかろうと、そこに立ち向かうべきだ。これまでなら、原子力発電について語るのは、専門家であって、自分がアプローチするとしたら、それは自分の今の仕事によって、たとえば写真家だったら写真を通じて語るという姿勢が良いのだと思っていた。しかし専門家に任せるというということで、逃げ、見ないようにして回避したことで起きたこともある。素人でも精いっぱい見て、知って、考えて対応すべきだし、少々間違っていても、立ち向かうことを否定してはいけない。ということだ。だからプロフェッショナルということがある種機能しないのだと思った。もっと正確に言うと、プロフェッショナルな仕事が機能しないぐだぐだした国だったということだ。

 畠山直哉は、震災直後から写真を撮り、その写真を通じて考え続けてきた。震災後のアートからの大型の提示はこれが最初になるのではないだろうか。アーチストの役割は…と畠山は言ったが、彼は先がけて、ロジックを駆使して一つの態度を表明した。もうすでに震災後のアーチストの役割の可能性を示している。大切なことは、彼の行為を孤高のものにしてはならないことだ。畠山直哉の態度、立ち位置を見つめて、それぞれの行為をするということだ。

話す写真 見えないものに向かって

 


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2011/09/30

畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ Ⅱ

オープニング・レセプションの華やかな雰囲気を鎮めるかのように畠山直哉は写真についてとつとつと語り始めた。震災の写真は最後だろうな…。

シェル・トンベというのは、空が堕ちてくるという意味で…。パリの都市の下にある空洞を撮った写真のことを説明していた。誰かが、どすん、後ろから体当たりしてきた。大ちゃん、久しぶり。何十年ぶり。大ちゃん(原田大三郎)と並んで畠山の語りを聞いていたが、「変わんないね…」とぼそり。歌舞伎の台詞で30年は一昔というのがあるが、1984年頃、僕たちは一緒にいろいろやっていた。ボイス・イン・Japanでは畠山直哉と一緒にビデオクルーにいたし、原田大三郎のRTVをプロデュースでジャンボトロンのTV・WARや高城のデビューしたビデオビエンナーレでパフォーマンスしたりしていた。

畠山直哉の写真は、多く写真集になっている。今、説明しているシエル・トンベだけ写真集がでていない。それは、yasoのヴィクトリアンにインタビューと写真がでているので見て欲しい。


時は、あっという間に過ぎて、それでも変わらないものの方が多く、84年は昨日のことのように思える。しかし3.11以降凍結してしまった時間もあり、もちろん変化もあり、それでも日本はその時を境に大きく分断された時間をもつようになったのだ。畠山直哉はそれを撮ろうとしているのだと…思う。そこに挑戦しようとしている。ヒロイックな気持ではなく、そうするのが写真をやってきた人間の義務だと思っているかのように。

Underground
Lazur―透きとおる石

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2011/09/30

ドグラマグラ 夢野久作  飴屋法水 吉田アミ 大谷能生

朗読デュオのための『ドグラ・マグラ』/夢野久作 読み

なんど読んでも面白い『ドグラ・マグラ』だけれど、大谷能生と吉田アミの朗読デュオで使うので、少し違う視点から読んでみました。

二人のデュオに、前回は、笙野頼子の『人の道御三神といろはにブロガーズ』をレジメした。3回、バージョン違いを上演したが、掛け合いのスピードや、即興の度合いによって聞こえてくるもの、見えてくるものが異っていて、それは、読むたびに印象が変わる読書のようだった。大谷能生が本読みだということもあって、女性要素のある神を、日本史の中に書きもどすというような笙野頼子の荒技を音に乗せるというパフォーマンスを果敢に挑み、成功していたと思います。声が文学の行間を前に出して来るということもあり得るなと感じます。

『ドグラ・マグラ』のテーマの一つは「私」は如何に存在しているかということです。
私は誰というテーマを、小説の中で、追求していますが、主体の呉一郎が、読者にもそして小説中の「私」にもその人物であるかどうか分らないような形式をしています。まぁそのこと自体とんでもない小説だと言えます。

『ドグラマグラ』挿入されている小説や記述も面白く、特に『胎児の夢』は、様々な人に影響を与えています。一番の記憶は、『胎児の世界』を書いた三木成夫さんで、芸大に会いに行ったときに、屍体の特集号について頼みに行ったのですが、夢野久作の『ドグラマグラ』に出てくる六道絵あるいは九相図のようなものについて書いて下さいと頼んだのですが、いきなり『胎児の夢』と踊る狂少女の話で盛り上がり、三木さんは常に持っているのだと、スーツのポケットから、『ドグラマグラ』の『胎児の夢』の抜き書きを採り出しました。夜想の原稿が気に入らないと、それまでは一切著作物を出さなかった三木成夫さんが『胎児の世界』を著しました。
胎児のうちに進化の過程をすべて体験し、その記憶が残っているというのが、『胎児の夢』の一つの主眼ですが、それは今では、普通のこととして考えられます。もう一つ興味があるのは、考えているのは頭脳ではないという脳髄論(『絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず』)で、これも最近、腸が考えるというような研究が進み、脳の支配を受けずに思考が動くということが実証されています。

夢野久作の作品には、踊る少女が出てくることが良くあります。この不思議な少女と、科学的思考の果てにあるとんでもない、幻想譚。まだまだ三代奇書として君臨する。現代では奇書というよりも小説としてもっともっと受け止められて欲しい。

呉一郎が穴を掘るシーンとか、朗読デュオに使えるシーンはいくらでもでてきます。


持ってゆく歌、置いてゆく歌―不良たちの文学と音楽

http://www.yaso-peyotl.com/archives/2011/09/post_837.html

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2011/09/30

芸術監督というものは

奇ッ怪 其の弐   作・演出 前沢知大   2011/8/27  世田谷パブリックシアター  芸術監督の手腕発見!!

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新劇を新劇と感じるもの、歌舞伎を歌舞伎と感じるもの、能を能と感じさせるもの…

演劇にはそうしたジャンルの個性を感じさせるものがある。それは能や歌舞伎の構造とも関係しているが、それだけでは定義できないような感覚だ。長いこと見ているとそういうものがあることに気がつく。

前川知大、作・演出の現代能楽集Ⅵ「奇ッ怪」は、はじまってすぐに、「これは能だ!」と思わせる何かが伝わってきた。舞台はシンプルで、それでいてコンテンポラリーな感じで、ホリゾントをだまし絵のようにして、奥行きがどこまでも深くあるように見せている。現代的な台詞、内容、舞台なのにそこには能がある。
正直言うと、三島由紀夫の近代能楽集に私はずっと新劇の匂いを感じてきた。三島由紀夫の戯曲『癩王のテラス』をこよなく愛してはいるが、そこにはやはり新劇の雰囲気がある。実は、三島の歌舞伎にも歌舞伎よりも新劇を感じてきた。
能は歌舞伎すら引用をするもっとも古い演劇の一つであるが、ずっと能は引用される側だった。ピーターブルックも三島由紀夫も能を引用して自分の表現形式に入れ込んでいる。能の側で新作を作るとUFOが出てくるような、新奇さだけを全面にしたものが多かった。
能の現代劇、現代的に能を創作する…そんな感じだろうか。「奇ッ怪」には能そのものが存在している。形式も感覚も。舞台や衣装や言葉のディテールに古典の能は何もないにも係わらず。芸術監督の野村萬斎が、前川知大に囁くようにディレクションして作り上げた、実験が成功したのだ。
この成功には、野村萬斎の芸術監督としての手腕もあると思う。海外の優れた演劇や演出法を取り入れる、あるいは歌舞伎や能という日本の古典を現代劇に取り入れるという手法に終始していた、ここ何十年かの芸術監督の手法、もっと言えば明治以来続いていた演劇の取り入れ方式に、一石を投じている。

能を能と感じさせるものは、これだよということを上手に前川知大に示唆をしたのが野村萬斎の芸術監督のやり方で、それが本当の意味での芸術監督の役割というものだ。芸術監督はそもそもは、演出家だけがなるものではなく、全体を見れるディレクターがもっともっと腕をふるう場所なのだが、特に日本では、自分流の演出法の延長を、芸術監督の手法やディレクションとしがちである。野村萬斎は演出家で演者であるが、また優れた芸術監督でもあることをこの舞台一つを見てもよく分る。
前川知大も野村萬斎のディレクションを受けて、能を現代的な分析力で構造を見通し、自分が今生きている肉体的感覚にいったん落とし込んでから、脚本を自立させ、そしてまた独自に演出をしている。

野村萬斎の声についての話が面白い。
型とかはもう少し異るダンサーとかと話しをしたらもっと面白かったかも。
藤間勘祖さんとの対話はどうだろう。勘祖さんすごく意識化していると思うが…。


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2011/09/21

イワタニのカセットコンロ

どうしてこんなに価格差が?


蜜蜂さんの展覧会でも、鑞の十字架を作るのに活躍したカセットコンロ。
お茶会で綺麗なのを購入しようとしたら、このようなデザインの良いものを見つけたが
他のカセットコンロとの価格差がすごい。

10倍?
何が違うんだろう。
でも欲しいな。

でも高いな。


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2011/09/15

深水流 舞踊の会  坂東玉三郎 国立劇場

どめきをとれる踊り手 坂東玉三郎

しばし手踊りをした後、立ち上がる玉三郎に「どめき」が起こった。さもありなん、身体でも壊したかと思うほどにすらりと痩身になっている立ち姿に、ほぅと思わずため息がでる。
低く呻くような言葉にならない響き、そんなほんとうの「どめき」は久しぶりかもしれない。国立劇所の頃…以来? 玉三郎の踊りを面白くて追いかけてきたことがあった。ずいぶんと見てきた。もしモダンのダンサーだったらといつも思った。ちょっと日舞からははみ出していて、それを見るのがこよなく楽しかった。自分の懐に入れて解釈して踊る。そんな意志を感じることが良くあった。
たくさん見た中でもベストに近いかも知れない。いやベストかな。素踊りだったせいもあるが…。歌舞伎役者、素踊りは美しく凄みがある。それは昔、六代目菊五郎と藤間勘祖が、菊五郎に素踊りについて約束事を取り交わしたことがあるということを思い出した。何度か踊りの上手な歌舞伎役者の、浴衣での稽古を見せてもらったことがあるが、それは凄じいというほど素晴らしい。10㎏もある衣装を着ての想定なので、浴衣に身体を叩きつけるように、あるいはいっぱいいっぱいに外に込めて踊っておく。その時の踊りの潜在力というのは、歌舞伎の衣装を着けるとさすがに見えにくい。玉三郎の素踊りの良さは、そうした重い衣装から解放されて、軽く手や身体を振っても綺麗に決まるという逆の感じだった。少し首を振りぎみな、微妙に中心の決まらない感じが歌舞伎の舞台ではあるが、それがまったくぶれず、すっとしている。その軸がまっすぐすらっとしているところから、オーラがダイレクトに客席に向って放たれている感じがして、深く、深く見入ってしまった。

「どめき」が起きたのは、遊女が山姥になった瞬間を受け止めたからなのかもしれない。それにしてもとんでもないものを見せてもらった。

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2011/09/12

神山 ハニー

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神山 ハニー 

みつばち@BabyBee個展にちなんでのスペシャリティ・コーヒ


インドネシア・神山・ハニー。
マンデリン種だと思う。苦味がほんのりとあり、酸味、香ともに優雅。
甘いものにぴったり。

ドライフルーツ・イチゴとともに。

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2011/09/12

紅茶…いろいろ

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極端な軟水。

極端な軟水が良いかも知れないと、この水をさがしたとお店の方が言う。
たしかにコーヒーにしても硬水の要素であるカルシュウム、マグネシュウムは味に影響を及ぼす。

今日は何にしようかと覗き込んでいると
このあたりかしらと出されたものは
月光ラインと、大きめの茶葉。

あれこれ想像しながら紅茶の話を延々としている。
農園のこと…音楽の影響のこと。

人に喜んでもらえるように入れるのが楽しいと
僕。


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2011/09/10

まどか☆マギカ プロダクション・ノート

ミルキィ・イソベさんデザインのまどか☆マギカプロダクションノート。

Amazonでも扱いがあるようだ。


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2011/09/06

池内式文学館/池内紀 白水社

まどか☆マギカから、ファウスト、訳の池内さん、そして池内式、それでまた将棋に行ってしまった。かな…。

大学の独逸語の先生だったからというわけではなく、今、文章も評論も、訳も、あると気になって読んでしまうのが池内紀さんだ。

思えば母校の都立大学、独逸語に秀逸な才能の教師がたくさんいた。種村季弘、川村二郎、池内紀、菅谷規矩雄、飯吉光夫…。仏蘭西文学に気持がいっていた学生の頃は、少しずつ後回しだったが、雑誌を作るようになってからは、川村二郎、池内紀という二人の評論は、ジャンルが幻想文学にも係わっていることもあるが、かなり愛好するようになった。評論を愛好するとは、何という言い方かとも思うが、とにかく好きなのである。

最近のアニメは、一見すると「萌っー」対策が利いているようなキャラが、うにうにしながらポーズをとったりしているが、すぐ側に異空間があり、しばしばそこに堕ち込んだする。ワルプルギス? の夜? それはドラキュラが現れる夜なのか、ファウストの闇なのか…。
ファウストを再読したくなり、図書目録を見ていると、池内紀さんの訳がある。楽しみもあり文庫を購入する、そのついでに『池内式文学館』を見つけ、同時に読みはじめた。文庫の後書きを集めたものだが、この本はちょっと困った。文庫を全部読みたくなってしまう。仕事が進まない。 白水社の和気さんの編集だから、目が行き届いていてセレクションが巧みだ。池内さんの文章もそそる。

最近、勝負勘が弱くなってきたような気がするので、勝負ものを読もうと思っていたので、「池内文学館」に書かれている、河口俊彦の『大山康晴の晩節』を読み出す。



絵本ファウスト

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2011/09/06

まどか☆マギカ

まどか☆マギカに一歩、近づけるのか、近づけないのか。

ふとしたことから、まどか☆マギカにはまっている。


成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論 

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2011/09/01

大山康晴の晩節 河口俊彦 

勝ちから見るのではなく、負けから見る。 しかも美しく。

以前、一時、将棋観戦を趣味にしたことがあった。河口俊彦の文章に触れたのが、きっかけだった。たぶん『覇者の一手』だったと思う。TVも観戦するようになり、米長解説で、羽生の対戦を見ていた時に、あ、ここが勝負手ですね。と米長がが呑気な口調で言うと、どっちですか?と司会が聞く。勝負手であることは分るけれど、どっちが有利かは分らない。どこに打てばいいんですかね? それがすぐに分ったら僕は名人になってますよ、盤で対局している人しか最善手が分らないものです。それを聞いて面白いものだと思った。
一分将棋はほとんど格闘技で、瞬間判断になる。それでも盤に坐っている二人にしか見えない筋があるというのは、不思議なゲームだ。逆に側にいて冷静なほうが見えるのは普通なのだが、そうではないのだと興味をもった。負けたすぐ後に観想戦をするのも驚いた。負けた一手を分析して、こうならよかったとまで相手とともに検討するなんて、とても自分に甘い人間にはできない。

勝負に勝ち、名を残すとのは強いということと少し違う。大山にとって将棋はゲームでもプレイでもなく、勝ちという事実を残す人生なのだ。棋譜を残す棋士も居る。谷川などもおそらくそうだ。羽生もその傾向がある。大山はそれ以上に戦績に対する執念があるのだろう。大山は、その姿勢があってA級で最後まで打ち続けたのだ。盤外でも盤内でも使える手はすべて使って勝つ、それが大山だ。河口俊彦は晩年の、もがくようにして盤に向っている大山康晴を、最大限美しく描いている。それは晩節を棋譜から描くという手法をとっているからだ。

癌にかかっていることすら利用するような駆け引き…。話しは少し異るが、WGPの一時代前のチャンピオン、ドゥーハンは、早く走って勝負を決めるのではなく、勝つように走るのが勝つことだと考えていた。引退を決めた後の最終戦、勝つことの呪縛から逃れたドゥーハンは死ぬほど速く、そしてコーナーをオーバースピードで飛び出してリタイヤした。そのすがすがしい顔が忘れられない。早く走れたんだ。凄い!それでも勝てなくなりそうだから引退する、それがドゥーハン。ちなみに250CCで若くして策士だった原田哲哉が、ロッシになんで早さ競争しないんだと、レース中にウイリーして挑発されたことがある。もちろんレースはそれぞれだ。それが人生観なのだから。

F1のチャンピオンの晩節、プロストもセナもシューマッハも、若手を脅したり牽制したりするという、将棋で言えば晩節を汚した。でもそれは汚したと言えるのかどうかというくらい、繰り返されることだ。プロストがセナを牽制し、セナはシューマッハを怒り…。ロッシは今、晩節にさしかかっているが、ドカティに移籍して挑戦をしているように見える。公式発言からは若手を盤外でどうこうしようということは伝わってこない。ロッシの引退までの走りざまがとても興味ある。さらにちなみにもがきつつけたシューマッハが、2011年9月11日のイタリアグランプリで素晴らしい走りを見せた。元チャンピオンとして。ベッテル、バトン、アロンソ、シューマッハ、ハミルトンという歴代チャンピオンが、連なって走り、シューミは、再三のハミルトンの仕掛けをしのぎ続けた。コーナーで二度進路を変更するという違反行為をそう見せないようにギリギリで使い、FIAの勧告が出そうになると、今度はロス・ブラウンが車線を開けろと無線で指示をして、チームはちゃんとやってますよと、そしてシューマッハにもフェアプレイをしろと、チャンピオンらしくと…示した。シューマッハは二つ目の車線変更を緩くし、ハミルトンはそこ隙間をつかってオーバーテイクした。
不必要なブロックを続けることで、晩節を汚しかけていたシューマッハはこのレース、盛りを過ぎた元チャンピオンとして見事なレースをした。復帰してからこのレースをするためにもがき続けていたと言っても過言ではない。でもこのレースができたのは素晴らしい。プロストにはできなかったことだ。

大山は、晩節に美学を求めるような棋士ではない。河口俊彦は洒脱な文章でそのもがきを美しく記述した。シビアに言えば、でもここにも河口俊彦の文学があり、それゆえにこの本は、将棋の分野よりもより文学の方に近いところにある。しかし河口俊彦がこのように大山康晴の晩年を描いたことで、河口俊彦自身が、大山世代とともに自らを終焉に追い込むことになる。河口俊彦に、今の、羽生以降の将棋の面白さ、棋士の面白さを書くことはできない。
将棋を棋士が書く仕事は、河口俊彦から先崎学へリレーされている。それはあちこちで見て取れる。能條純一の「月下の棋士」は河口俊彦が監修だが、「3月のライオン」では、先崎学が監修をしている。先崎学は勝てない棋士、勝たない棋士を描くのに上手なサゼッションをしている。勝つ、強い、戦略がしっかりしているという棋士の優位だけが棋士ではない、その当たりに先崎は目が行っている。河口の視点は、常に優れたものを見いだそうとしている。大したことのない対戦と思われていた棋譜、大したことのない晩年と思われていた大山康晴の晩節を見事にピックアップしている。

これからは勝てなかった棋譜の美学とか、美しく負ける棋士とか、執念の盤組みが崩壊する瞬間とか…勝負の結果、それも勝ちからものを見るのではなく、同じように負けからも棋士の生き様をポジティブに見る筆致が必要になってくるだろう。


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2011/07/28

傷つかない

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人に嫌なことをされたときに、そのことを余り思うと自分の脳も青くなる。

嫌なことをされて青く染まった脳は回復しない。
目の前から対象が消えてもゴーストが脳を悩ませる。

胃や腸はその先に悪意を察知して反応する。
そして自らを傷つける。

傷つかないと決意しても
身体は無為に反応する

分かり切ったことなのだが脱出できない。
ありもしない風評を流し続ける悪意の目的すら見えないとき
自分には防御の方法すらない。
ただただそれを受けるだけ。

弱者の味方マイノリティの同調者であることを強調して
周囲を同調させながら携帯のCCメールで風評を流し続け、噂をまき散らす時

人は善意をもって生まれてきたという自分の認識が
如何に誤っていたのかを思い知らされる

傷つかない
それは自分に言い聞かせているだけにしかすぎない
どこかに穴が空いた
自分が悔しいが
これも弱いということでしかたがない

デッキを組むのは特異でも
プレイが得意でないということかもしれない

穴の空虚がすべてを終わらせるまで
別の人間として生きようか…
あるいは。

いずれにしても
現実はもう存在しない。


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2011/07/23

コンチェルト・グロッソ

コンチェルト・グロッソという

音が好き。グロッソ…。少しはずれた感じ、少しあっている感じ。

シュニトケの1番、2番,3番。
痛みがある時
それを拡散する治療に聞いてみる。

にせのバッハ
リペアードピアノ

クラシックに無知な私は
言葉のイメージから
シュニトケを楽しんでいる。

拡散と螺旋と
聖と俗
そんなことを感じる。

あっていないかも知れないが
手探っている今が楽しい。



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2011/06/14

林美登利 個展「幼き魔女たちの宴」

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いくら傷つけても…大丈夫

いくら傷ついても
いくら傷つけても
生きているものだという気持が少しあったけれど
そうではないんだということを実感した

それでも私は怪物だから
どこかで傷はつける
傷はつく

廟の中で
それでもベイビイたちは生きている

生きている
そのことを再確認してでも私は綺麗な頬に
手をかける

母親が子を
疎まないということは
ない
かもしれない

そのときどうするのか

私たちはそんなことの集積で歳を重ねていくのかもしれない。

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2011/04/21

コウソクスブニール

屍体にはその人の経歴がある。物体じゃないんだ。被爆を覚悟で取りに行くべきだと私は思う。(小出裕章)


少し大きめの試験管に筒状に丸めた楽譜をしまいコルク栓をした。

たとえば小説にこういう文章があると、とても気にかかる。楽譜が入る試験管がほんとうにあるだろうかとか、あるとしたらその大きな試験管はけっこう不細工なんじゃないだろうか、標本室にふさわしくいなあとか。新品だろうか。ガラスは綺麗なんだろうか。その試験管が入る試験管立てをピアノの側に置いたと書かれているが、それは大きすぎて美しくないし、そんな巨大な試験管立てはないだろう。ないものを描かれても受け入れるように流れている小説は、なかなか身体に入ってこない。自分のもっている物質感やディテールのリアリティが、観念だけで構成されている言葉の浮游感についていかれないのだ。

標本というからには、物資が持ち主の皮膚感覚をうつしてものになっていく経歴が必要で、もし人の思い出を標本にするならそこが肝要な地点になるだろう。たとえば骨も年齢を経た骨のほうが面白い。若い骨は生物に近くそのものの生きた履歴が少ないからだ。骨には骨だったものの経歴が形になって反映する。

パレルモのカタコンベには800体ほどの木乃伊が眠っている。一人一人、今でも性格が分るほどのディテールやシェーマが残されている。もしかしたら生前よりそれがはっきりしているかもしれない。性格のきつそうな人もいれば厳格そうな司祭もいる。数百年前の屍体には思えない。昨日亡くなった人の様だ。世界でもっとも美しい屍体と言われる幼児の木乃伊もそこに眠っているが、DNAの掛け合わせによる個性はあっても人間という動物に近く、人格が付与していなく、それがゆえに怖かった。

3月11日以降、ネット配信で小出裕章さんの原発事故の現実についての話しを毎日のように聞いている。ネットは2チャンネルを始めとして、人の心に潜んでいた悪意のようなものを発露する装置になっていたと思ったが、ここに来て別の機能をもちはじめた。風評はむしろ政府が流している。東電も流している。原子力推進だけを考えているご用学者が喋っている。今、NHKと民法で政府の意向を受けて行っている事故を最小評価しようとする、そして事実を隠ぺいして人を死に追いやっても平気であろうとする情報を流しているのは、風評ではなくて直接的な犯罪だと思う。

少しでも放射能は身体に悪いですよ、被爆基準は推進派が決めたものですよ…と言っている小出裕章 さんが、福島原発10キロ圏内から逃げてきた人の質問に答えて、大切なものだと思うなら被爆を覚悟で取りに行きべきじゃないでしょうかと生きることは何かとを語ってくれた。チェルノブイリで危険を顧みず愛猫を連れに戻った婦人の姿を見て、生きることはこういうことなのじゃないかと。いくら放射能に汚染されているといっても屍体は物体ではないんですよ、その人が家族と生きてきた履歴があるんです。歴史があるんです。連れて帰らないと生きていけない人がいるんです。そのことを政府は分るべきですというようなことを語っていた。厳密に科学として事故に向き合っている小出裕章 さんが、人の気持と生活を第一に考えていることに感銘を受ける。

使われものは履歴がある。物質からものに変わっている。夜想骨董市の店主も40年の経験で、骨董は履歴を渡す仕事なんだよと教えてくれた。その店主が思い出を瓶に封入する。

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2011/02/14

夜想・ベルメール展3 吉田良  

ベルメールでありながら吉田良

吉田良の新作に出会えるというのは、そして吉田良が新作を作るということは、自分にとってまさに事件というのに等しい。何十年か仕事をして一時代を築いてきた人が、テーマごと新作を出すということは容易なことではない。吉田良と同じ年代、あるいは上の年代の作家を見ればそれが良く分る。

新作のパーツの写真は見せてもらっていたが、顔の一部だったりしたので、搬入の時まで気づいていなかった。新作はベルメールにインスパイアーされたもの、ベルメールに捧げたもの、そしてベルメールを見つめた作品になっている。ベルメールでありながら吉田良。吉田良でありながらベルメールという作品になっていて、吉田良の意気込みと創造力と批評性が伝わってくる。

ここで言う批評性とは、作品を批判するというような意味ではなく、分析してそこから創造の次のステップを切り出す視点のことだ。人形はそれに加えて制作を続けてきた吉田良の個性、創造性が発揮されている。2011年の段階でベルメール頌としては、ベルメールを最高に解釈した作品である。

夜想・ベルメール展 2月14日~3月14日 パラボリカ・ビス

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2011/01/12

十二夜 串田和美演出 シアターコクーン

役者が巧いとか下手だとか

役者が巧いとか下手だとか、感じさせること自体、演出家の責任なんだろうな……とふと思う。
00年代の演劇や飴屋法水の演劇を見ていると、そういうことは感じない。役者というのはまず一生懸命に、巧く演じようとするから、まずそこを止めて、演劇そのものに集中してもらわないとね。

シェークスピアのしかもよく知られている十二夜を演出するのに、フェリーニの映画風に演出してみました、自由劇場みたいに役者が演奏してみました、役者は自由に『十二夜』を思ってください。そうしたらいろいろな面が出てきます。それを観客も自由に楽しんでください……というような演出は、今の時代にいかがなものか。

というか駄目だなぁ。
役者は戯曲を解釈して、それでこれまでの演出と串田がどうちがう演出をするのかを見極めて、それで自分としてはどうそこに対するのかを決めて、稽古でバトルする。その過程を含めて演じるのがシェークスピアだと思う。

オーケストラで演奏するものを即興のフリージャズ風にやってみましょう……というのは意味がない。やるなら新作でやれば良いのだと思う。指揮者がどう解釈して、それをオケがどう受け止めるか、そしてどこで統一感を見いだすのか、あるいは少々、ずれたままでやるのか……再演という行為は、解釈のおもしろさ、さらに言えば、それが今の感覚にどこでつながれるかを見いだす、永遠のトライである。

何十年か前ならともかく、ちょっとこんな風にしました的な演出はまずいなぁ。しかも誰もがフェリーニの映画を思い浮かべてしまうようなコピーの映像的手法は……駄目ですよ。音楽もそれだけでシーンを表現できるほどのものが良いし、映像も台詞を越える何かを伝えるためなら面白いと思う。

ラストの一人二役を、台詞だけで棒立ちで演じさせるのは、松たか子にちょっと酷じゃないかなぁ……。役者がよぉーっしっと燃えるようなハードルなら良いけれど、これじゃぁ困っているのが見え見えだ。

コクーン歌舞伎でも演出を手に入れるのに、だいぶ時間がかかったけれど、今の時代、最初からばしっと見せないと次はないからねぇ。

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editors talk

2010/09/26

ホフマンの目玉

SBSH0316.JPG

田村さんをもうボクはマンタムさんとしか呼ばないだろう。
夜想の展覧会が終わったら、田村さんは消滅してマンタムさんになる。

田村さんは仮の姿。
錬金術師マンタムさんは、チェコのゲットー生まれ。生まれてすぐに、堀井(ホリー)さんと国籍を交換した。
堀井さんはシュヴァンクマイエルの分身。
夜想骨董市に新作のためのオブジェを仕入れに来る。

さあて骨董市には目玉がたくさんある。
コッペリウスが30年にもわたって集めた目玉。
威嚇のための目玉。魂を瞬間退避させる目玉。
くるくる回れ、燃え尽きろ。燃えた人形からとろりと墜ちた目玉もある。

そして仏壇を義眼の映るまで磨いた寺山修司の
その義眼
父親の屍体から掠め取ってきたのを一つ忍ばせた。

値段は対価ではではない。
秘術が自動的に伝授される運命を牽く仮の値にしかすぎない。

誰の手に渡るのか。
ホフマンの時代から伝えられたチェコ・ゲットーの目玉は。
幾多の魔と殺戮を見た目玉を。


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