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2007/05/01

遊園地事業団 ニュウ−タウン入口

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遊園地再生事業団のリ−ティング公演
ニュウ−タウンの入口
を見た。というより聞いた。
でもかなり動きもつけていて上演に近いもの。

これはおそらく14歳の犯罪
その背景になるニュウ−タウンの
かさついた地層についての演劇なのだろう。

そんな情報も見ずに芝居を見ていたのだが
ふっとニュウ−タウンの森が浮かんできた。
それは小さな森であり
そこにあるタンクだった。

実家の裏山が大開発されて
梶原団地が突然できあがったときの
失われた遊び場の森と
そこに埋めてあった
屍体のことを思いだした。

藤原新也の撮った
バット殺人事件の起きた
新興住宅の映像も浮かんだ。

その写真はペヨトル工房が出した
EP-4『昭和崩御』のジャケットになった。

街が作り出す
ネガティブ
住宅からタウンへ
そしておそらくヒルズへ。

森の中の
屍体は次第に陰惨な
姿をするようになる。

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2007/04/28

等価交換

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『鋼の錬金術師』にでてくる
等価交換という言葉
良く使われている。

錬金術を卒論に選んで
指導教官に呆れられたのをちょっと思いだしつつ
隔世の感がある。

等価交換というのは
資本主義のまやかしの原理として
いま
使われているが
(だって等価交換じゃないでしょう。儲けているところがあるのだから)
消費する時は騙された等価交換
自分が創作する時は
やっただけ何かを求める等価交換
悪い風に作動している

これでは
神秘は生まれない
かっちりと
この経済のシステムが支配を強めるだけだ。

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2007/04/26

うごいている

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動いている…
自分が分らないところに漂流している。
いや
漂流というのとは少し異るだろう。
だって
意志は少しあるから。

この感じは何だろう。
見たこともないことや
類型でないことが少しずつ多くなっている。

確かめるより先に
もう少し
動いていたいという渇望もある。

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2007/04/25

はじまりの何かに

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はじまりの何かに供託しているのだ
そんなことをふと思う。

自分の行動や
業のような
性格や週間は
変えよう、変えようと思っても
なかなか変えられない

でも
何かのトリガ−を引かれて
あるいは引いて
ふっと変わることがある

それは
時代の必然だったり
自分の潜在だったりするのだろうが

その
起動の部分
ブ−ツトラップ
の部分に自分が再び立っているのだという
感じがある。

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2007/04/21

自家焙煎珈琲


僕の珈琲は
いろいろな人の
手が入っている。

中でも
一番影響を受けたのが
ギャラリ−・伝の岩田さん。

あって
いきなり焙煎をレクチャ−され
焙煎の道具まで買いにやらされた。

その技がようやく生きるようになった
と思ったカフェ・コスタディ−バ

会いにいったら
伝はアペルになっていて
それも閉まっていた。
アペルの高橋君とも一時期仕事をしようとしていた。

岩田さんどこにいるんだろう。
岩田さん直伝の珈琲は
西瓜糖でも飲めるけど

現代美術に果たした役割はもの凄く大きい。
ちょっと胸がきゅんとなった。


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2007/03/30

シャコンヌ

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一度、接客で嫌な思いをさせられたのに
また
性懲りもなく

合羽橋珈琲に入ろうとして
入口で嫌な感じの応対をされて
(めったに入口から踵を返すことはないのだけれど…)
しかたがなく上野方向へ自転車を飛ばす
稲荷町にほど近いあたりにシャコンヌという
珈琲と紅茶のお店を見つける。

シャコンヌは大好きな映画のタイトル
というかもちろん曲名だけど
入ると誰もいない。
合羽橋珈琲店とは大層な違いだ。

紅茶には追加の白湯もくれるし
何より生のピアノ演奏がある。

いいところが
必ずしも盛況になるとは限らないのだなぁと
つくづく思った。
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2007/03/26

黄昏の憂鬱

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写真には

写っていないけど
この空が迫ってきたとき

昼間なのに
黄昏た

憂鬱な気分というのは
人の心の隙間から入ってくるのだろうと思うけれど

入られるとどうしようもない。

人の修羅は
表向き
好意のような言い方と顔をしている。
そして
意外と自分が自分の修羅に気がついていないときが多い。

もちろん
自分だって
そんな季節をずっとずっと生きてきた。
それがふと
思い出されるほど
深い黄昏
哀しい憂鬱

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2007/03/26

見ることの

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人形は
ある人の鎮魂のために
捧げられている

すべてではないが
かなり動機がそこに向っている

今夜訪れた
人形店の若きマスタ−は
蝋燭を手に
ゆっくりと食卓を回遊していった

人形を見ているその人の
シルエットが
人形の向こう側まで静かに
見つめている
見つめられることで
騒めいている人形の魂が
少し鎮められた
少し
ほんの少しだけ
でもその少しだけそちらに向ったということは
この展示の大きな意味が少し果たされたと思う

ありがとう
片岡翔さん

その間
僕は作家と二人で話しをした
ある聖性の事件を
それは常に騒めきとして存在している
少しでも
引き受けることができたらと思うけれど
それはできない
でも相応しく
散華された紙の華が宙に溶けていくように
少しだけ
少しだけ
何かが引き受けられれば
良いと
思う。

三人がいて
人形がいて
食卓がある
この風景を忘れない


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2007/03/24

形式


社会を把握するのに
あるいは人を把握するのに
まずアニメのキャラを当嵌めて
ということを本気で
あるいは本能的にする人たちを多く見かけるようになった。


現実が把握できない
旧オタクの構造的原型としての
コミュニケ−ション不全
そんなものがベ−スにあるのかもしれない。

理想の男は現実にいない
アニメにはいる
妄想の中に生き
現実を軽くいなしてみようとする

もちろんアニメのキャラは
現実にパッチが当てられない
ずれる
かなりずれる
このずれを持てあまして困っている人たちがいる。
その持てあましている人をみて
僕はそのずれに
時々、茫然としたり飽きれたり
困ったりしている


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2007/03/21

精霊


公式も形式も
もたない
夜のギャラリ−で

蝋燭がともされ
そして消され
闇の中で
息が聞える

そして
蝋燭に灰がまぶされ
祈りがなされるとき
それは個人の行為でありながら
一つの振幅を生み出す

見ている人形作家が
何かを見て取られたとき
それは聖性
スピリチャルというものに近いものが
発生しているのではないだろうか

経済の仕組みに役に立つ
精霊とか
安っぽい占いに使われる
スピリチャルというのではなく
生成された
ここにあるもの。


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2007/03/17

未生の人形

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人形はまだ人形になっていない状態で
存在する
気持ち悪い。
Sはそう言う。
確かに、少し未生な部分を残して
いるからこそ
見る人、買う人が入っていける。
それがドール
だから
ドールは必要な存在

もしかしたら
作る人にも必要な存在。
必要同士がシンクロしている。
作る人と見る人と。

魂が口から出てしまって
目がうつろになっている
ドールは
作家のあるときの
心象を写している

ナハトには
ドールがいる。
必要とされる
ドールがいる。

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2007/03/17

義躰


田岡が久しぶりにふらりと現れた。
壁の十字架がいいねぇ、と、ぽつり。
少しめげそうになったときにいつもこの人はフラリと来る。

イタリアで壁の墓を見て
自分が墓に入るとしたらどんな十字架をつける?
と、スタッフに頼んでひとり、一つ
手作りで作ってもらったの。
手を当ててきた
田岡は珍しく真面目な顔で話しをしている。

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2007/03/16

Candle JUNE

Candle JUNE■キャンドルデコレーション
3月30日[金]/19:00
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パフォーマンスというのとは
少し異るかもしれない

蝋燭に点灯する
その点灯するCandle JUNE
を見るのではなく
点灯というその瞬間を
感じる
同期する

だから
漆黒の闇の空間になったり
微かな空気の音がしたり
蝋燭が全点火されたり
そんな時間のすべてが
今回の存在。

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2007/03/16

サンタマリア

サンタマリア・ノベラ−の
ポプリは

今、伊勢丹でも銀座でも買えるが
ちょっと前には
僕にとって
聖性のある存在だった。

フィレンツェで探し探して
ようやくたどり着いて
奥のカウンタ−に行くと
奥からちょっと雰囲気のある
お婆さんがでてきて
気付薬を教えてくれた
それは本当に気絶しそうに匂いの強いものだった。
酢の匂いがした。
そのカウンタ−を
再び見たのは
レスタ−教授のフィレンツェだった。

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2007/03/15

candle June 2

ナハトの奥に油紙を張ってある
だけの空白の壁は
空の祭壇
床には残像が散らばっている
何ものかの

脇には
水の涸れた聖水鉢

蝋燭の点灯が終了して
誰もいなくなったナハトの
空の祭壇に向って
祈りをしている
灰を額にそして一本残された桃色の蝋燭を
静かに転がす

そこに居合わせたのは
たまたまの三浦悦子
そして私

ナハトはばらばらにされた修道院
あるいはその食堂
どこに手を合わせるのかを過たず
壁の向こうにある
空という
何ものかに祈る
それは希望でもあるかもしれない
何か
もしかしたら
今は我慢していて
時過たず立ち向かう
決意
なのかもしれない。


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2007/03/15

松岡正剛

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ミトコンドリアの
母性遺伝の話しが

ピカリと光り
恋月姫さんの少女、そして先駆、少女を少年に描いた
萩尾望都の少女が
何であるか分ったと
話している最中に
松岡正剛が
ふに落ちる顔をした

対談の醍醐味だ
思考が変わる
思考がジャンプして
予定調和ではないところに
着地する

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2007/03/14

消えていくもの


素晴らしいもの
素敵なものは
永遠に続くような貌を見せて
私たちの前に
突如、顕れる。

浸る
耽る
それはどこか永遠を期待させる

しかし
それは
ふっと消えてなくなる
気づかないうちに…。

今しかないということに
気づかないのだ。

あと
何日かで消えていくものがある。
ふたたびは
会い見舞えない。


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2007/03/13

見えるもの

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父と子と精霊と

見えるものはなんだろう。
分るものはなんだろうか。

今回の
インスタレ−ションの中で
それが
微かに感じられる
見えるところまで
あと少し

目を凝らせば良いのだろうか
それとも

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2007/03/10

三浦悦子展

三浦悦子展が無事オ−プニングした。
夜を彩るビスの会場『ナハト』にみっしりと人形が
入り

ひっそりと息づいている
人形たちの目は
意外にもしっかりと宙を見据えている
それはそれはつぶらな瞳ではあるが。

会場の空間を捉えた構造と
細部とのディテ−ルが
不可思議な共振をしている。

蝋燭の揺らぎのなかで
揺れているのは
むしろ見る方の私たちの何かかもしれない

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2007/03/07

フラッシュ・メモリー


フラッシュ・メモリーというタイトルで
メルマガをやっているけれど

記憶の保持が短くなってきているのは
自分に限らず
あちこちで起きているようなことかもしれない


森村泰昌が何ものかへのレクイエムの
シリーズで
20世紀
モダンというものへのレクイエムをしているが
ついそこにあった
三島由紀夫の割腹とか
その意味とか

たとえば
そのときに
憲法9条の改正や自衛隊派遣は
永遠に起り得ないという
前提での
絶望の実行だと思うが
その根底がまさか
こんなに短い時間で崩れるとは
予想できなかっただろう

三島由紀夫の
風化がそうして起るのだが
しかし
それで良いのか
歴史を現在が書換えるようなことを
続けていって良いのか
それが
森村泰昌の叫び声のような気がする。

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