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2008/06/12

報道とCC とめて欲しかった

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とめて欲しかった、だから掲示板に書いた

やっぱりそういう発言をするだろうな…。
そして、それは甘えとか責任転嫁とか、報道されるだろう。

社会から、報道からみたらそれはそういうことだろう。
でも掲示板の流れをみていると
何かでとまんないかなと、思っているふしもある。

とめてくれないかという発言と、責任転嫁という発言との
ギャップが
この事件の心的最大の問題だろう。

書いている僕に解決策はなにもない。
次の事件の防止策もない。

ただ携帯のCCや掲示板がもっている作用をもう少し分析しないといけないと思う。
妄想は頭の中でネガティブになる大きさの限界がある。
携帯のCCや掲示板はそれを無限大に拡げる作用がある。

心の闇が、今までにない形態をしているのだろう。


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2008/06/10

報道とCC

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引用した1行目から6行目を意図的に隠している。

午前5時44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな

午前6時00分 俺(おれ)が騙(だま)されてるんじゃない 俺が騙してるのか

午前6時02分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される

普通に公開された携帯サイトの実況中継の気になるのは、下の引用部分。テレビの報道ではカットされている。
僕の引用したのは、ネットの毎日新聞だから普通に公開されている情報。


午前6時03分 大人には評判の良い子だった 大人には
午前6時03分 友達は、できないよね
午前6時04分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴(やつ)らがいる
午前6時05分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉(うれ)しかった
午前6時10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全(すべ)てが俺の邪魔をする
午前6時31分 時間だ出かけよう

全員一斉送信、つまりCCに入っているかどうかというのが、大切なことなんだと思う。
それは、本音で言えば、たいして信じていないけど、友だち未満として、でも必要だったのだ。

CCは魔物だ。
信頼できる友人とはCCで何でも情報を交換しあえるという言い方を、この1年、僕はだいぶ聴かされた。
そこで交換されるのは、社会に対してのネガティブな感覚や感情。そのネガティブな感情を共有した閉じたサークルは、それ以外を排除する。「はぶる」感覚と非常に近い何かを孕んでいる。

CCっ子たちは、大人に絶対素顔を見せない。顔色を変えるようなことは、2ChやミクシィやCCに吐き出す。呪詛のようにして。それは伝播しcarbon copyされ共有化する。他人のものも自分のものとして。大人はこう転がしたら機嫌が良いというのを良く知っている。説教される前にそれを繰り出す。それを多用していると仲間にはぶられる。
子どもは大人と仲良くしたり、評判が良い子や、可愛がられている子が嫌いなのだ。もちろん自分が圧倒的に抜け出せるなら、それはそれにこしたことはない。最大の望みだ。でも抜けれないなら、大人を無視しながら(気づかれないように)仲間を大切にしていきる。はぶられないようにして。

なんだか分らないけど不幸な感じ、未来のない感じを抱いている。だから社会なんて言われるもの、会社、組織の論理なんか理解して、合わせても無駄だと思っている。視点はその自分のなんとなく不幸な感じから見ている。自分はこれだけ能力があって、これだけ働くんだからこれだけお金が欲しい、そう思う。自分が属している社会がそれをどう思うかのルートは余り持ち合わせない。

なぜこんなことになってきたのだろうか。
教育とかいろいろあるだろう。しかし最も重要な問題点があるところを避けて、分かりやすいパターン認識に持ち込もうとTVはしている。優秀な子なのに…分らないという形で理解を進めさせようとしている。学校で300番代が優秀な生徒?男子なのに短大なんでしょ。成績が優秀という認識はどこから来ているんだろう。成績がなんていうことをそもそも報道すること自体がおかしい。だって成績なんて相対的なものだから、彼が犯罪を犯したことと何も関係がない。家族は?プライバシーがあって報道しないんだろうけど…ある方向からしか彼をイメージ化していない。その理解できる範囲にされた彼のイメージを世間が受け入れる。分らないことを受け止めるのは大変だから…。

CCがあって、いやあるからこそ、そこからも漏れ落ちた孤独は大きいのだろう。利用しない僕には想像もつかないが、それはある種の嗜好性とも関係があるのだろう。孤独も僕だったら黒いイメージがあるが、もしかしたら白い孤独というような、今までに存在していない孤独感なのかもしれない。

殺人は犯さないが、CCをある種の価値観、生きるツールとしている人たちは多い。何でネガティブを媒介にして群れるのか? それがここ1年くらいの僕の疑問だった。理由は分らない、解決法も分らない。でもCCが介在しているということは間違いない。

彼が孤独だったのは、他人が応答しない掲示板に書きづけて、時間だでかけよう、という言葉にたどりついたことだ。もっと雨が強烈に降って、あるいは決めている時間までにたどりつかなかったら彼は、決行しなかったような気もする。誰かが掲示板で止めたら、それでも行くよと言いながら、けちがついたな、今日は止めようということになったかもしれない。
時間だでかけよう。誰も見ていない、誰も止めない、しかたがない世間に知らしめてやろう。それで終わるのが俺の運命だ。運命が止めてくれなかったのだ。そう思っていたのではないだろうか。

ほんとうのところ、彼の心の闇や、実況中継しながらの心理や、なぜここに至ったのかは、まったく分らないし、理解もできない。想像がまったくあっていない気もする。
しかしCCという感覚に関しては、良く聞く話だなと思うのだ。TVが無視した6行に関しては違和感のない文章だ。

実際のところ孤独な感じというのは、情報化の中で荒んだ感じになっていて、それは自分自身のことを充分に含んでいる。何事か起きないようにその孤独から一生懸命、気をそらせているだけのことで、状況の変化は絶えがたいほどに悪くなっている。

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2008/06/10

お医者さんの前だと

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お医者さんの前だと

直ってしまうことが子供の頃良くあった。

2週間ほど前からエラーメッセージがCyber-shotの画面にでていて気になっていたので、今日、秋葉原のサービスセンターにいって、起動したら、エラーメッセージがでない。カッコ悪い。

なんだい、と思いながら、セガフレードに言ったら、さっそくエラーメッセージ。
サービスセンターに電話したら、レンズの焦点合わせが壊れているんだと思いますとのこと。

前回のCyber-shotも6000枚を越えたあたりで、部品交換して、それから1000枚でお釈迦になった。今回もちょうど6000枚を越えたあたり。Cyber-shotの耐久性は6000枚程度なのかな。修理は1万円と言われて困っている。どうしよう。

とにかく弱いな。SONYは。

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2008/06/10

マクドナルドの

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夜中にMacで本読みしていたら

けっこう不審な人が脇に来たり、目の前を行ったり来たりしている。
ん? という感じ。
こちらを無視したまま意識している。体操のようなことをしている人もいる。

100円で朝まで入れるのだからまぁね。

土曜日の正午に僕は、裸族とハードディスクを買いに秋葉原に居た。
日曜日にも追加の機材を買いに行くつもりだったが、雨なのでやめていた。自転車だから。
人ごとではない。

変な人が、どう次に行動してくるか全く読めない。ちょっと怖くてデニーズに移った。ここにお茶をお代わりしながら朝まで携帯電話をかけまくっているクレーマーの人がいる。まぁ良く見て行動パターンを知っているので、大丈夫。


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2008/06/08

レイド

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ハード・ディスクが一杯になってきたので

裸族の5連のラックに電源をつけてセット。ポート・レーンで5台を一本のSATAにまとめてエクスプレス・カードでMacbookに直差しするというシステムをもう一つ用意した。新しいハードディスクにレイドをかけていたら、もとのラックのハードディスクのレイドが外れてしまい、どうやっても回復不能。う、1テラ分のデータとiTuneのデータが飛んでしまった。

ちょっとショックかも…落ち込む…。

あっという間にUATAがSATAに変わってしまい、残っているUATAが使い難くなっている。UATAを2台入れてFireWire800 でつなげるというboxがあったので、これでいけるなと思っていたら、そのboxもあっという間に製造中止になっていた。流れは一気にSATAに。この辺の知識は、ネットでもはっきり、分りやすく書いてあるものが少ないので、知識はもっぱら秋葉館の店員さんから。

知識を仕入れて、UATAとSATAの差がなんとなく分るようになってにこにこしていたら、メディアはどんどん変わっていく。Macの中もSATAになっている。あたりまえだけど。

裸族とか、外付けの直差しとかの安いユニットは、相性があって組むのが難しい。秋葉館よりもう少しオタッキーな店では、安いユニットはいろいろ問題ありますよ…とかるくいなされた。新しいユニットで電源がどうもうまくいかない。ときどき落ちる。エクスプレス・カードやマルチレーンに対応している電源かどうかが関係しているのか、良く分らない。近々の研究テーマだ。

それにしてもデータの消失は痛い。何を失ったのかすら分らない。茫然自失とはこんな感じか。
どうしよう。開店休業かな。

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2008/06/07

『宇宙戦争』

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偕成社から昭和32年に出版された

『宇宙戦争』を何度も何度も読んでいた。
小松崎茂のイラストレーションのせいか、夢に何度も火星人が出てきた。
夜、ふと目をさまして外に火星人がいないか、雨戸についている小さな窓を開けて皓々と照る月明かりに金属の足を探したりした。

今、読み返してみるとウエルズの『宇宙戦争』は、未来の世界を、警告をもって見ているかなり思想的な小説だと感じる。火星が環境破壊されて火星人は地球に攻めてくる。人類を滅ぼすというよりも地球に住むためにやってきた。火星人のその動きが細かく書かれていて面白い。

地球温暖化は激しく地球の未来を絶望的なものにしている。未来のことだと思っていると、当代、かなりの衝撃がありそうだ。愛媛は平均温度が1度上がって、蜜柑からイタリアのブラッディ・オレンジに作物を代えた。エベレストは氷河が溶けかかっている。洪水があってもおかしくない。

『宇宙戦争』の未来悲観は、進化論による、進化が退化を呼ぶという論によるものだが、かなり深刻にウエルズの心をとらえている。『タイムマシン』もSFというより文化論小説に近い。未来は廃虚であるというのはアニメでも踏襲されているが、19世紀末より、20世紀末が継続している2008年、ウエルズの思想は、そのまま今を描いている。その意味で一世紀分の未来を描いたSF小説といえるが、余りにもリアル過ぎて怖い。

ベルヌとウエルズ、ヴィクトリアン期のSF作家として著名だけれどだいぶ資質が異る。

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2008/06/07

バニラ・バルサミコ

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これだけはやめておこうと

何となく思っていたのだけれど…バニラ・アイスにバルサミコをかけたら、癖になりそうな美味しさ。
30年もののバルサミコということもあるんだけど。

+
なぜやめておこうと思ったのか、自分でも分らない。アイスにエスプレッソがけもしないし、食べなかった。バルサミコもエスプレッソも単独の美味しさに惚れていたからかもしれない。
そこまでイタリア人になったら駄目だと思ったのかもしれない。

++
イチゴにバルサミコも食べてしまいそうだ…。


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2008/06/06

『一寸法師』内川清一郎 1955 

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銀座のサンドイッチマンをしていた和久井勉が一寸法師役。

乱歩のパノラマ島散歩をしているうちにふと迷い込んだのが乱歩・映画。
『一寸法師』(内川清一郎 1955)は、街と怪奇が溶け込んでいて、しかも小人が自在に闊歩していて面白い。

『一寸法師』は1927年、連載当時にも映画になっていて、監督は直木三十五、明智小五郎には石井貘がなっている。石井貘の舞台の相手役、石井小浪も出演していて、見て見たい。フィルムセンターには収蔵されていないみたいだが、どうにか見れないものだろうか。

映画はフィルムが失われると存在しないと同じことになってしまう。そこが本とは異るところだ。メディアの存在の仕方が変わっているから、今は、そんなことがないが、むしろ、本の方が危ういくらいだ。

江戸川乱歩は、1928年『パノラマ島奇談』と『一寸法師』を書き上げて、しばらく絶筆している。本人によれば自己嫌悪からだという。連載当時からもう作家はやめたいやめたいとぼやいていたようだ。純文学の作家になりたという気持ちが強かったのだろう。

『一寸法師』は、1948年にも市川哲夫監督で映画化されている。江戸川乱歩は三本の映画の一寸法師役の俳優にそれぞれ面会したり、飲んだりしたときのことを書きながら、三人の比較論を展開している。これもなかなか面白い。

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2008/06/05

マリーナ・ アブラモヴィッチ

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マリーナ・ アブラモヴィッチのイリー・カップで

エスプレッソを飲みながらアート話。

今年の横浜・トリエンナーレには勅使川原三郎がでる。田中泯も出る。パフォーミング・アートにも視点を拡げての企画なのだろうか。

『Artit』の取材で勅使川原三郎にインタビューした。

マリーナ・ アブラモヴィッチも出るらしい。パフォーマンスしてくれたら嬉しいな。
しないかな?


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2008/06/05

イケメン

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天婦羅 『多から家』 で、きんぽとめひかりの入った

天丼をほおばっていたら、テレビでイケメンを品定めするもてない女芸人の番組をやっていた。どんな目線で品定めしているかは、問題だが(涎を垂らしているなら品定めにならないから…)かなりの逆転現象だ。イケメンの性の商品化だからやめろ! と、フェミニストたちは言うのだろうか。言わないと駄目かも…。

ふと思ったのは、少女漫画をTVドラマ化するのは、女性タレントや女性アイドル(俳優ではない)の人気にあやかったり、あるいは人気を上げたりするのに役に立っていたが、今は、イケメンタレントを出しやすいからという事情なのかもしれないなと…。少女漫画にはたしかに女の子の主人公も出てくるけれど、相手役のイケメンも出てくる。たしかにイケメンが出しやすい原作ではあるな。

花団もイケメンをたくさん起用しやすいし、ごくせんもクラスは男の子だらけだ。花団は、DVDで何十億も売り上げて、井上真央も一流俳優、売れっ子になったと書かれているが、実は、後ろの四人、特に小栗ブレイクによるものだろう。むかしのアイドルのようにイケメンはこれから商品化されるんだなぁ。

イケメンだけ?を集めた写真集がある。蜷川実花が撮影したものだが、なかなか良い感じ。ちょっと面白い。顔が一緒に見えちゃうのはオバサンの印、オジサンの証。あなたは何人知っていますか?

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2008/06/04

カレー・ラーメン

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ジャンク好きなのはとまらない。

アイスクリームやポテチの新製品がでるとたまらずチェックする。

浅草にカレーラーメンの美味しい店ができたとTVでやっていたので、でかける。
カレーは、ちゃんと作ってあるし、出汁も良い。でも何となく、ぐっとこない。

最近、売り出したカップヌードルのミルク・カレー。これにパルメジャーノをざく、ざくと切って入れると、溶けて汁に融合する。かなり美味しい。仕事をして明け方になると、最近は、これを口にする。

パルメジャーノは、ずっとネットでブロックを買っている。コストパフォーマンスも良いし、味もいける。買っているのは☞


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2008/06/04

『超男性』 ジャリ

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いつまでこんなことしているのよ?

ゲストで出てくれた女装のジュネが大声で叫んでいた。

+
寺山修司が亡くなって、天井桟敷の若松武と『WAKAフローティング・カンパニー』を組んで、演劇や踊りをやっていた。パルコのスタジオでジャリの『超男性』を上演した。数人乗りの自転車で機関車と競走して勝つという設定がある。固定の自転車を作って、そこにジュネや小劇場の役者たちが乗って走った。寺山さんに頼んで上演した、アルトーの『チェンチ一族』の、男性の裸体だけで作った舞台が忘れられなかったからかも知れない。男たちの肉体と機械をぶつけるような演出だった。

++
自転車は、天井桟敷の舞台美術を作っていた小竹さんが作ってくれた。新しい自転車の指示書を見ていたら、ふとそんなことを思い出した。『WAKAフローティング・カンパニー』は、僕と若松武しかいないプロデュース型のカンパニーで、その都度、スタッフと役者を集めた。予算も、状況も貧しかったが、みな作り上げるということに集中していた。今、スタッフと仕事をしていて思うのは、情報に気持ちが拡散されて、ものに向えなくなっているような気がする。拡散する感覚は自分にもあるので、他人のことは言えないが…。


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2008/06/04

「Ciel Tombé」(シエル・トンベ) 畠山直哉

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タカ・イシイでの展覧会。

パリの地下は採石場になっている。ぼこぼこ穴が空いているのだ。

+
思いだしたのは宇都宮大谷石採石場。25メートル掘って、25メートルの床。それが3層になっている。大谷石には、殺菌作用がある。大谷石の採石場の空間は、無塵で無菌の不思議なところ。切り花を置いておいても枯れない。枯れないだけでなく、そこから出せば花を開く。

採石場の奥の、奥に100メートルの深さの壁があり、前に水が溜まっていた。江戸時代からの水だそうだ。飲んでも大丈夫。無菌だから。もし江戸時代の作業員のオニギリが落ちていたら食べても大丈夫と、鉱山の持ち主は教えてくれた。地震も感じない。通常の宇宙線も通さない。なのでビックバンの重い素粒子を探すフィルムが最地下に置かれていた。神岡鉱山の純水による素粒子の発見装置と同じ効果がある。

思うにエントロピーがゆっくりしているのではないかと思う。その分、頭脳の動きがスローになる。悟りの気分だ。

++
安全を確保して太い柱を残し、25メートルの床を残して掘っていたのだが、江戸時代の良い地層の柱を一本、また一本と切って売っているうちに、陥没して倒壊する鉱山が出始めた。柱を切っていない優良な鉱山まで、それに引っ張られて次々の落盤していった。いま宇都宮は陥没した鉱山でぼこぼこになっている。

+++
パリはそうなる前に、採掘場を封印した。それでも天井が落ちたところがいくつかある。そんな場所を含めて畠山直哉が撮影をした。パリの東端にあるヴァンセンヌの森の地下17mに位置する「ラ・ブラッスリー」と呼ばれる採石場跡。

++++
写真家が地下を見る視線は面白い。ナダールは気球で空からの撮影をした跡に、パリのカタコンベの撮影をした。パリのカタコンベも、鉱物採掘場の跡を利用したものだ。ナダールとナオーヤ。時代を越えて何かがシンクロしている。

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2008/06/03

デビル・ハンド?

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ネルドリップを丁寧に叩いて

から、また丁寧にお湯を細く注いで、銅の小さな鍋で少し暖めて出してくれたマンデンリンは、美味しいはずなのに、ほんの少し金属の味がして、切れ味がなかった。抜けが悪いのか…。

見ているとパーフェクトな入れ方。丁寧だし、情熱もある。なのに…。
不思議なものだ。食べ物とか飲み物は。

おそらく雑誌を作ったりするのにもデビル・ハンド、ゴッド・ハンドがあるのだろう。
これだけはどうしようもないのかもしれない。

でもデビル・ハンドから抜ける方法はある。ゴッド・ハンドになる方法はない。それは向こうから来るもののような気がする。

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2008/06/01

ジェイン・オースティンの読書会

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閉所恐怖症なので

時おり逃げ出したくなることもあるので、独りで映画館にいることが多くなった。
今日は映画の日なので1000円。ヴィクトリアン期の小説家オースティンに係わる映画が上映されているので最終回。空いている。

+
振り返って見れば良いこともあったよ、なんて言うのは、男ばかりよ。
などという台詞がでてくるので、お、っと思ったが、最後は、駄目な男もみんな救われるハッピーエンド。アメリカの小説、アメリカの映画だな。

++
ヴィクトリアン人になれるわけはないけれど、当時の感覚で見たり、イギリス的に見たり、女性的に見たりするとどうなるか、この『ジェイン・オースティンの読書会』を検討して見たくなった。


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2008/06/01

『パノラマ島綺譚』 丸尾末広

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猟奇に過ぎる、B級に過ぎる…のが江戸川乱歩の映像化だ。

昔のポルノはわざと汚らしい感じ、極彩色、下品というような、劣情を煽る傾向があった。江戸川乱歩の映像はどこかにそうした敢えて、B級、ちょっとチープという感覚で、猟奇を煽るところがあったのだと思う。

+
丸尾末広は、煽る猟奇の感覚も掠めながら、少年的な美や残酷や能天気さに耽って『パノラマ島奇譚』を映像化した。丸尾は江戸川乱歩の文学としての『パノラマ島奇譚』をまっこうからコミック化している。猟奇を煽る部分はほとんどなくむしろ精緻な静けさすらある。ポーあたりを源泉にするパノラマ小説の流れを踏まえた拡がりと、それらに対する解釈も含まれている。これでは、丸尾末広に江戸川乱歩全集を作ってもらわないといけなくなる。

++
丸尾末広の『パノラマ島綺譚』は、乱歩を原作としながら昭和耽美としての丸尾末広を付加している。ポーの『アルンハイムの地所』から人見広介が『RAの話』を書いたことになっていて、『パノラマ島奇譚』が、ポーを下敷きにしていることを取り込んでいる。江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』は、ポーの『アルンハイムの地所』や谷崎潤一郎の『金色の死』を下敷きにしている。翻案というかそれ以上の抜き取り方だ。パノラマの描き方が、作家それぞれの好みで変わっているという感じで物語の構造はポーのままだ。

+++
丸尾末広は、フィレンツェのフェデリコⅠ世のデミドフ庭園やボマルツォの怪物公園、ルートウィヒ2世の城、ベックリンの絵を持ち込んだりする。渋沢龍彦が昭和に紹介した幻想、耽美を取り入れている。丸尾末広の元々の資質としてもっている江戸川乱歩の世界が、融合してまさに夢見るパノラマが展開している。その風景をみるだけで『パノラマ島奇譚』を手に入れる価値がある。

++++
『パノラマ島奇譚』は江戸川乱歩が雑誌に連載していたときのタイトルで、単行本になるときに『パノラマ島奇談』になっていて、今は、その名前で流通している。


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2008/06/01

『パノラマ島奇談』 江戸川乱歩 1926年10月~

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肉塊の滝つ瀬は

ますますその数を増し、道々の花は踏みにじられ、蹴散らされて、満目の花吹雪となり、その花びらと、湯気と、しぶきとの濛々と入り乱れた中に、裸女の肉塊は、肉と肉をすり合せて、桶の中の芋のように混乱して、息もたえだえに合唱を続け、人津波は、あるいは右へ、あるいは左へと、打ち寄せ揉み返す、そのまっただ中に…(パノラマ島奇談より)

+
『パノラマ島奇談』に具体的なパノラマ記述は少ない。当時、江戸川乱歩は猟奇的、エログロの書き手として望まれていて、これでもおとなしすぎる表現だったのかもしれない。

++
角川文庫の後書きで渋沢龍彦が、乱歩にはインファンティリズム(幼児型性格)が見られると書いているが、どんなものだろうか。徹底した俗悪ぶりとあるのには、うなづける。

+++
それにしても『パノラマ島奇談』どうも文脈が上手につながっていないような気がする。イメージの上でも…。北見小五郎が出てきて突如、パノラマ島は崩壊するのだが…どうも物語を終える装置として北見小五郎を出してきているとしか思えない。荒唐無稽な話であっても、いや荒唐無稽な話だからこそ、なぜ、小五郎が菰田を追いつめるのかというのは、描いて欲しい。『屋根裏の散歩者』でも明智小五郎の謎解きは文脈として絡んでいない。終わるために終わる設定だ。

++++
壁に塗りこめた千代子の、髪の毛の件も、ポーからの引用なのだが、唐突すぎる。もう少し伏線なり、他の隠し方でなく壁に塗りこめてしまう性癖というものを見せてくれないと。ああ、この主人公なら壁に塗りこめるよな…というイメージの流れ、必然性が欲しい。ポーの小説が怖いのは、そこにに到る人間の深層をひしひしと垣間見せてくれることだ。『パノラマ島奇談』は、ポーの『アルンハイムの地所』『ランダーの別荘』を下敷きにしている。谷崎潤一郎の『金色の死』にもたぶんインスパイアーされている。


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2008/05/31

自転車が帰ってきた

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雨が降っているけど

自転車を取りに行った。今回は後輪タイヤ、チューブの全取っ換え。

早速、図書館へ資料を取りに走った。
『地下世界』、面白い、次号のある種の指針になる。読みはじめた。

たまたまブログを読んでいたら、このブログが全然、編集されていないじゃないか…と、編集者だからしたら…と書かれていた。確かに。

編集に関しては、まだまだ整理がついていないので、ちょっと自分を改造してみようかとも思っている。今になってなんだい。というところもあるけどDTP以降、編集をシェイプ・アップしていないので…。

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2008/05/30

勅使川原三郎

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久しぶりの握手は、以前と違う何かを僕にもたらした。

重たい固い感じ。身体の芯がずんと伝わってくるような感じ。
インタビューのあいだ中、ずっとその感触は残っていて、あたかも触れ続けているかのようだった。

+
ガラスの原理、ガラスの粒子。光、光の粒子。空気の浮力。
足の間で振るえる重心。振れながらガラスのフラグメントの上で揺らぐ。光は割れたガラスで究極の乱反射を起す。身体が融解していく。粒子の中に。

++
振りとか、形式とか、フォルムとか。見せる行為をする以上存在するが、それを矛盾としている。原理にダイレクトにアクセスする。その方法を発見しようとしている。本番の舞台で。

+++
僕はインタビューの方法を変えた。思考を消去してただ人の前に立つ。方法はない。相手の流れの中に身を委ねる。

インタビューは勅使川原三郎が参加する、横浜トリエンナーレのもので『Art it』に掲載される。頼まれたインタビューの内容から逸脱して、流れていく中に、勅使川原三郎が求め続けているもの、その方法の何かの、言葉にならないものが僕の前を通っていった。ああ、そうだったんだ。究極の創造、身を晒し、危険を侵してでも実験して、掴もうとしているもの。

純粋なんだな。表現するということに対して。

この不思議な感覚の交流は、たぶん勅使川原三郎の伝播力なんだと思うが、すらっとそこに居れる自分であったことにちょっと感謝した。

まだ可能性がある。僕にも。


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2008/05/29

『風船乗評判高閣』 河竹黙阿弥 1891年

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菊五郎紙人形の如く、段々に手足を動かし瓦斯の気一杯に這入し

思い入れにて立上がり、ふはふはと上手へ行くを…

『風船乗評判高閣』は、明治24年1月の歌舞伎、大切浄瑠璃所作事として上演された。
上之巻は上野博物館前の場で、スペンサーの風船乗りを五世菊五郎が演じた。戯曲の中でも「念者」言われているように、凝り性な菊五郎は、取材を重ねているので、服装もそっくりに作っている。口上も英語で述べた。

はじめに紙人形に瓦斯を入れて浮せたり降下させたりを見せる。その後、菊五郎がその紙人形に模してでてきて、瓦斯を入れる振りをしてもらって演技で瓦斯入り人形のふわふわを演じる。そののち早変わりしてスペンサーになり宙乗りをする。いやぁ素敵だ。叶うことなら見て見たい。浅草寺に中村座が建つらしいが杮は、『風船乗評判高閣』で如何? ついでのことに菊之助で。

下の巻は浅草の凌雲閣
凌雲閣に昇って風船乗りのスペンサーを見物した円朝(菊五郎)が二の酉を見に浅草に来て、浅草芸妓・小松とあって凌雲閣の話をする。話の中では勘当していた円朝の息子(菊之助)、本当に勘当が解けた菊五郎の養子、菊之助がお広めの舞踊をする。そして最後は円朝の菊五郎が踊って大切になる。

菊之助も勘当されていたが、円朝の息子も勘当されていたし、円朝は凌雲閣下に茶屋を営んでいた。現実話をとことん取り込んでの芝居仕立て。平成から想像しても楽しいのだから、当時は、やんやの面白さだったろうと思うな。

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